2013/05/09(木)ジェネリック医薬品について

 家内は発熱、僕は喉がいがらっぽく、体がだるい。連休中に発熱で寝込んでいた長男の風邪がうつったらしい。昨日、病院に行ったら、家内はインフルエンザB型だった。僕は陽性反応は出なかったが、「たぶん潜伏期間でしょう」とのことでインフルエンザの可能性が高いようだ。というわけで、夫婦それぞれタミフルと解熱剤を5日分処方してもらった。午前中はそれほどでもなかったが、だんだん熱が上がって昨日は結局37.8度まで。今朝は少し下がった。

 で、昨日、調剤薬局の人から「ジェネリック(後発)医薬品を使用しますか?」と聞かれた。なんとなく「いいえ」と答えたが、使ってみれば良かったかな。どれぐらい価格が違うんだろう。Wikipediaによると、日本ではジェネリックの使用は進んでいないそうだ。欧米では5割の普及率なのに日本では1割程度とか。

 先発医薬品に比べて効果は変わらないといわれる。なのにジェネリックを選びたくないのは効果に疑問を感じる心理があるからだろう。自分のためだけでなく、国全体の医療費抑制のためにも積極的に選んだ方がいいのだと思う。

 最近、何かでジェネリックについて読んだ覚えがあったので、調べてみたら、吉本佳生さんの「クルマは家電量販店で買え!」の第4章だった。

 ジェネリックは先発薬より2割から8割安いそうだ。国別のシェアを見ると、日本はジェネリックが19%しかないのに、フランス39%、ドイツ56%、イギリス59%、アメリカ63%となっている。気になる効果だが、後発薬メーカーは先発薬の20年間の製造特許が切れた後に製造するので、成分などもそっくりそのまま真似して作って何ら問題はない。ならば、同じような効果が期待できると考えてよいのではないかと思う。

 後発薬メーカーが安く販売できるのに、先発薬メーカーがそれをやらない点について、吉本さんは「価格を下げても販売量はそんなに変わらず、利益を下げることになるから」と指摘している。例えば、価格を5割下げると、同じ利益を上げるには今までの2倍の販売量が必要になる。損すると分かっていることをメーカーはやらないのだ。

 というわけで、どう考えても、ジェネリックを選択する方が合理的だ。以前はジェネリックを使うかどうかなんて聞かれたことはなかった。国の指導があったのかもしれない。どうせ聞くなら、「同じような効果で価格の安い薬を使いますか?」と聞いてもらえば、ジェネリックを選択する人が増えるのではないかと思う。ジェネリックと言っても、高齢者には分からないかもしれない。

 僕は解熱剤を処方されてもほとんど飲まない。かなり高熱の場合を除けば、熱は出たままにしておいた方がいいからだ。どうせ飲まないなら、高い料金を払うのはバカバカしい。次からは積極的にジェネリックを使おう。

2006/08/19(土)最終日

 ベランダから見た軽井沢倶楽部ホテル石垣島午前7時ごろ起床。昨日と同じバイキング(少し中身は変わっていた)を食べ、家族は9時からプールへ。僕は部屋で「SF魂」を読み終える。おみやげなどの荷物を宅配便で送り、11時にチェックアウト。軽井沢倶楽部ホテル石垣島はいいホテルと思うが、部屋数が少ないだけにレストランも2つしかないのが少し不満。2泊3日の滞在なら3つレストランが欲しいところ。町中にあるのなら、それでもかまわないのだが、少し離れているので、余計にそう思う。まあ、ぜいたくな望みか。いいホテルであることは強調しておきます。

 特に計画は立てていなかったので、とりあえず川平湾に向かう途中にあったバンナ公園へ。「バンナ公園が位置するバンナ岳は、石垣市街地の北方約4kmにあって、南北におおむね230mの標高を連ねる長い稜線をもった、およそ400haにわたる森林丘陵地帯」とのこと。県営公園らしく見るものはあまりなかった。急な坂道を車で上り、展望台に上がってみる。石垣島を一望できる場所だが、残念ながら曇りでもやがかかっていた。

 続いて八重山民俗園へ。八重山生活体験テーマパークとのこと。とりあえず園内にあるレストラン(というよりは食堂)で昼食。僕は沖縄料理はあまり好きではないが、メニューにそれしかなかったのでチャンプルー定食を頼む。要するにゴーヤの入った野菜炒めだが、塩味がきいていて意外においしかった。家内は八重山そば。店の人によると、ソーキソバと麺は一緒で、乗せる具が違うという。子供はお子様ランチ。

 入園料大人500円、子供200円を払って園内へ。これまたあまり見るところはないし、規模も小さい。次女はリスザルがいたので喜んでいた。あとはのんびり海沿いをドライブ。当初、泊まる予定にしていたフサキリゾートビレッジを見てみたが、軽井沢倶楽部ホテルの方がいい感じだった。

 午後4時55分発の飛行機で那覇へ。空港で夕食を食べ、宮崎に帰る。着いたのは午後9時前。

 今回、石垣に行ったのはちょうど八重山商工が甲子園で活躍した直後だった。石垣は八重山諸島の中心で、それなりに人口も多い。西表島や他の離島では中学を卒業すると、高校へ行くために石垣か沖縄本島に行くのだという。石垣と他の離島の関係は沖縄本島と石垣の関係と同じようなもので、その上に沖縄本島と本土の関係があるように思う。短い観光だったが、沖縄の離島には本島とは違った良さがあり、離島に行かないと、沖縄は分からないなと感じた。

2006/08/18(金)島巡り

 竹富島の町並み午前2時過ぎに激しい雨の音で目が覚める。ベランダへ出てみたら、スコールのような雨。台風10号の影響か。ベッドへ戻り、再び寝る。目覚めたのは午前7時過ぎ。雨は上がっていた。朝食は2階のレストラン「アマンダ」でバイキング。まあ、普通の料理がそろっていた。

 レンタカーで午前8時40分ごろ出発。石垣港へ向かう。今日の予定は竹富島、西表島、由布島の3島巡り。安栄観光という会社の高速船「あんえい58号」でまず竹富島へ向かう。石垣港から12分ほどなのだが、うねりがあるためか凄い揺れだった。上下動がもの凄く、ピョーンと上がってストンと落ちる。ほとんどジェットコースターに乗っている感覚。三半規管の弱い家内はすぐに船酔いし、青白い顔になった。船に弱い人にはとても勧められない。竹富島に着いたら、グラスボートに乗り、珊瑚礁を見る。僕はあまりこういう自然の光景に感動する方ではないので、フーンという感じ。島に戻って、ワゴン車で島内を案内してもらう。

 サキシマスオウノキ写真星砂浜とか海水浴場のコンドイビーチとか竹富の町並みなど。海は遠浅でとてもきれいだった。こういうところで泳いでみたいものだが、駆け足の観光なのでそういう時間はない。町並みは伝統的建造物群保存地区に指定されていて、赤い瓦屋根のきれいな家が並んでいる=写真右=。人口は350人ほどとか。家を新築・改築する際には町並みに合った家を造らなくてはいけない。その代わり国の補助が出る。

 あっという間に竹富観光は終了。再び高速船に乗り、石垣港へ帰る。今度は「あんえい18号」。ほとんど揺れなかった。行きのもの凄い揺れは船が悪かったのか、操縦が悪かったのか、海の状況が悪かったのか不明。しかし、あんな揺れはその後2度となかった。

 チサンリゾートホテルで昼食を取り、またまた高速船に乗って西表島へ。ここが今回の旅行ではもっとも面白かった。石垣島から西表島まで船で40分ほど。港で小さな船に乗り換え、仲間川を6・5キロほどさかのぼる。ここには日本最大のマングローブの群落がある。ガイドさんの説明でマングローブとは単体の木を指すのではなく、淡水と海水の混じった土地に生える植物の総称ということを初めて知った。川の周囲の景色はまるで熱帯雨林。川幅が広く、アマゾン川を思わせる。ワニが出てきてもおかしくない雰囲気。6・5キロさかのぼったところで接岸し、樹齢400年というサキシマスオウノキ=写真左=を見る。「森の巨人たち100選」に選ばれた木なのだそうだ。幹回り345センチ、高さ18メートル。板根(ばんこん)という巨大な根を作るのが特徴。

 川を下って、港へ戻り、バスで島内を観光。といっても由布島対岸までの20分ほど。西表島は特別天然記念物のイリオモテヤマネコを保護するために島内の開発が制限されている。大きな道路も1本しかないという。ほとんどはジャングルのまま残っている。運転手兼ガイドさんによると、人口はようやく2000人を越えたところだという。マラリアが根絶したのは昭和30年代。住むには厳しい環境なのである。島の小学校は児童数が一ケタで、運転手さんは「まじめな話、だれか子供連れで住んでくれる人がいたら紹介してください。町営住宅も準備して待ってます」とのこと。

 道路沿いにはイリオモテヤマネコ保護の看板がよく目に付く。イリオモテヤマネコは現在100頭ほどがいると推測されているが、年間2、3頭、交通事故で死ぬそうだ。側溝は動物が落ちてもはい上がりやすいように浅くV字型をしている。道路の下にはヤマネコが通れるトンネルも整備されているそうだ。しかし、個体数が約100頭というのはほとんど絶滅間近という感じ。100頭を切ると、ほぼ絶滅に向かうと言われるのだ。アメリカのバイソンも危なかったが、あれは国の保護によって復活できた。もともと人目に付かないイリオモテヤマネコの保護は難しいと思う。

 由布島の水牛由布島は西表島のすぐそばにある。干潮時にはほぼ陸続きといってもいいぐらいで長靴を履けば歩いても渡れるが、観光客は水牛車で渡ることになっている。1969年の台風で壊滅的な被害を受け、200人ほど住んでいた島民は一人を除いて対岸の西表島に移り住んだ。一人残った老人が熱帯植物を植え、現在のような観光地にした。と、ガイドさんが説明した。島全体が熱帯植物園のようなもので、なんてことはないが、水牛がいる風景はそれなりに物珍しい。

 バスで港へ戻り、高速船に乗って石垣港へ。近くの駐車場に駐めていたレンタカーでホテルへ戻る。駆け足の観光と船の乗り継ぎでぐったり。夕食は市街地のレストランで食べようと思っていたのだが、疲れていたのでホテルのレストランへ行く。家内と僕は石垣牛ディナー(6000円のところ、宿泊客は1000円割引)。家内はヒレ、僕はサーロインを頼む。子供はハンバーグとかお子様ランチ。ヒレもサーロインもおいしかった。やはり、昨日の焼き肉は肉が悪かったんだなあ。風呂に入った後、家族はまたもやカラオケルームで上映している「容疑者 室井慎次」へ。僕は部屋でゆっくり。11時ごろ就寝。

2006/08/17(木)石垣島

 川平湾写真「ベルトを外してください」。宮崎空港の搭乗口で言われた。金具があるので金属探知機の反応を防ぐためらしい。こんなことは初めて。先日、イギリスでテロの犯人が捕まったことも影響しているのか。厳しくなったんだなあ。と思いつつ、外してゲートを通る。女性も外すように言われていた。

 台風10号が接近していたが、幸い、飛行機は無事に飛んだ。離陸の際に少し揺れたぐらいで、大きな影響はなかった。2泊3日の恒例の家族旅行。過去2年間は沖縄へ行ったので、今年は石垣島に決めた。那覇空港には10時15分着。待ち時間が1時間半ほどあったので、空港のレストランでサンドイッチを食べる。11時40分発の飛行機で石垣空港へ。飛行時間は50分ほど。石垣空港は小さな空港で、到着ロビーも狭い。オリックス・レンタカーの人が来ていたので、ワゴン車に乗って送ってもらい、ダイハツのブーンを借りる(この車、僕は知らなかった)。リッターカーで非力。ま、石垣には坂道もそれほどないのでいいでしょう。

 ホテルは軽井沢倶楽部ホテル石垣島。チェックインが3時からと遅いので、とりあえず、川平湾=写真=へ行く。日本百景に選ばれた場所とのこと。展望台から眺めてみたが、曇り空だったので、エメラルドなどに刻々と色を変えるという海の色もそれほどでもなかった。

 ホテルへ向かったら、ちょうど3時。ホテルの人は親切で駐車場に車を駐めると、出てきて荷物を運んでくれる。いろいろと説明を聞いて部屋へ。もともとベッドが4つあるが、うちは5人家族なのでエクストラベッドを一つ入れてある。広くて快適。ベランダから海が見える。さっそくプールへ行く。50部屋ほどのホテルのためか、プールは決して広くないが、そもそも泳いでいる人が少ない。うちのほかに一家族いたが、そのうちいなくなり、プールを独占。昨年泊まった沖縄のリザンシーパークホテル谷茶ベイとは随分違う。しかし、高級感があり、こぢんまりとしたいいホテルだと思う。

 2時間ほど泳いで夕食。2階の外にあるバイキング。いろいろそろっていて石垣牛の焼き肉もあった。もも肉だったためか、味は今ひとつ。本来はこんなものではないでしょう。明日は本格的なステーキを食べようと決意。料理を食べながらオリオンビールをジョッキで2杯飲み、泡盛をロックで2杯。途中で地元の男性歌手がステージで沖縄民謡を歌った。バイキングに来ているのも50人ほどか。ここのバイキングは宿泊客は大人4900円。料理が特別においしいわけでもないので少し高いと思うが、沖縄民謡を聴けたのは良かった。三板(サンバ)を貸してくれたので歌に合わせて家内がたたいていた。アットホームな雰囲気は悪くない。

 部屋に帰り、1階にある浴場へ長男と行く。浴場は狭いが、サウナもある。客が少ないのでこれで十分という感じ。サウナは苦手だが、長男と一緒に1分ほど入る。水風呂に入ると、心臓麻痺が怖いので遠慮。自動販売機で缶ビールを買って部屋に帰る。家族はカラオケルームでビデオ上映している「チャーリーとチョコレート工場」を見に行く。僕は部屋に残り、持ってきた小松左京「SF魂」を読む。飛行機の中からずっと読んでいたが、これは小松左京のほとんど自伝と言うべきもの。といっても文体が小松左京とは異なるのでゴーストライターが書いたのだろう。知っているエピソードも多かったが、楽しく読んでいるうちに眠ってしまった。午後10時ごろだったか。

2004/12/23(木)爆笑厳禁

 骨折して5日目。そろそろ痛みが収まってくるのではと少なからず期待していたが、まだまだ痛い。痛みには慣れてきたが、痛いのに変わりはない。一番の敵は笑いと咳である。幸いなことにクシャミはまだ出ていない。これが一番痛いんだろうと想像する。咳はなんとか我慢できても笑いはなかなか我慢できない。ついつい笑ってしまうと、体を折り曲げて痛がることになる。すると、ますます痛い。

 きょうも家で爆笑してしまい、七転八倒した。いや本当に転がったわけではない。そんなことをしたら、痛みは想像を絶する。

 宿題をしていた長女がこう聞いた。

 「『進む』の反対は何?」

 家内が答える。「退くでしょう。進退って言うから」

 長女のそばにいた小学1年の次女がポツリと言った。

 「むすす」

 これがいけなかった。笑いと痛みが同時にこみ上げてきて、我慢できない。くずおれて苦しむ羽目になった。「むすす」という語感がおかしかったからではない。僕が冗談で言おうと思っていたのに先を越されたからだ。「こいつ、同じこと考えやがって」と思ったらおかしくてたまらなくなったのである。苦しんで体を震わせていると、体の中で「ベリッ」という響きがあった。

 うーむ。形成され始めた仮骨が剥がれたのかもしれない。家にいると、肋骨骨折はなかなか治りませんね。かといって、会社でも昨日、爆笑してしまって苦しんだんですけどね。