2005/11/14(月)「Dear フランキー」

 「Dear フランキー」パンフレット「私は嘘つきの母親だわ」

 「違う。君はフランキーを守ってるんだ」

 スコットランドの港町に引っ越してきた9歳の少年フランキー(ジャック・マケルホーン)は難聴で言葉をしゃべれない。いや、しゃべろうとしない。船に乗っている父親から届く手紙が唯一の楽しみである。しかし、父親は船になど乗ってはいなかった。母親のリジー(エミリー・モーティマー)がフランキーの手紙に返事を書き続けているのだ。手紙を出している父親は架空の存在である。フランキーはある日、学校の友達から父親の乗っている船が港に帰ってくるというニュースを聞かされる。思いあまったリジーは1日だけ父親の代わりになる男を探す。

 予告編を見て、ありふれた設定かと思えたのだが、この映画、脚本、監督、プロデューサーが3人とも女性のためか、母親の描写が細かい。その描写の細かさがあるため、ややご都合主義的展開もそれほど気にならない。友人のマリー(シャロン・スモール)の紹介で父親役を頼んだ見知らぬ男(ジェラルド・バトラー)とリジーが親しくなることは容易に想像がつくのだが、バトラーがあまりにいい男なのでそうなるのも当然と思えてくる。中盤にあるダンスシーンや長く長く見つめ合った後でのキスシーンは2人の思いがあふれるシーンであり、とてもリアルでロマンティックだ。これは母親の心の動きを丹念に見つめた映画であり、女性映画と言っていいと思う。監督はこれが長編デビューのショーナ・オーバック。

 一緒に住む母親のネル(メアリー・リガンズ)から言われるまでもなく、リジーはフランキーに嘘をつき続けることはよくないと分かっている。それでも続けてしまうのは手紙がしゃべらないフランキーの心の声を聞く唯一の手段だからだ。一家は夫の追求を逃れてたびたび引っ越しているが、それがなぜかを徐々に映画は明らかにしていく。元は短編だったというアンドレア・ギブの脚本は女性の心理を描き出すと同時に現代的なテーマも盛り込んだ丁寧なものである。ただ、男の方の描写はやや簡単になってしまった。映画を見ていてどう処理するのか興味があったのは夫の扱いだったが、夫がああいう状況になることに伏線がないので、唐突な感じを受ける。ここはああいう状況にせずに、夫とリジーの対決場面が欲しかったところだ。バトラーの役柄にしてもいい男なのは分かるのだが、その真意はよく分からない。リジーの描写の細かさに比べれば、この対照的な男2人の描写は型にはまったものにとどまっている。加えてフランキーへの嘘を終わらせる処理の仕方も少し安易に感じた。そういう部分が各地の映画祭で多数の賞を重ねながら決定的な賞には結びつかなかった要因なのではないかと思う。いい映画だなと思いつつ、見終わってみると、あちこちが気になってくる映画なのである。

 若い頃のデミ・ムーアを思わせる容姿のエミリー・モーティマーは内面の脆さを抱えながら強く生きる母親を演じて良かった。ジェラルド・バトラーも「オペラ座の怪人」よりはこちらの方が自然で好感が持てた。