2007/11/17(土)「ボーン・アルティメイタム」

 「ボーン・アルティメイタム」パンフレットシリーズ第3作。前作でも感じたことだが、このシリーズに不足しているのはエモーショナルな側面だと思う。今回も主人公のボーン(マット・デイモン)はまったく感情を表さず、襲い来るCIAの暗殺者たちをてきぱきと撃退する。ただそれだけの映画である。ボーンの原動力となっているのは自分のアイデンティティーの探求と恋人(フランカ・ポテンテ)を殺された恨み。というのは設定だけにとどまっており、ボーンは泣くこともわめくことも怒ることも喜ぶこともなく、だからエモーションが欠落しているように見えるのだ。ついでに言えば、ボーンにはCIAの不正を暴くための正義感もない。いや、あるのかもしれないが、画面には表れない。要するに作りが人工的、デジタル的なのである。アクションを羅列するだけで、主人公の感情が立ち上ってこないので、味気ない映画になってしまう。僕はまったくつまらなかったわけではないが、もう少し何とかならないのか、と見ていて思う部分が多かった。このスピード感にエモーショナルな部分が加われば、映画はもっと面白くなっていただろう。大変なテンポの速さで進む映画の中で、足を止めて描く場面には主人公の情感が必要だし、激しいアクションを正当化するのは主人公の激しい感情にほかならないのである。

 映画はモスクワで幕を開ける。傷ついたボーンが追っ手の警官たちを簡単に撃退したところでタイトル。場面変わって、ロンドン。ガーディアン紙の記者サイモン(バディ・コンシダイン)はCIA職員の内部告発でトレッドストーン計画がバージョンアップしたブラックブライアー計画について知る。CIAはサイモンを追跡。新聞を読んだボーンもサイモンに接触する。ウォータールー駅でのCIAとボーンの格闘が最初の見せ場で、ここでサイモンはCIAの暗殺者に狙撃され、殺される。作戦を指揮しているのは対テロ極秘調査局長のヴォーゼン(デヴィッド・ストラザーン)だった。ヴォーゼンは前作でボーンを追ったパメラ(ジョアン・アレン)を捜査に引き入れ、ボーンの抹殺を企てる。舞台はスペイン、モロッコへと飛び、ニューヨークで最終決着を迎えることになる。

 映像は短いカットを積み重ねてテンポが良いけれど、カットを割ってはいけない格闘シーンまで割っている。見せるべき格闘はちゃんと見せた方がいいのでは、という思いは1作目から感じたことだ。短いカットの積み重ねはポール・グリーングラス監督、眉にいっぱいつばをつけながら見た前作「ユナイテッド93」でも使っていた。こういう短いカットで思い出すのは「ストリート・オブ・ファイヤー」(1984年)だが、ウォルター・ヒルのようなスタイリッシュさはグリーングラスにはない。ジャッキー・チェンやジェット・リーがワンカットでアクションを見せるのは、アクションが本物であることを示すためでもあるだろう。カットを割れば、どんなことでもでき(るように見え)てしまうからだ。俳優の生身のアクションの伝統は1920年代のロイド、キートンまでさかのぼるのだ。スタントマンを使うなと言うわけではなく、ああいう見せ方では真に迫らないのだ。建物から建物へ飛び移りながら展開するモロッコのシーンにしてもカットを割らない方が効果的だっただろう。グリーングラス、スピード感がすべてと思いこんでいるのではないか。

 それにしても、いったいあの研究所は何をやったのか判然としない。ボーンに暗殺者になることを強要するためだけだとしたら、研究所なんて不要だろう。原作はどうなっているのだろう。ヒッチコックはサスペンスの核となるものはレッド・ヘリング(赤にしん)でいい、と言った。これを曲解すれば、こういう映画が出来上がることになる。少なくともヒッチコック映画の主人公たちはもっと情感豊かだった。