2010/12/31(金)「トロン:レガシー」

 1982年の前作「トロン」は延々と普通の描写が続き、CGが始まったかと思ったらすぐに終わってしまった印象がある(パンフレットによると、CGのシーンは15分程度だったらしい)。CG自体は絵が変わっていてそれなりに面白く見たが、これでCG映画を標榜するのは羊頭狗肉に近いな、と思った。今回はCGだけはたっぷりある。前作にも登場したディスク・ファイトやライト・サイクル、監視用飛行マシンのレコグナイザーなどのシーンは随分パワーアップされ、スピード感を増して見応えがある。前作の主人公ジェフ・ブリッジスの若い姿もCGで表現されている。撮影は64日で終わったのに対し、VFXには68週もかかったそうだ。前作の監督スティーブン・リズバーガーは今回、製作に回っているが、CGの技術がまだまだだった28年前の捲土重来を果たす意図もあったのに違いない。サイバースペースの造型やスタイリッシュな衣装、重厚な音楽も良い。3Dにする必要はまったく感じないものの、ビジュアル的にはまあ、文句はない。

 ところが、前作同様にストーリーがいまいち面白くない。プログラムを擬人化するのは別にかまわないのだけれど、サイバースペースを牛耳る悪を倒すという話に新鮮さがないのだ。SFというよりはファンタジーの印象が強いのはSF的なアイデアがありふれているからだ(脚本は「LOST」のエドワード・キツイスとアダム・ホロヴィッツ)。11年前の「マトリックス」と比べてみれば、そのプロットの単純さはいかんともしがたい。CGの技術だけでなく、物語の技術に力を注いで欲しいものだ。

1989年、エンコム社のCEOとなったケヴィン・フリン(ジェフ・ブリッジス)が失踪する。20年後、息子のサム(ギャレット・ヘドランド)は父親の共同経営者だったアラン・ブラッドリー(ブルース・ボックスレイトナー)から連絡を受け、ケヴィンが所有していた古びたゲームセンターに足を踏み入れる。コンピューターを操作していたサムを閃光が包み、気がつくと、サムはコンピューターの中の世界にいた。そこはクルーという謎の人物が支配する世界。クルーは外の世界への進出を目論んでいた。父親と再会したサムはクルーの野望を砕くため、父親とISO(アイソー)と呼ばれる自由意思を備えたプログラムのクオラ(オリヴィア・ワイルド)とともに奔走する。 

ギャレット・ヘドランドはこの映画で若手の有望株に躍り出たらしい。相手役のオリヴィア・ワイルドも良い。映画がなんとか持ったのはブリッジスを含めた役者の魅力と映像のおかげだろう。監督はこれがデビュー作でCMディレクター出身のジョセフ・コジンスキー。CM出身だから映像の見せ方はうまいが、物語を語る技術の方はリズバーガーと同レベルのようだ。

2010/12/22(水)「白いリボン」

 キネ旬1月上旬号に翻訳家で評論家の芝山幹郎が書いているミヒャエル・ハネケ「白いリボン」の映画評が面白かった。この映画、今月初めの東京出張時に見たが、どう感想を書けば良いのか分からなかった。第一次大戦直前のドイツの寒村を舞台にした映画で、昨年のカンヌ映画祭パルムドール。この村では奇怪な事件がいくつか起きる。その犯人捜しの興味で見ていっても、すべての事件の犯人が分かるわけではない。映画の冒頭のナレーションが言う通り、戦争前の不穏な空気を村の事件に重ね合わせている、という解釈が一般的だ。僕もその程度の感想しか抱けなかった。

 芝山評が優れているのは以下のような部分。

 まあ、そういう解釈も不可能ではない。抑圧や不幸が凶事の種であることは周知の事実だし、窮境に置かれた人間が甘い餌に釣られやすいことも、また歪みようがないからだ。だが、『白いリボン』は教育映画ではない。教訓や寓意を読み取って能事了れりとする映画でもない。ハネケはむしろ、抑圧や不幸や窮境の形象化に力をそそぐ。こわばった人々を表に出し、快楽と不幸のよじれた関係をあぶりだそうとする。その力技はこの映画の磁力になっている。

 なぜ事件が起こったのか、誰が犯人なのかではなく、映画の主眼はそうした状況そのものにある。そこにどんな寓意を受け取っても、それは見る側の勝手という姿勢が感じられるのだ。描写そのものは明快で、白黒映画ながら映像も美しい。その先はどうなの、という感情がむくむくとわき上がってくるが、ハネケの興味はそんなところにはないのだ。医師が愛人の看護師に厳しい言葉を浴びせる場面とか、人間の醜さを描き出してすこぶる面白いのだけれど、なかなかやっかいな映画だ。

 芝山幹郎はハネケの映画が苦手だったと言い、この映画を認めながらも、最後にこう書く。「私はこの映画に感心したが、彼の体質と親しく付き合う方法をまだ発見していない」。この指摘が一般的な観客の正直な感想になるのではないか。

2010/12/04(土)「キャピタリズム マネーは踊る」

WOWOWで昨日放映したのを録画して見た。とても面白かった。昨年末に公開された日本ではあまり評価が高くなかったような気がするが、IMDBの採点は7.4と高い。マイケル・ムーアは1%の富裕層が90%の富を握るアメリカ資本主義の現状を痛烈に批判し、非富裕層に立ち上がれと呼びかけている。かといってムーアが社会主義を信奉しているわけではない。もっとシンプルに富の再分配の仕組みを求めているのだ。それはキリスト教の精神に基づくものなのだろう。

サブプライムローンによって銀行から家を取り上げられる人の場面で始まるこの映画、ブッシュ政権までのアメリカ社会のおかしさを懇切丁寧に怒りをこめて説明し、立ち上がった労働者たちのとても幸福で感動的なクライマックスを迎える。同時にユーモアが随所にあり、ウォール街の企業のビルの周りに「犯罪発生現場」の黄色いテープを張り巡らすシーンなどはムーアらしい。

ドキュメンタリーというよりは自分の主義主張を、事実をもって語らしめている映画。ドキュメンタリーは公平じゃないと、というトンチンカンな批判はこの映画にはまったく通用しない。原題は「Capitalism: A Love Story」。富裕層の資本主義への愛を表すと同時に、ムーアのアメリカへの愛の物語でもあるのだろう。アメリカを愛するからこそ、ムーアはアメリカに変わってほしいと願っている。

2010/11/23(火)「ノウイング」

 去年、なんとなく見逃した作品。デジタルWOWOWで放映したのを録画して見た。ディザスター映画かと思わせておいて、終わってみれば「ダークシティ」「アイ,ロボット」のアレックス・プロヤスらしいSFになっていた。だが、これはもう少しコンパクトにまとめるべき作品だろう。迫力ある災害シーンをCGで見せ、大作風になっているが、基本のアイデアは小粒なものである。冗長に感じるのはアイデアの発展がないからだ。ヒッチコックのスリラー風の音楽が終盤はSFチックなスコアに変わるのが映画の変化を表していて面白い。

 デジタルWOWOWと言えば、その画面のきれいさに今ごろちょっと驚いている。BSデジタルの画質はブルーレイに次ぐものらしいが、こんなにきれいならブルーレイソフトを買う必要は感じない。ダビング10ではなく、コピーワンスなのが惜しいところだが、WOWOWは同じ映画を何度も放映するのでそんなに問題にはならないだろう。遠隔録画予約のサイトDIMORA(PanasonicのブルーレイDigaシリーズ用のサイト)からせっせと録画予約している。Diga本体で予約するよりも番組表が見やすいし、検索も速いのでストレスがないのだ。外出先のパソコンや携帯からも予約できるのが便利。外出先で自宅のレコーダーにアクセスするのはSONYのロケーションフリーでもあったから別に驚かないが、ブルーレイというのはほぼパソコンに近いなと思う。

 テレビとレコーダーをデジタル化して不満なのがケーブルテレビの画質の悪さで、SD画質では録画する気にならない。宮崎ケーブルテレビのSTBは5年ぐらい前の製品なので、今のレコーダーやテレビのスペックより大幅に劣っているのだ。有料でもいいからHDMI端子付きのSTBに交換できるようにならないものか。

 同じことはこれまでにせっせと録りためたDVDにも言える。プラズマテレビで見ると、画質が貧弱で見る気にならない。いっぱいあるDVDがジャンクの山に思えてきた。

2010/05/01(土)「タイタンの戦い」

 特撮の巨匠レイ・ハリーハウゼンが担当した1981年の同名作品(デズモンド・デイヴィス監督)のリメイク。旧作は見ていない(公開当時の評判は良くなかった)が、「アルゴ探検隊の大冒険」などハリーハウゼンの一連のダイナメーションにはやっぱり驚いた経験がある。有名な骸骨と人間の戦いなどは作り物であることが見え見えであっても、それを長時間かけて実現した作りの苦労自体が感動の源になっているのだ。今回の新作は出てくる怪獣・怪物たちがCGで描かれているにもかかわらず、巨大サソリと人間の戦いの場面などに不自然さを感じる(わざとそうしたという説もある)。人間の俳優が絡む場面はいくら技術が進歩しても難しい部分があるのだろう。これを回避するにはフルCGで描けばいいが、それではアニメと変わらなくなる。

 とはいっても、この映画、VFXは全般的に水準を保っており、特にクライマックスに登場する巨大なクラーケンの造型などは面白く、なかなか全貌を見せない撮り方も良い。蛇女メデューサの動きの速さはダイナメーションでは表現できない部分だろう。「トランスポーター」「インクレディブル・ハルク」のルイ・ルテリエ監督だけにアクション場面にも抜かりはない。だが、平凡な印象が抜けきらない。同じくデミゴッド(半神)が主人公でメデューサが登場した「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」に比べれば面白く見たが、物語の部分がダイジェストにしか思えないのだ。いくらCGが進歩しようと、ドラマをしっかり組み立てなければ映画は面白くならないというのをあらためて感じさせられる作品と言える。

 主人公のペルセウス(サム・ワーシントン)は全能の神ゼウス(リーアム・ニーソン)とアルゴス国の前王妃との間に生まれたデミゴッド。怒った前国王に母親とともに海に流されたところを漁師に助けられて成長する。ゼウスは兄で冥界の神ハデス(レイフ・ファインズ)の提案を受け、神に戦いを挑んだ傲慢な人間たちを懲らしめることを決める。ハデスは現在のアルゴス国王に10日後に海の怪物クラーケンを放ち、国を滅ぼすと宣言。それを回避するには王女アンドロメダ(アレクサ・ダヴァロス)を生け贄に捧げなくてはならない。育ての親をハデスに殺されたペルセウスはアンドロメダを助けようと、クラーケンの退治法を探るため魔女のもとを訪れる。

 映画が今ひとつの出来に終わったのは育ての親を殺されたペルセウスの怒りがあまり伝わってこないからか。ルイ・ルテリエの演出はエモーショナルな部分に弱さを感じる。型どおりの演出なので、情感が高まらないのである。主演の「ターミネーター4」「アバター」のサム・ワーシントンはこうしたVFX大作にすっかりなじんできた感がある。特にハンサムとも思えないのに引っ張りだこなのが不思議だが、この映画でも可もなく不可もなしのレベルの演技を披露している。