2006/09/28(木) 760MBのテキストファイル

 職場のパソコンにデフラグをかけてみたら、ほとんどフラグメンテーションが改善されない。ログを見ると、760MBのテキストファイル(!)があって、断片化している。これはなんだと思ったら、ウイルスバスターのログファイル。こんなに大きなログファイルを作っていったいどうする。秀丸でだって開くのに時間がかかってしようがない。というか、途中で開くのをやめた。恐らくこのファイル100万行以上あるのではないか。

 こういうログファイルは初めて見た。いくらなんでも、トレンドマイクロ、やりすぎだろう。古い行を削除するとか、一定行までいったら新しいファイルを作るとかの機能はないのだろうか。ちなみに職場のパソコンに入っているのはウイルスバスター2004。既にサポートは終わり、パターンファイルの更新もできなくなっているので近く、担当者が新しいバージョンを入れに来るそうだ。2007はやめた方がいいよ、と担当者に言っておいた。

2006/09/27(水)「わたしを離さないで」

「わたしを離さないで」表紙 SFとミステリの枠組みで語られる文学。それも素晴らしい文学。中心となるアイデアは昨年公開された映画「アイランド」に似ているが、展開がまるで異なる。最初のページに登場人物たちの秘密につながる重要なキーワードが既に出てくるし、数ページ読み進めるうちにこれはあの映画と同じではないかと分かってくる。そして3分の1ぐらいのところで作者のカズオ・イシグロはそれを明らかにする。その場面が特に強調されるわけではない。そこに至るまでに読者には秘密が分かっているからだ。作者の意図は秘密よりもその立場に置かれた若者たちを描くことにあったのだろう。

 煎じ詰めれば、これは「限られた短い命を定められた若者たちの生き方」を描いた話である。彼らの制限された生き方は普通の人たちと違うのか。少しも違わない。彼らもまた恋をするし、些細なことで怒ったり、笑ったりする。仲間内のいじめもある。にもかかわらず、この小説の全体にあるのは透明で深い悲しみだ。同時に彼らに課せられた過酷な運命とそれを人為的に作り出した人間たちに怒りが湧いてくる。そしてもちろん、カズオ・イシグロは意識しているだろうが、倫理的な問題が残るこの技術を安易に進めるべきではないとの強烈なメッセージになっている。

 彼らの置かれた状況は戦時下にも置き換えられるし、難病を生まれつき背負った患者にも置き換えられる。強制収容所に入れられたユダヤ人たち、屋根裏部屋に隠れて生き延びようとしたアンネ・フランクをも彷彿させる。そこがこの小説の優れたところなのだろう。読売新聞の作者インタビューによれば、「イギリスの田舎に住む若いグループが、核兵器によって短い人生を終えるというのが当初の設定」だったという。自分たちの運命を受け入れ、それでも小さな幸福と小さな喜びにすがって生きる彼らの生き方には胸を締め付けられる。

 終盤、主人公の介護人キャシーとその恋人のトミーは3年間だけ平穏に暮らせるといわれる方法の真偽を確かめる。それが残酷な結末に終わっても、この小説の魅力はそうしたプロットにあるわけではない。例えば、第1章にあるこんな場面で僕はこの小説に引き込まれた。

 癇癪持ちであるためにみんなからいじめられるトミーにキャシーが語りかける場面。トミーは得意のサッカーの選手に選ばれると期待していたが、選ばれず、ぬかるみの中で叫びながら地団駄を踏んで、一番お気に入りのシャツを泥だらけにしてしまう。

「トミー」と、わたしはとがめる口調で言いました。「大切なシャツが泥だらけじゃない」
「だから何だよ」ぼそぼそと言いながら、トミーは下を向き、点々とついている茶色の染みに気づきました。わっと叫ぼうとして、危うく思いとどまったふうでした。次に現れたのは意外そうな表情です。これが大事なポロシャツだってこと、こいつはなぜ知ってる……? その思いだったでしょうか。

 穏やかで繊細な筆致で統一されたこの小説はだからこそ、読む者の胸に迫る。カズオ・イシグロの「日の名残り」は僕には関係ない世界と思って、小説も読んでいないし、映画も見ていないが、これほどの小説を書ける作者の本はすべて読みたくなる。そう思わせるほどの傑作。

2006/09/26(火) ウイルスバスター2007でトラブル

 トレンドマイクロのサイトで自動インストールをしようとしたら、ActiveXを有効にしないとインストールできない。セキュリティソフトがそういうことでいいのかなと思いつつ、IEの設定を変えて再度行う。

 ファイルをダウンロードしてインストールが始まったが、途中でなぜか電源が切れて再起動する。そこからが大変だった。ウイルスバスターはインストールを再開しようとするのだが、「言語バージョンが異なるためインストールできません」とのダイアログが出て進まない。2006の方もアンインストールできない。再起動してもまたも同じダイアログが出るだけ。電源が切れたため、ファイルの一部が破損したのだろう。

 セーフモードで起動したり、いろいろやってみたが、らちがあかないので伝家の宝刀・システムの復元をやってみる。これでOK。2006をアンインストールした後、2007をインストールした。それにしてもなぜ、途中で電源が切れたのだろう。

使えないウイルスバスター2007

 上に書いたことは昨夜起きたこと。ここからは今日の夕方のこと。

 僕の環境では使えないことがはっきり分かった。パソコンを起動してみたら、常駐ソフトを読み込み終えるところで勝手に電源が切れて再起動する。スキャンディスクとデフラグをした後だったので、CPUが熱くなってるのかと思ったが、違った。ウイルスバスターが起動しないセーフモードでは何ということもなく普通に起動するのだ(どうでもいいが、VAIOのセーフモードはF8キーを押しっぱなしではダメで、何度か連打する必要があった)。

 インストールの状況は[教えて!goo] ウイルスバスター2007 30日間期間限定版。。。と同じ。環境によってはこういうことが起こるようだ。何が影響しているのかよく分からない。はっきりしたのは使えないことだけ。セーフモードでシステムの復元を行い、ウイルスバスター2007をインストールする前に戻したら正常に戻った。そこでウイルスバスター2006を再インストール。これで正常に使えているから、2007に何らかの不具合があるのは確実だろう。

 昨年のパターンファイルによるCPU100%の不具合は記憶に新しいが、トレンドマイクロはまたやっちゃったんじゃないかという思いが沸々。修正版がでなければ、トレンドマイクロとはもうオサラバしたい。といっても来年11月まで更新期間が残っているのが腹立たしい。

2006/09/23(土)「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」

 「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」パンフレットウルトラマンシリーズ生誕40周年記念作品。出てくるのは初代ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン(今はウルトラマンジャックと呼ばれる)、ウルトラマンエース。どれもリアルタイムに見ていたので、黒部進、森次晃嗣、団時朗、高峰圭二が出てくると、懐かしさがこみ上げてくる。そういうノスタルジックというか40年の歴史の重みを一番感じさせるのはエンドロールで、桜井浩子やひし美ゆり子、星光子まで顔を出すのが何というか感涙ものである。桜井浩子はウルトラマンの後、実相寺昭雄の映画に出ていたし、ひし美ゆり子も東映映画などに出ていた(というか桜井浩子はウルトラマン以前からかなりの映画出演歴がある)。

 メビウスの物語にウルトラ兄弟の面々を絡ませた展開は悪くないのだが、怪獣に襲われて心を閉ざした少年のエピソードに魅力を感じない。作劇としてうまくないのだ。加えて、GUYSの戦闘機のいかにもオモチャ然とした造型および質感は僕には見ていく上での障害でしかなかった。板野サーカスと言われるCG監督板野一郎のCGも取り立てて騒ぐ出来ではない。小中和哉監督作品としては大人の観賞を意識して作った前作「ULTRAMAN」(2004年)の方が面白く、今回の映画は子供向けストーリーの域を出ていないのが惜しい。マニアは喜ぶだろうが、ウルトラマン世代向けなのは懐かしさだけなのである。

 20年前、異次元超人ヤプールの怨念で生まれた究極超獣Uキラーザウルスをウルトラ兄弟は協力して神戸沖に封印する。パワーを使い切ってしまったために4兄弟は変身能力を失い、以後は市井の民間人として暮らしていた。そして現在、GUYSのヒビノミライ(五十嵐隼士)は神戸に異変を感じて一人出動する。テンペラー星人、ガッツ星人、ナックル星人、ザラブ星人の宇宙人連合がUキラーザウルスを復活させようとしていたのだ。ミライは現れたテンペラー星人をメビウスに変身して倒すが、その戦いで宇宙人連合に能力を知られ、倒されて十字架に架けられてしまう。ウルトラ兄弟はメビウスを救うために死を覚悟して変身する。しかし、宇宙人連合の狙いは4兄弟の方にあった。兄弟のエネルギーでUキラーザウルスを復活させたのだ。

 これが本筋でサイドストーリーとして描かれるのが、天才科学者ジングウジアヤ(いとうあいこ)の弟で怪獣に襲われて心を閉ざしたタカト(田中碧海)の話。タカトはGUYSとウルトラマンメビウスにあこがれていたが、一緒にいた愛犬を救おうとしなかった自分を責めていた。この話がどうもテレビシリーズレベルの話である。子供を意識したのだろうが、全体の流れから言えば不要としか思えない。クライマックスは巨大化したUキラーザウルスとウルトラ兄弟の戦いをCGを駆使して描く。ここはそれなりに見応えはあるものの、これがこの映画の魅力かと言えば、そうでもないだろう。子供なんか意識しなくていいから、ガチガチの4兄弟の話にした方が良かったように思う。

 気になったのはミニチュアの神戸の街並みに登場する着ぐるみ怪獣たちのリアリティ欠如。平成ガメラシリーズも着ぐるみだったのに、あれはどうしてあんなにリアリティを持ち得たのか。たぶんドラマとエモーションががっちり組み合わさっていたからだろうと思う。ウルトラマンシリーズでも「ウルトラセブン」が名作だったのは脚本家・金城哲夫の存在が大きかった(どうでもいいが、この夏、石垣島に行った際、金城哲夫作品のDVDボックスのテレビCMが盛んに流れていた。沖縄では金城哲夫の名前でDVDが売れるのか)。映画の中にも引用されるキングジョーとの戦いや最終話のドラマティックさがこの映画にも必要なのだろう。小中和哉、次もウルトラマンを作るなら、脚本にもっと力を入れて欲しいと思う。

2006/09/23(土)「惑星大怪獣ネガドン」

 「惑星大怪獣ネガドン」ジャケット怪獣映画マニアの作った昭和の怪獣映画風3DCG。監督の粟津順は1974年生まれで、学生時代に「ガメラ2 レギオン襲来」を見てショックを受け、怪獣映画の本格的なファンになったのだという。続く「ガメラ3 邪神覚醒」がCG作家を志すきっかけになったそうだ。「ネガドン」の怪獣が何となくイリスを思わせるのはそれが影響しているのかもしれない。

 ストーリーは簡単で、火星のテラフォーミングが進む昭和百年が舞台。火星の地下から現れた怪獣が地球に落ちてくる。それを工事用ロボットのMI-6(ミロクと読む)が迎え撃つ。MI-6を操縦する中年の研究者は過去にロボットの事故で一人娘を亡くしているという設定。それだけの物語である。25分の短編だからこのストーリーで良いのだろうが、長編を作るなら、物語の工夫はもっと必要になってくるだろう。話は怪獣映画以上のものではない。SFの分かる脚本家が力を貸せば、もっと充実したものになると思う。

 2年4カ月かけて一人で作った作品なので、良くできているところもあれば、そうでないところもあるが、技術的には水準以上と思う。可能性を感じさせる。人間のCGがあまりうまくないのはアメリカのピクサーあたりもそうだから仕方がない。うまくいかないのなら実写を使えばいいことで、粟津順には将来的に役者を使い、CGを組み合わせた怪獣映画を撮って欲しいところだ。

 小説を書くように映像を作れる時代になったと、粟津順はDVDに収録されたインタビューで語っている。1人で作る方が良いのか、共同作業が良いのかは難しい問題ではある。監督に向く人も向かない人もいるだろうから、個人でうまくいった人が共同作業でも素晴らしい作品を作れるとは限らない。それでもこの技術を個人の枠内に収めておくのはもったいないと思う。より充実できる部分が多くあるからこそ、可能性も感じるのである。

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