2000/12/10(日)「ダイナソー」

 CGの技術には感心するが、物語は明らかに子供向け。主人公はキツネザルに育てられたイグアノドンのアラダー。「ターザン」のような設定だ。ある日、大きな隕石が落下し、大地は荒れ果てる。このため恐竜たちは新天地を求めて移動を始める。道のりは長く険しい。しかも後から肉食のカルノタウルスやヴェロキラプトルが追いかけてくる。過酷なサバイバルの様子が描かれるわけだ。

 言葉をしゃべる恐竜にはなんだかがっかりする。上映時間も1時間22分と子どもがあきない程度の時間に設定してある。この技術があるのにこんなストーリーではもったいない。これなら普通のアニメでも十分だもの。「トイ・ストーリー」シリーズを見習って欲しいところだ。長男(5歳)は怖いらしく所々で目を伏せていた。長女(7歳)は平気だった様子。個人的には昨年の「ターザン」の方がはるかに面白かった。

2000/12/07(木)「遠い空の向こうに」

 NASAの技術者が書いた原作「ロケットボーイズ」をSF映画のみ発表し続けているジョー・ジョンストンが監督した。実にウエルメイドな作りで、ラストのどこまでもどこまでも空高く上っていくロケットを見て、胸が強く揺さぶられた。原作よりも話は単純化してあるようだが、父と子の相克、決して夢を捨てない主人公の生き方、古い時代(炭坑)と新しい時代(ロケット)を対比させた構成が素晴らしい青春映画と言える。主人公が選んだのはロケットだったが、子どもが父親とは別の道を選び、自分の夢を実現していく話として普遍性がある。

 主人公を理解し、支援する女性教師役で久しぶりのローラ・ダーン、主人公の父親は「アメリカン・ビューティー」の隣人クリス・クーパーが演じている。

 ジョンストンは「スター・ウォーズ」「ハワード・ザ・ダック」などのスタッフを経て「ミクロキッズ」で監督デビュー。その後「ロケッティア」「ジュマンジ」ときて、「遠い空の向こうに」は劇場映画では監督4作目に当たる(来年、「ジュラシック・パーク3」の公開が控えている)。だから主人公が映画の中で「縮みゆく人間」(「ミクロキッズ」の元ネタ)を見るのも当然なのだった。紛れもないSF人間なのですね。

2000/12/06(水)「タイタス」

 シェイクスピアの初期の残酷な戯曲を映画化したもの。IMDbでチェックしたら、一般観客の評価は10点満点の7.8点。いい評価だったのである。

 監督は舞台の方の「ライオン・キング」で評判を集めたジュリー・テイモア。予告編は気味の悪い場面が強調されていたので不安だったが、本編を通してみると、そうでもなかった。といっても両腕を切断し、枯れ枝を代わりに刺し、舌を切り取られた女の姿はやはり悲惨。だいたい、ヤクザ映画の指を詰めるシーンでさえ、拒否反応を起こすくらいなのでこういうシーンは嫌いである。

 快、不快で言えば、不快なシーンの多い映画だ。映像的にはローマ時代の話なのにナチスの扮装をした軍人が出てきたり、ゲームセンターがあったり、ネクタイを締めている人物が出てきたり、自動車やバイクが出てきたりする。もちろん、ジュリー・テイモアは承知の上で演劇的な手法を採っているのだが、効果的かどうかは別にして映画のリアリズムからは遠い手法と言わねばならない。

 復讐に次ぐ復讐が血で血を洗う闘争として2時間42分にわたって描かれ、見応えはあるものの、ややうんざり。そんなに時間をかけてその程度のことしか描けないのか、という気もする。フェリーニやヴィスコンティ的映像もあるが、主人公のタイタス(アンソニー・ホプキンス)が基本的にバカなのであまり共感を持てない(皇帝候補の兄弟のうち、どう見てもアホな兄の方を皇帝にすることからしてバカである。その後の不幸は自業自得だ)。

 それにしてもこのねちっこい映像は西洋的な感覚だろう。それとも女性独特のものか。「ボーイズ・ドント・クライ」のキンバリー・ピアースも映像的にはどぎつかった。僕はもっと淡泊な映画がいい。

2000/12/05(火)「顔」

 ラストがいかにも阪本順治らしい。引きこもり状態からアクティブになった主人公の行動としてはあれしかあるまい。仲の悪い妹を発作的に殺してしまったことで、主人公の中村正子(藤山直美)はクリーニング店の2階でミシンを踏む日常から逃げ出さざるを得なくなる。その過程で正子は35歳にして初めて外の世界を本当に体験することになる。駅で降り立った時の外の世界のまばゆさはそれを象徴している。そして母親の庇護のもとでおどおどと暮らしていた正子はしだいにしたたかになっていく。

 という風にストーリーを語っても阪本順治の映画の魅力は伝わらないだろう。阪本映画の良さはその表現の仕方にある。キャラクターが立っており、端役に至るまで実に人間味にあふれている。母親役の渡辺美佐子、酔っぱらいおやじの中村勘九郎、別府のスナックのママ大楠道代など実にいい味なのである。細部の描写のうまさがこれに加わるので、映画がとても豊かになる。

 これぐらいの描写を邦画の水準にしたいところ。まず人間を描くことが重要なのは映画でも小説でも同じなのだろう。