2002/10/11(金)「宣戦布告」

 グッドタイミングというか、バッドタイミングというか。映画会社にとっては社会的な話題が加わってヒットにつながるのなら、グッドタイミングだろう。明らかに北朝鮮がモデルの北東人民共和国の潜水艦が福井の海岸に座礁して乗組員11人が山中に逃げ込むというのが発端。乗組員は特殊工作員らしく警察の武器では歯が立たない。自衛隊の出動になるが、そこまでの法的手続きクリアに大きな困難が伴う。自衛隊が出動すれば、北は“宣戦布告”と見なす、と政府首脳の間では侃々諤々の論議となる。加えて射撃にも許可、手榴弾使用にも許可、ヘリのバルカン砲使用にも許可が必要で、許可を待っている間に警察官や自衛隊員はバタバタと敵の銃弾に倒れる。ただ、許可が必要なのは当たり前のこと。勝手に銃撃戦を始められたら、シビリアンコントロールの意味がなくなる。

 映画はクライマックスにアメリカ、中国、韓国、台湾など周辺国が次々に戦闘態勢に入り、一気に緊張が高まる様子を描く。宣戦布告もなく戦争が始まろうとしているのだ。しかし、この緊張感は長く続かず、そこからの描写がやや腰砕けになってしまう。前半から描写は荒っぽいし、全体としては「トータル・フィアーズ」の縮小版のような感じである。

 主人公は古谷一行演じる諸橋首相。これは政府の立場から有事の際の日本の弱さを描いた映画で、有事法制推進映画と受け取られてしまいかねない。(そんな主張もあるのかもしれない)。北の目的は最後まで分からない。仮想敵国としてだけ描くのでは「トータル・フィアーズ」よりも後退した作りである。周辺事態のシミュレーションならば、もっと緻密な組み立てが必要だっただろう。

 麻生幾の原作を石侍露堂(せじ・ろどう)監督が映画化。昨年のうちに完成していたという。監督はパンフレットに、(完成して間もなく起きた米同時テロによって)「時代遅れの映画が一夜にして『現代の映画』になったのです」と書いているが、それを言うなら、昨年暮れの不審船事件の方だろう。内閣調査室が北のスパイを追う過程を見せる(白島靖代の金で雇われた女スパイがよろしい)サブプロットは悪くない。エンタテインメント志向も買う。しかし、これぐらいのレベルで誉めてはいけないと思う。

2002/10/07(月)「ロード・トゥ・パーディション」

 マフィアのボスの息子と父親の殺人の場面を見たために、マフィアに追われることになる父と息子の物語。妻と次男は殺され、父親は復讐を誓い、長男とともに逃亡生活をしながら反撃に出る…。「アメリカン・ビューティ」のサム・メンデス監督は実にオーソドックスな物語をオーソドックスかつ映画的技法を駆使して、立派な作品に仕上げた。言うまでもなく、「アメリカン・ビューティ」より完成度は上であり、話の行く末は分かっていながらも、深い感銘がある。

 特に感心したのは映画的な技術を過不足なく使っていることで、例えば、殺し屋のジュード・ロウが登場する場面の逆ズーム(トラックバックしながらのズームアップ)とか、ここぞという場面のアクセントとして実によく決まっている。あるいはジュード・ロウとダイナーで対峙するトム・ハンクスのこめかみをゆっくりと流れる一筋の汗、長い逃亡生活を反映したワイシャツのえりの汚れなど、映画でなければ表現し得ない見せ方をメンデスは各所に駆使している。メンデスは演劇出身だが、映画的な技法を十分に身につけており、今やこういうオーソドックスな監督の方が少なくなってしまったからとてもとても貴重な存在である。

 話としてはありふれてはいるのだが、アメリカの田舎の農家の夫婦を出してきて、古き良きアメリカを感じさせたり(この老夫婦が再び顔を出すラストは絶対そうなると分かっていながらも涙、涙である)、父親と息子の誤解と愛情の深さをクライマックスの前に十分に描き出したりとか、メンデスの演出は緩急自在かつ間然とするところがない。

 これに加えて、トム・ハンクス、ポール・ニューマン、ジュード・ロウの演技の凄さ。二枚目のジュード・ロウはよくぞここまでという感じの怪演で、儲けどころの役柄をきっちりと演じきっている。息子役のタイラー・ホークリンも繊細な感じがよく、トーマス・ニューマンの音楽も素晴らしく、美術、撮影、衣装に至るまで充実しまくりの映画。父親と息子の関係を核にもってきたことで、大衆性までも備えており、これはもうロード・トゥ・オスカーは間違いないのではないかと思える。「アメリカン・ビューティ」でのアカデミー受賞はフロックではなかった。メンデスはこの映画で本当に一流監督の仲間入りをしたと思う。