2002/08/18(日)「仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL」

 龍騎の物語は13人のライダーがミラーワールドを舞台に最後の一人になるまで戦うというものである。ライダーたちはモンスターと契約し、力を得る代わりに定期的にモンスターを倒してその力を契約モンスターに与えねばならない。映画はテレビシリーズに先行して、この戦いの最後の3日間を描く。新しく仮面ライダーファム(加藤夏希)と仮面ライダーリュウガが登場してくる。ライダーは6人に減っており、さらに凄絶な戦いが続くという展開。しかもリュウガがミラーワールドの封印を解いたため、モンスターたちが人間界に大挙押し寄せてくる。龍騎はライダー同士の戦いをやめさせようとし、同時にモンスターたちと戦っていく。

 監督は「アギト」に続いて田崎竜太。脚本は井上敏樹。なぜ13人のライダーが存在するのか、その理由やミラーワールドにモンスターが存在する理由などを明らかにしていくのだが、どちらも話をまとめきれていない感じがする。アイデアだけがあって、技術が伴っていないというのは昨年も感じたこと。惜しいね。

 13人のライダーの戦いというのはキネ旬のインタビューによると、「人造人間キカイダー」がヒントにあるそうだ。ミラーワールドと言えば、ミラーマンだが、モンスターの秘密などに僕は永井豪の影響を感じた。そういう過去のヒーローもののあれこれを取り入れており、基本的にあまり独自性はない。ラストは「ガメラ3」みたいだったし。

 主人公の龍騎こと城戸真治(須賀貴匡)とファムこと霧島美穂(加藤夏希)のロマンスなどもう少しドラマティックにしたいところ。全体にドラマ部分の演出がうまくない。一番の儲け役はそのファム役の加藤夏希で、初めての女ライダーを颯爽と演じている。

2002/08/04(日)「ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」

 話はテレビシリーズが終わった後の設定で、まあ番外編と言っていい内容。昨年公開された「ウルトラマンコスモス」(未見)はテレビシリーズが始まる前の話だったので、2つの映画にテレビを挟む構成となるわけだ。しかし、まだテレビ終わってないんですけど。

 ムサシ(杉浦太陽)はチームEYESを離れ、宇宙飛行士になっている。調査のため向かった遊星ジュランで、ムサシは死の星になったジュランの惨状を見る。砂漠を好む怪獣スコーピスが破壊したらしい。ムサシの宇宙船も狙われるが、そこへコスモスが現れ、ムサシを救う。というのがタイトル前の部分。

 地球に帰ったムサシは友人の結婚式に出るためサイパンへ行く。幼なじみのマリ(西村美保)とダイビングした際、巨大な怪獣レイジャと遭遇。レイジャは海底に住むギャシー星人が操っていた。ギャシー星人はスコーピスに星を破壊され、地球に秘かに逃げてきていたのだった。ギャシー星人のシャウ(斉藤麻衣)は人間に理解を示すが、ジーン(松尾政寿)は強い警戒心を抱いている。そこへスコーピスが襲来。レイジャはスコーピスに立ち向かうが、反対にやられてしまう。ギャシー星人とムサシの交流を描きつつ、映画は後半、北九州を舞台にスコーピスとそれを操るサンドロスに立ち向かうムサシとコスモスの活躍を描く。

 テレビシリーズの後の話なので、ムサシ=コスモスということはチームEYESのメンバーは知っている。しかし、ムサシはコスモスと別れたらしく、なかなか一体化できない(自由に変身できない)というのがポイントか。SFXはテレビよりはるかにましだが、話に破綻はないにしても今ひとつ新鮮さがないし、引きつけられる部分もない。監督の北浦嗣巳は「特撮怪獣映画」を目指したそうだが、ゴジラやガメラのような怪獣映画はまず怪獣の魅力を十分に伝えるところが基本にある。スコーピスは出自もはっきりしないし、その親玉のサンドロスもただ強いだけである。基本的にはスーパーヒーローもののテレビの話を引き伸ばしただけという感じが拭いきれない。怪獣映画の分かる脚本家を入れないとダメでしょう。ギャシー星人と一体化したレイジャの造形はデジモンみたいだった。

 併映の「新世紀ウルトラマン伝説」は20分程度の短編。過去のウルトラマンシリーズの各場面をつないでいく構成で、懐かしい映像も。ウルトラセブンが十字架に磔にされる場面を見て、その劇的な映像の力をあらためて感じた。セブンシリーズはやはり名作。こういうドラマティックな場面がコスモスにもあればね。

2002/07/27(土)「海は見ていた」

 山本周五郎の「なんの花か薫る」と「つゆのひぬま」を黒沢明が脚本化。自分で撮るはずだったが、その願いをかなえられないまま黒沢は他界した。それを黒沢プロの依頼で熊井啓が映画化した。黒沢だったら、クライマックスの暴風雨と洪水のシーンはダイナミックな映像を見せてくれたはずだが、熊井啓はそういう部分があまり得意ではない。物語を収斂させていくこの部分が弱いので映画全体もなんだか締まりに欠け、焦点が定まらない印象になった。緩やかに増えていく水の描写はのんびりしており、画面に生きるか死ぬかの切実さが足りないのである。

 もっとも、それ以前の部分も決して出来がいいわけではない。前半は深川の岡場所を舞台に遊女・お新(遠野凪子)が刃傷事件を起こして勘当された侍・房之助(吉岡秀隆)に抱く純な思いを描く。「こんな商売をしていても、きっぱりやめれば汚れた身体もきれいになる」という言葉に心動かされたお新と仲間の遊女たちはお新の客を代わりに引き受け、お新と房之助の結婚を夢見るようになる。ところが、房之助はお新との結婚などまったく考えていなかった。本人にはまったく悪意はなく、単なる鈍感で善良な男なのだが、迷惑なやつであることに変わりはない。遊女たちの勘違いから端を発したことを考えれば、これは軽妙な話のはずなのに、遠野凪子の演技はシリアス。この設定でシリアスに来られると、戸惑わざるを得ない。熊井啓の演出も正直すぎると思う。

 後半は不幸な身の上の良介(永瀬正敏)を好きになるお新と、お新の姐さんに当たる菊乃(清水美砂)のエピソードが絡む。菊乃は武家の出身だが、ヒモの銀次(奥田瑛二)から離れられず、吉原から渡り歩いてきた。材木商の隠居・善兵衛(石橋蓮司)から身請け話が進むが、銀次から別の岡場所へ売られそうになる。そこへ暴風雨と洪水が押し寄せるわけである。永瀬正敏も清水美砂も石橋蓮司もうまいし、話自体も悪くない。この後半だけを膨らませても良かったのではないか。

 前半のエピソードからすぐに後半の別の話に移行するこの脚本、決してうまいとは言えないと思う。2つの短編をただつなぎあわせるのではなく、並行して描いた方が良かっただろう。「隠し砦の三悪人」や「七人の侍」など絶頂期の黒沢の映画が面白かったのは脚本をチームで書いていたからで、晩年、黒沢が単独で書いた脚本には感心する部分はあまりなかった。

 遠野凪子は昨年の「日本の黒い夏 冤罪」に続く熊井啓映画への出演となる。頑張ったあとはうかがえるが、まだまだだと思う。演技の引き出しが少なく、表現力も足りない。笑顔や泣き顔を見せるだけではダメである。微妙な感情表現の仕方をもう少し身につけてほしい。これはある程度、人生経験も伴わないと難しいだろう。

 ちなみにこの作品、カンヌ映画祭に出品しようとしたが、できなかった。カンヌの審査に通らなかったらしい。つまり予選落ち。もしかしたら、内容が外国人には分かりにくかったのではと思っていたが、これぐらいの出来であるなら、予選落ちも納得がいく。

2002/06/23(日)「陽はまた昇る」

 ビクターの横浜工場ビデオ事業部がVHSを開発し、販売にこぎつけるまでの苦闘を実話に基づいて描く。ということは知っていた。NHKの「プロジェクトX」が元になったそうで、この番組、あまり見ていないが、映画が感動の押し売りになっていたら嫌だなと気構えて見た。

 監督デビューの佐々部清はそういう危惧を払拭するように手堅く真摯にまとめている。西田敏行がいつものような熱演タイプの演技であるとか、主人公の家族の描写に時間を割いている割にはあまり効果を挙げていないとか、さまざまな瑕疵はあるにせよ、一本筋の通った映画に仕上がっており、デビュー作としては合格点と言える。佐々部清は崔洋一、和泉聖治、杉田成道、降旗康男らに助監督としてついたそうだが、降旗の映画の感触に近いものがある。

 主人公の加賀谷静男(西田敏行)は日本ビクターの開発技師。あと数年で定年を迎えるところで、横浜工場のビデオ事業部長の辞令が下る。高卒の加賀谷が事業部長となるのは異例だったが、実は業務用ビデオを生産する横浜工場はビクターのお荷物的存在。体のいい左遷だった。不況にあえぐビクターは全部門に2年間で20%の人員削減を命じる。横浜工場の人員は241人。50人近い人員のリストラを課せられたことになる。加賀谷は1人の首も切りたくなかった。営業に力を入れ、家庭用VTRの開発で人員を守ろうとする。

 しかし、そんな努力も虚しく、SONYが一足先にベータマックスを発表してしまう。ベータマックスの録画時間は1時間。加賀谷たちは残業を重ねて、2時間の録画が可能な試作機のVHS(Video Home System)を完成させた。通産省はVTRの規格が乱立することを恐れ、家電業界に統一を促す。業界はベータマックスの導入に傾く。ビクターもベータに傾くが、ここでビクターがベータを選べば、工場のスタッフの努力が水の泡になる。加賀谷は世界規格を目指してVHSの技術を公開。松下電器をVHS陣営に引き入れるため、松下幸之助(仲代達矢)に直訴し、VHSの優秀さを訴える。

 リストラされるサラリーマンの悲哀を感じさるを得ず、目頭を熱くさせる描写がところどころにある。部下を救うために必死の努力を重ねる西田敏行の姿もいいが、それを補佐する次長の渡辺謙や下請け工場の社長を演じる井川比佐志、加賀谷たちの努力をくんでVHSの発売を決めるビクター社長夏八木勲らが好演している。

 こういう普通の感動作が日本映画にはもっと必要だろう。いや感動作でなくとも、奇をてらうことなく普通のしっかりした映画を作れば、観客はもっと映画館に足を向ける。

2002/06/08(土)「KT」

 金大中拉致事件を描くポリティカル・サスペンス。日韓の工作員が暗躍する、こういう闇の部分を描く映画が成立すること自体、日本映画では珍しい。未だに真相が分からない金大中事件は貴重な題材なのだ。

 で、十分面白いかというと、面白いことは面白いがメリハリを欠いたな、というのが率直な感想。韓国大使館の一等書記官でKCIAの命令に従って拉致を決行する金車雲(キム・ガプス)が一直線なキャラクターであるのに対して、日本側のキャラクターはどこかねじれており、拉致に協力する自衛隊員・富田満州男(佐藤浩市)には分からない部分が残る。三島由紀夫に共感し、反共意識を持つ人間というキャラは分かるのだが、それが拉致に協力していく考え方の変化が十分には描かれていない。佐藤浩市の演技そのものは良いのだが、主役がこういうあいまいな状態では困る(荒井晴彦の脚本ではこれが書き込まれていたようだ)。

 富田と恋に落ちる韓国人女性・李政美(ヤン・ウニョン)との関係も、ラストへの重要なエピソードになるわけだからもっと描きこむべきだったように思う。大衆紙の記者・原田芳雄は特攻隊と共産主義のどちらにも愛想を尽かし、右でも左でもない人物だが、やはり事件の中核には関わりようがない。韓国語を話せない在日韓国人・筒井道隆の役柄は最後に泣いて終わるだけではもったいない気がする。

 キム・ガプスの強面の演技と悲劇的なキャラクターは強い印象を残す。興行上の問題は別にして、最初の意図通り、こちらを主演に据えた方が映画としてはまとめやすくなったのではないか。