2014/12/01(月)エコキュート

 「エコキュートに切り替えませんか。毎月のガス代、灯油代の支払い分で導入できますよ」。九電工の人がセールスに来たそうだ。オール電化住宅にしませんか、というわけである。家を建てて17年。灯油ボイラーとガスレンジも耐用年数に近づいて(越えて?)きたところだったので、家内が見積もりをしてもらう日のセッティングをした。僕と2人で話を聞いた。

 わが家の光熱費を計算してみたところ、平均月額は電気12,428円、ガス4,767円、灯油2,700円の計19,895円だった。ご飯は土鍋を使い、ガスで炊いている。エコキュート(3-5人家族用、約65万円→48万7000円に値引き)とIHクッキングヒーター(約30万円→21万円に値引き)の見積もり結果は工事費(22万円もする)と消費税込みで99万3,600円だった。これを10年で支払った場合、月々の支払いは9,663円。15年の場合は6,933円だそうだ。ガスと灯油の平均月額は計7,467円なので、15年払いにすると、確かにその分で支払える。しかし、ガスと灯油で使っていた分の電気代は増えるので、高くなりそうな気がする。セールストークを鵜呑みにしてはいけない。

気になったので利子を計算してみたら、以下のようになった。

見積もり価格99万3,600円
15年払い 月額6,933円×12カ月×15年=1,24万7,940円(利子25万4,340円、25.59%)
10年払い 月額9,663円×12カ月×10年=1,15万9,560円(利子16万5,960円、16.70%)

 15年払いだと、25万円、25%以上も利子を取られるのが納得いかない。利子はもらうものであって、支払うものではない、という僕の方針に反する。だいたい、こういう「○○の支払い分で購入できる」という導入セールス、気をつけた方がいい。以前、よく電話がかかってきた投資用マンションのセールスと同じやり方だ。マンションと違うのは耐用年数を考えると、ボイラーもレンジも買い換える時期に来ていること。というわけで現地調査の日が決まった。

 空気の温度差を利用してコンプレッサーでお湯をわかすエコキュートについては以前、ちょっと調べたことがあって、その時は「どう考えても、熱の発生に費用がかかる以上、太陽光発電には負ける」という結論を出した。それでも導入に前向きになったのは今使っている太陽熱温水器との併用ができるということと、エコキュートの電気代が月額1000円程度と聞いたからだ。調べた時は太陽熱温水器は併用できないというケースがほとんどだった。九電工によると、蛇口を別に設置して風呂の給湯には使えるようにするという。それならば、特に夏場の電気代はやや抑えることができるだろう。

 具体的に計算してみる。電化DEナイトを導入すると、午後10時から午前8時までの電気料金は10.901円/kwh(燃料調整費、再エネ賦課金、太陽光発電促進付加金を加算)、午後5時-午後10時と午前8時-午前10時は23.421円/kwh。デイタイムは30.961円/kwh(通常期)、36.711円/kwh(夏季=7-9月)となる。朝夕に電気炊飯器(1200W)でご飯をたいた場合、

朝 1.2kw×10.901円×1時間×30日=392.436円
夕 1.2kW×23.421円×1時間×30日=843.156円

 購入予定のIHは最大3KW。ずーっと強火で調理するわけではないので、平均出力を2.5kw、使用時間を朝30分、夕方1時間としてそれぞれ2口使うと、

朝 2.5kw×2×10.901円×0.5時間×30日=817.575円
夕 2.5kw×2×23.421円×1時間×30日=3513.15円

炊飯器と合わせると、計5566.317円となる。これにエコキュートの電気代1000円を足すと、6,566円程度。ガスと灯油の今より900円ほど安くなる。年間10,812円のコスト削減。

 僕は寝るのがいつも午前2時半ごろなので、深夜電力が今の半分以下になる電化DEナイトの導入効果はそれなりにあるだろう。コスト削減の試算通りなら投資の回収には100年かかるが、深夜の電気料金とボイラーとレンジの購入費用を考えると、少ないながらも投資効果はあり、と判断した。現地調査で工事費用が跳ね上がらない限り、導入することになるだろう。支払いは一括にするつもりだ。

2014/11/24(月)「紙の月」

 いくらなんでもこのラストは吉田大八監督のアレンジだろうと思った。まるでリドリー・スコット監督の「テルマ&ルイーズ」を思わせる弾け方なのだ。ついでにもう一つ、映画で気になったことがあったので、確認のために、見終わってすぐに角田光代の原作を読んだ。ハルキ文庫版には吉田監督が解説を書いている。

 意外なことに原作のプロローグは映画のラストに当たる場面だ。しかし、映画で感じた主人公・梨花(宮沢りえ)の開き直った能動的な変化はここにはない。吉田監督は当初の映画化の構想について解説にこう書いている。

 梨花の「ほんとう」が再起動するのは全てを捨て、渡ったタイ・チェンマイに於いてだろうとまず考えた。

 だから日本の話は三分の一、残りはタイで逃げ続ける梨花を撮る。イミグレーションを越え、国境地帯をさまよい、最後は武装警察あるいは軍隊による包囲網を突破して走り続ける。立ち止まらないことで不可能を可能にする梨花、映画にするとしたらそれしか考えられないと僕は二回目の打合せでプロデューサーに訴えた。僕と初めて仕事をするプロデューサーはただ微笑んでいた。

 「テルマ&ルイーズ」を想起させられたのも間違っていたわけではなかったようだ。そういう風にしたいという思いを監督は演出でこの終盤に表現したのだろう。

 原作は日常の小さな違和感や不満が積もる様子を梨花だけでなく、その友人についても描いていく。映画ではこの違和感や不満を腕時計のエピソードで象徴している。梨花が夫(田辺誠一)のために買った安いペアウォッチを夫は仕事にしていこうとしないばかりか、経済的優位性を示すかのように梨花にカルチェの時計をプレゼントするのだ。そうした中、梨花は平林光太(池松壮亮)と出会う。銀行の顧客である光太の祖父(石橋蓮司)の自宅で会った後、駅のホームで光太とすれ違い、短い言葉を交わす。そして3度目、駅の反対側のホームで光太を見つけた梨花は光太のいるホームへ向かう。映画はこの後、ホテルに行く2人の場面に移るのだが、ここの梨花の心理が僕には分からなかった。

 原作ではこうなっている。祖父の家で出会った後の帰り道、梨花と光太は世間話をする。その後、銀行の飲み会の帰りに梨花は光太と遭遇し、飲みに誘われる。「よく気づいたわね」と尋ねた梨花に光太は「最初に会ったとき、いいなって思ったから」と答えるのだ。そして光太は銀行に電話をかけて梨花を呼び出し、自主製作映画に出るように頼む。こういう風に原作は梨花の中で光太の存在が大きくなっていく過程を丹念に積み重ねていく。これなら納得できる。

 大急ぎで映画を擁護しておくと、物足りなかったのはこの梨花の光太への思いに関する部分だけで、それ以外はとても納得できた。銀行の支店に勤務するお局様のような小林聡美と若い大島優子は映画のオリジナルのキャラクター。近藤芳正が演じる次長も含めて支店内の人間関係とその業務の描写が実に面白い。そして若い男に貢ぐために1億円を横領した女の転落の話という観客の予想を超えて、映画は最初に書いたような一種の爽快さを感じさせるラストへ到達するのだ。

 梨花の変化のきっかけは光太であったにしても、元々、梨花の内面にあったものが発現したのだという風に、吉田監督は描きたかったらしい。だから梨花と光太の関係の始まりをくどくどと描くことをやめたのだろう。ラスト近く、「一緒に行きますか?」と小林聡美に問いかける梨花のセリフは、一緒に煩わしい日常のしがらみを捨てませんか、と言っているに等しい。吉田監督、うまいなと思う。

2014/11/23(日)「インターステラー」

 年季の入ったSFファンにしか、どうせ分からないだろうから書いてしまうと、クライマックスのアイデアはグレゴリー・ベンフォード「タイムスケープ」を援用したのではないかと思う。破滅に瀕した世界と、未来から(時間と空間を超えた場所から)送られるモールス信号というのが共通しているのだ(救いを求めている方向は異なる)。もちろん、監督と脚本のクリストファー&ジョナサン・ノーラン兄弟は映画全体を「タイムスケープ」の単純なコピーにはしていない。アイデアを解体し、父と娘の絆を核にして本格SFのストーリーに胸を揺さぶる豊かな情感を持ち込んでいる。この情感が素晴らしい。これを見ると、「2001年宇宙の旅」などはプロットだけの無味乾燥な映画に思えてくる(「2001年」は1968年に作ったことに大きな意味があったのだけれど)。

 世界がなぜ破滅に瀕しているのかは説明されない。大規模な砂嵐が襲い、家の中まで砂にまみれ、人々は肺を患っている。穀物は疫病にやられて食糧危機に瀕している。穀物だけではない。植物も生育できなくなれば、酸素は供給されず、人類には地球規模の窒息死が待っているのだ。科学よりも食糧危機をなんとかするために農業が優先される時代で、学校ではアポロ11号の月面着陸を嘘っぱちと教えている始末。そうした暗い時代にあっても元宇宙船パイロットの父親クーパー(マシュー・マコノヒー)と10歳の娘マーフ(マッケンジー・フォイ)は科学の力を信じている。人類を救うため、移住可能な惑星を探して宇宙に旅立つことになった父親とそれを引き留めようとするマーフ。クーパーが拗ねたマーフに「必ず帰ってくる」と約束する言葉が胸を打つ。

 ここから映画はワームホールや冷凍睡眠、相対性理論によるウラシマ効果というSFのガジェットを使い、一気に時間を進める。地球では父親が旅立った後、成長したマーフ(ジェシカ・チャステイン)が当然のように物理学者の道に進むことになる。何年たっても帰らない父親について、マーフは「自分たちを見捨てた」と考えるようになるが……。

 序盤に描かれた父と娘の絆はクライマックスまで作品の中心に流れていく。マット・デイモンが登場するエピソードは人間の狭量さが見え過ぎて決してうまいとは言えないなどの瑕疵もあるが、「スター・ウォーズ」以降量産されてきたSF映画の中では「ブレードランナー」や「マトリックス」と並んでマイルストーンとなるSF映画であり、同時にクリストファー・ノーラン最良の作品でもあると思う。良質のSF小説の味わいを持ち込めたのはノーラン兄弟がSF小説を読み込み、それを血肉にしているからに違いない。

2014/11/16(日)「FORMA」

 高校時代の同級生・由香里(松岡恵望子)が道路工事の誘導係をしていた綾子(梅野渚)と再会し、「人手不足なので自分の勤める会社で働かないか」と誘ったのが発端。好意の人に思えた綾子だが、由香里にコピーのやり直しや上司の自分に敬語を使うよう命じ、ネチネチとしたいじめが始まる。由香里の婚約者・田村(仁志原了)には高校時代の由香里について告げ口する始末。湊かなえのミステリのようないやーな話、でも面白いと思っていたら、映画は中盤で意外な展開に突き進む。

 坂本あゆみ監督によると、クライマックスの24分間のワンシーンはリハーサルなし、本読みなしの一発勝負だったそうだ。ここの長回しは一定の効果を挙げているが、全編ワンシーン・ワンカットで撮ることには疑問を持つ。映画はカットを割るのが本道だからだ。こういう撮り方をしたのはカットを割る技術と予算的な制約があったのではないかと想像してしまう。

 坂本監督との共同作業の末、仁志原了の脚本は25稿に及んだという。内田けんじの映画を思わせるようなこの脚本がよくできている。綾子が段ボール箱にボールペンで穴を開け、それをかぶって歩く冒頭のシーンの意味はなんだろうと思ったが、映画の展開を見れば、物事を単眼で(一面的に)狭い視野から見てはいけないことのメタファーなのだろう。

2014/11/16(日)Android5.0

ゲーム

Android5.0のイースター・エッグ
 Nexus 10にAndroid5.0ロリポップへのシステムアップグレードの通知があったので実行。ダウンロードファイルは325.5MB。インストール自体は5分程度だが、再起動した後、インストールしてあるアプリ(150個あった)の最適化に時間がかかる。

 写真左はイースター・エッグのスクリーンショット。端末情報のバージョン番号を何回かタップすると出てくる。さらにこれをタップしたりスワイプしたりしていると、写真右のゲーム画面が出てくるのはお約束。Androidのマスコットキャラをロリポップの間にくぐらせるゲームらしいが、なかなか難しい。

 Nexus 7にはまだシステムアップグレード通知は来ていない。

 WOWOWのメンバーズオンデマンドはAndroid5.0にはまだ対応していない。よく使う人はアップグレードをしばらく待った方がいいようです。