2014/09/11(木)「オーガストウォーズ」

 2008年の南オセチア紛争(ロシア・グルジア戦争、8月戦争)を舞台に描くSF戦争アクション、というのは真っ赤な嘘。SFの部分は子供の空想に過ぎず、本筋はSFでもなんでもない。国境近くの戦場に取り残された子供を救いに行く母親の姿を描いている。

 ロシア映画なのでもちろんロシア側視点でロシアの正当性を強調して作られている。なんせ、敵兵はすべてマスクをかぶっていて素顔が見えないのだ。敵を人間として描くことを放棄しているわけだ。話自体にもリアリティがない。

 それ以上に数年前に起きた実際の戦争をこんな風に描くのはどうも釈然としない。グルジアの人たちがこの映画を見たら、「いい気なもんだ」と怒るのではないか。きっと数年後にはウクライナのクリミア危機を舞台にした映画が作られるのでしょう。

2014/09/10(水)「LUCY ルーシー」

 使っていない脳の領域を覚醒させたら、ああいう超能力が使えるようになるという設定にリアリティーがないし、その引き金になるのが組織の作ったドラッグというのも説得力を欠く。だいたい、あんなチンケな組織をやっつけるのに能力を100%覚醒させる必要はないだろう。超能力の無駄遣いもはなはだしい。

 リュック・ベッソン、完全にSFの領域に踏み込んで映画を作るのは自信がなかったのだろう。だから手慣れた題材にSF風味を取り入れてみましたという感じの映画にしかならない。組織の凶悪なボス、チェ・ミンシクの役柄と役作りは明らかに「レオン」のゲイリー・オールドマンを踏襲している。

 89分という短い上映時間なのに長く感じるのはアイデアと展開のさせ方に工夫が足りないからだ。安全パイで造ったら、いいところなく失敗した例と言える。まあ、それでもスカーレット・ヨハンソンの魅力を十分に見せてくれれば良かったのだけれど、能力が覚醒してからのヨハンソンは表情が消えてしまい、あまり魅力がないのが残念だ。

2014/09/07(日)「ぼくたちの家族」

 「キョウコさん、今日は一晩中付き合ってほしいんですけど」

 「あたし、童貞君はNGだから」

 という池松壮亮と市川実日子のやり取りでクスッと笑い、その後のラッキーカラーとラッキーナンバーのエピソードで石井裕也監督、うまいなあと思った。ラッキーカラーのだめ押しで黄色いタクシーが出てきたところで場内は爆笑である。物事がそんなにうまくいくはずはないし、そんなに偶然が続くわけでもないが、「こうしたことあるある」「こんなことがあってもいいよね」と思わせるのだ。

 母親(原田美枝子)が脳腫瘍で余命1週間と宣告されるのが発端となるような映画で誰が笑いを予想するだろう。脳腫瘍のほかに両親の多額の借金も出てくるし、無粋な監督が撮ったら、陰々滅々の映画になっていてもおかしくなかった題材なのだ。突然、関係ないことを口走る原田美枝子の絶妙の演技で幕を開けた映画は家族(父親と息子2人)の苦悩を描きながら、ユーモアを挟むことでキャラクターに血肉を通わせる。これが映画に膨らみを持たせることにもつながっている。実際、どんなに深刻なシチュエーションであっても人間、1人でなければ、家族や仲間がいれば、ずーっと苦虫を噛み潰したような顔をしているわけではないだろう。映画が終わっても、家族が抱えた問題は何一つ解決しないが、それでも気分はとても晴れやかになる。

 石井裕也監督の手つきは日本映画がかつて得意だった笑いとペーソスではなく、かつての良質なハリウッド映画の洗練を感じさせる。小品だが、秀逸な家族映画だ。

2014/09/06(土)「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海」

 中高生向けかと思ったら、小中学生向けのようだ。可もなく不可もなしのレベル。子供にせがまれて一緒に見に行く親もそれほど退屈せずに見られるレベルにはなっている。本当は親ものめり込んで見るような映画が望ましいのだけれど。

 こうしたファミリー映画が興行上強いのは日本もアメリカも同じなのだ。クロノスがあんなに簡単に倒されて良いのだろうか。あれでは神ではなく、単なる怪物だ。

2014/09/06(土)「ホワイトハウス・ダウン」

 これだけ見れば、そこそこの出来になっているが、先行作品のアイデアを引っ張ってくるだけでは情けない。定番の「ダイ・ハード」にロバート・アルドリッチ「合衆国最後の日」の風味を加えてみました、という感じの映画だ。

 特に「ダイ・ハード」の細部まで真似ているのが気になる。テロリストに1人のヒーローが立ち向かうという設定は同じでも仕方がないが、細部のエピソードにはオリジナルがほしい(「エンド・オブ・ホワイトハウス」もそうだった)。脚本家はお手軽に考えず、本気でアイデアを絞り出してはどうか。