2002/10/28(月)「トリプルX」

 ノリのいい音楽で綴られるアクション映画。007と正反対のシークレット・エージェントを主人公にして(冒頭に007風のエージェントが敵に殺される場面がある)、特色を出そうとしたのだろうが、やはり007的な展開からは抜け切れていない。というか、ほとんど007。特に終盤、悪の組織(アナーキー99)が人類抹殺の兵器を出してくるあたり、少し前の007そのままだ。

 ロブ・コーエン監督のアクション場面の撮り方は悪くないし、主演のヴィン・ディーゼル(「ピッチブラック」)も相手役のアーシア・アルジェントも(声がかわいければ、もっと)良いのだが、ストーリー・テリングは大ざっぱ。主人公の行動に説得力を持たせる要素と緻密な演出が必要だったと思う。

 しかし、少なくとも同じチェコを舞台にした「9デイズ」などよりは相当いい。雪崩からスノボーで逃げるシーンや爆発の中をオートバイで逃げるアクションなど、CGやスタントを使っているのがありありなのだが、それなりに見せてくれる。これはディーン・セムラーの撮影も貢献しているようだ。アクション場面だけをのんびり見て楽しむ気楽な作品というところか。

 なお、アーシア・アルジェントはその名前の通り、ダリオ・アルジェント監督の娘なのだそうだ。監督作品もあるとのこと。

2002/10/22(火)「ノー・マンズ・ランド」

 ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争を描いて、今年のアカデミー外国語映画賞を受賞した。中間地帯(ノー・マンズ・ランド)の塹壕にボスニア人とセルビア人の3人が取り残される。1人の体の下には地雷が埋められて、身動きできない状態。互いにいがみ合うが、そのうち共通点が見つかるものの、やっぱりふとしたことで対立する。国連軍が駆けつけて救出を図り、マスコミも押し寄せて塹壕の中が報道される。不条理なシチュエーションで描く風刺劇である。

 「殺戮に傍観者はあり得ない。傍観は殺戮に加担することだ」というメッセージは分かるし、国連軍がただの一人も助けることが出来ない存在であることへの風刺や皮肉もよく分かるのだが、「OUT」のようなストレートな映画の後に見ると、分が悪い。傑作なのは認めますが、今ひとつ心に響かなかった。

2002/10/21(月)「9デイズ」

 予告編ではテロリストの手に渡った核爆弾を9日間の期限内に取り戻すシリアスな話のように描かれていたが、本編はまったく違う。殺されたエージェントの身代わりを務めるため、その双子の弟が9日間で訓練を受ける(双子の弟がいるとは実に都合の良い設定だ)。テロリストとの交渉はそこから始まるわけで、なんで「9デイズ」というタイトルなのさ、という感じである(原題は“Bad Company”)。

 主人公を演じるのはスタンダップ・コメディアン出身で、「サタデー・ナイト・ライブ」で人気を得たクリス・ロック。もともとの設定がコメディにしかならないような類のものなので、コメディタッチで作れば良かったものを、ジョエル・シュマッカー監督の演出はほとんどシリアス(この監督は「セント・エルモス・ファイアー」とかシリアスな映画の方がいい)。主人公を代えるか、監督を代えるかしなければ、成立しない映画である。

 だいたい、クリス・ロックとアンソニー・ホプキンス(CIAで作戦の現場指揮を務める)という組み合わせがまずダメである。ホプキンスをキャスティングしたのは映画興行の保険みたいなものだろうが、ホプキンスはシリアス、クリス・ロックはコメディ路線を勝手に進むだけだから、バランスが悪いことこの上ない。クリス・ロック自身、映画の主演を張るほどの風格はないし、字幕がセリフの面白さを伝えていないことを差し引いてもほとんど退屈である。

 冒頭のエピソードから描き方の手際が悪いが、話がその後ちっとも面白くならないので、後半に連続するアクションは見ていて虚しいだけ。ジョエル・シュマッカーという人はつくづくB級から抜け出せない人だな、と思う。

 パンフレットにあるホプキンスのインタビューを読むと、ホプキンス自身、まったくこの映画に愛着を持っていないことがよく分かる。エージェントから勧められたので出たのだそうだ。そう、金のためだけに出たんですよ、きっと。

2002/10/07(月)「ロード・トゥ・パーディション」

 マフィアのボスの息子と父親の殺人の場面を見たために、マフィアに追われることになる父と息子の物語。妻と次男は殺され、父親は復讐を誓い、長男とともに逃亡生活をしながら反撃に出る…。「アメリカン・ビューティ」のサム・メンデス監督は実にオーソドックスな物語をオーソドックスかつ映画的技法を駆使して、立派な作品に仕上げた。言うまでもなく、「アメリカン・ビューティ」より完成度は上であり、話の行く末は分かっていながらも、深い感銘がある。

 特に感心したのは映画的な技術を過不足なく使っていることで、例えば、殺し屋のジュード・ロウが登場する場面の逆ズーム(トラックバックしながらのズームアップ)とか、ここぞという場面のアクセントとして実によく決まっている。あるいはジュード・ロウとダイナーで対峙するトム・ハンクスのこめかみをゆっくりと流れる一筋の汗、長い逃亡生活を反映したワイシャツのえりの汚れなど、映画でなければ表現し得ない見せ方をメンデスは各所に駆使している。メンデスは演劇出身だが、映画的な技法を十分に身につけており、今やこういうオーソドックスな監督の方が少なくなってしまったからとてもとても貴重な存在である。

 話としてはありふれてはいるのだが、アメリカの田舎の農家の夫婦を出してきて、古き良きアメリカを感じさせたり(この老夫婦が再び顔を出すラストは絶対そうなると分かっていながらも涙、涙である)、父親と息子の誤解と愛情の深さをクライマックスの前に十分に描き出したりとか、メンデスの演出は緩急自在かつ間然とするところがない。

 これに加えて、トム・ハンクス、ポール・ニューマン、ジュード・ロウの演技の凄さ。二枚目のジュード・ロウはよくぞここまでという感じの怪演で、儲けどころの役柄をきっちりと演じきっている。息子役のタイラー・ホークリンも繊細な感じがよく、トーマス・ニューマンの音楽も素晴らしく、美術、撮影、衣装に至るまで充実しまくりの映画。父親と息子の関係を核にもってきたことで、大衆性までも備えており、これはもうロード・トゥ・オスカーは間違いないのではないかと思える。「アメリカン・ビューティ」でのアカデミー受賞はフロックではなかった。メンデスはこの映画で本当に一流監督の仲間入りをしたと思う。