2011/05/08(日)「浮雲」

 デジタル・リマスター版。確かにフィルムに雨が降ることもなくきれいだった。成瀬巳喜男の代表作で1955年のキネ旬ベストテン1位。昨年12月に亡くなった高峰秀子の代表作でもある。見るのは30年ぶりぐらいか。戦争中に仏印(ベトナム)で知り合った妻のある男と女が戦後、日本でもずるずると関係を続ける。ほかにも女(岡田茉莉子=22歳のころで、かなりきれい)を作り、煮え切らない男の森雅之と腐れ縁とも言える関係を続ける女の話、とまとめてしまえるだろう。これ、20代にはまず分からない。だから30年前の僕にも分からなかった。

 情けない男を演じる森雅之よりも高峰秀子のきれいさと演技に驚くほかない。これは高峰秀子だから傑作になった映画だ。テレビで見る高峰秀子は男っぽい、さっぱりした性格の人だったと思う。それが良い面でこの映画に生きている。必要以上に暗くならないのである。

 浮雲のように流れていく男女は最後は雨が降り続く屋久島へ行くことになる。高峰秀子は肺を病み、床に伏せっているが、それでも男についていく。山に仕事に行く男に「私は山に行けないの?」と聞く姿が切ない。医者もいず、電気もない国境の島・屋久島は当時の感覚で言えば、地の果てだろう。映画で分からないのはなぜ、女が地の果てまで付いていくほど男にこだわるのか、ということである。

 一つは若い頃、幸せだった仏印での恋に幻想を持っているから、ということがあるだろう。戦後の暗い日本とは違う、光り輝く青春時代を断ち切れないでいるわけだ。

 Wikipediaには、「成瀬はその別れられない理由については『身体の相性が良かったから』といった類の発言をしている」とある。身もふたもない発言だが、そういう部分は昭和30年の映画では描けない。温泉に混浴する場面を描くぐらいだ(どうでもいいが、後年の国鉄のCMであった高峰三枝子と上原謙の温泉シーンはこの映画がヒントだったのではないか。担当者が、同じ高峰だから、と連想したのかも)。それにこれは男の感覚ではないかと思う。原作の林芙美子はどう書いているのだろう。

 ここまで書いたところで、NHKの「邦画を彩った女優たち『高峰秀子と昭和の涙』」を見た。「二十四の瞳」と「浮雲」を中心に高峰秀子の女優としての道のりを描く。高峰秀子は20歳以上年上のプロデューサーと関係を続けた体験があったのだそうだ。なるほど。Wikipediaに「結婚を想定して交際していた会社の重役が後援会費を使い込み、しかも他の女性と交際していた事が発覚したことから疲れ果てて1950年11月新東宝を退社」とある。ついでに「『馬』で助監督を務めた黒澤明と撮影中に恋に落ちたが、母親の反対で強引に別れさせられた」こともあるそうだ。

 最後の映画はテレビに仕事の場を移していた木下恵介が久しぶりに撮った「衝動殺人 息子よ」(1979年)。僕はこの映画、大学時代に見たが、高峰秀子の印象は薄かった。良かったのは主演の若山富三郎とゲスト出演的な藤田まことだった。

 キネ旬4月下旬号には高峰秀子の追悼特集が掲載されていた。かなりボリュームのある特集で、50年間にわたる300本以上のフィルモグラフィーやインタビューも収録されている。インタビューの中で高峰秀子は「『浮雲』が良かったのは、森さんが上手だったからですよ。森さんがきちっとしてたから名作になったと思いますね」と語っている。

2011/05/05(木)「地獄門」

 これもBSプレミアムで放送。デジタル・リマスター版。菊池寛の原作「袈裟と盛遠」を衣笠貞之助監督で映画化。長谷川一夫が人妻(京マチ子)に横恋慕する迷惑な男を演じる。カンヌ映画祭グランプリとアカデミー衣装デザイン賞、名誉賞(今の外国語映画賞)を受賞したのは有名。主にカラーの美しさの評価なのだろう。昭和28年当時は驚異的な技術であっても、今見ると、なんてことはない。というより、カラーが人工的に感じる。今の映画のナチュラルさに比べて、作った色合いに見えるのだ。

 映像の技術よりも物語とそれを語る技術の方が普遍的なのではないかと思う。今のCG多用映画も50年後には陳腐なものになっているかもしれない。いや、今でも陳腐な映画は多いんですけどね。BSプレミアムではデジタル・リマスターの放送が相次いでいる。映画がきれいになることは歓迎すべきことではある。

2011/05/03(火)「若者たち」

 BSプレミアム「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 家族編」の枠で放映された。歌は有名でも映画を見るのは初めて。甘い内容を想像していたら、全く違い、時代に深くかかわったさまざまな問題を提起していて、胸を揺さぶられるような作品だった。

 親を亡くした5人きょうだい(田中邦衛、橋本功、佐藤オリエ、山本圭、松山省二)が時に激しく対立しながらも、助け合って生きていく姿を描く。1967年の作品。昭和40年代といっても、まだ貧しいのが普通の時代だったのだなと思う。ご飯を一生懸命食べる姿はそのまま一生懸命な生き方を表している。登場人物たちのまっすぐな姿勢がとても気持ちよい。

 長男の田中邦衛は中学2年までしか学校に行かず、工事現場で働いて弟妹たちを食わせてきた。好きになった女(小川眞由美)から学歴がないことを理由に「(出世に)10年、15年回り道をすることになる」と交際を断られる。その晩、大学受験に失敗した末弟に「何年かかっても大学に行け、ボン」と声を荒げる姿に胸を打たれる。これ、田中邦衛の代表作ではないかと思ったら、毎日映画コンクールの男優主演賞を受賞したのだそうだ。

 元はフジテレビのドラマだが、宮崎はまだ民放1局の頃なので、当然のことながら僕は見ていない。映画について日本映画作品全集には「広範な若者たちの深い共感を得た。学歴による差別、被爆者の苦悩、出稼ぎ農家の苦しみ、働きつつ学ぶものの厳しさ、学園紛争の中で揺れ動く若者の心、現代における生きがいなど、多くの切実な問題が組み込まれ、見る者を考えさせる」とある。キネ旬ベストテン15位。3部作になっており、第2作「若者は行く 続若者たち」(1969年)は12位、第3作「若者の旗」(1970年)は25位にランクされている。山内久脚本、森川時久監督。