2006/12/12(火)「硫黄島からの手紙」

 「硫黄島からの手紙」パンフレット中盤、捕虜にした米兵の母親からの手紙をバロン西(伊原剛志)が読むシーンがある。母親の息子への思いを綴ったその手紙があまりに自分たちと同じであることを日本兵たちは痛感することになる。これがこの映画の端的なテーマであるように思う。憲兵からパンをたかられ続けて最後にはパン焼き器まで供出させられ、店を閉めざるを得なくなった上に徴兵されたパン屋の西郷(二宮和也)や犬を殺せなかったばかりに憲兵失格となり、硫黄島に送られた清水(加瀬亮)のようにそれぞれの兵士にはそれぞれの境遇がある。故郷に残してきた家族への思いをそれぞれに持つ日本兵たちは米兵も同じ思いを持つことを知るのだ。

 これを突き詰めていけば、上が始めた戦争によって庶民が犠牲になっていくという側面が強調されただろう。しかし「父親たちの星条旗」同様にイーストウッドはそうした視点を突き詰めることはない。だから同じように不満を感じてもいいはずなのだが、この映画で気分がいいのは西郷のキャラクターがあるからにほかならない。一見すれば、この映画、硫黄島の日本軍を指揮した栗林忠道(渡辺謙)が主人公のように思えるのだけれど、実質上はこの西郷という下級兵士が主人公。西郷という男の在り方は、最初はアレック・ギネスと早川雪舟が主人公のように思えていたのに脇にいて戦争に批判的なことを口走り、その存在がどんどんどんどん大きくなっていった「戦場に架ける橋」のウィリアム・ホールデンのようなリベラルな在り方なのである。西郷は妻とまだ顔も見ていない子供のために生きて帰りたいと思っているのだが、かといって積極的に生き残ることに心を砕いているわけではない。生き残ったのは単に運が良かったからだろう。同時に西郷とはまるで正反対のタイプで、自爆攻撃をかけようとして戦車を待って待って待っていたのに戦車が来ないで生き残ってしまった伊藤中尉(中村獅童)もまた運が良かったに過ぎない。出征前の回想で西郷は妻のお腹の子に向かって「誰にも言うなよ。お父さんは生きて帰ってくる」と語りかける。サミュエル・フラーが「最前線物語」で描いた「戦場では生き残ることが正義」ということを声高に言うほどイーストウッドは単純ではないのだ。

 重要なのはこの生き残った2人の組織との距離感だ。西郷は最初から「こんな島、アメリカにくれてやればいいのに」と公言している。摺鉢山の洞窟の中で他の日本兵たちと一緒に手榴弾で自爆しなかったのは無駄に死ぬことよりも栗林の最後まで戦えという言葉の方に真実を感じたからだろう(このシーンは「父親たちの星条旗」の自爆した日本兵たちを発見するシーンと呼応している)。伊藤中尉は死体に紛れて戦車を待っているうちに青空をながめ、次第に死ぬことがバカらしくなっていったのだろう。組織に殉ずる者は死に、そこから離れた者は生き残る。そんな構図が見えてくる。ただし、イーストウッドが単純でないのは投降して助かったと思った日本兵が足手まといという理由で米兵に銃殺されるシーンを入れていることだ。

 セリフ回しがおかしな日本人が数人出てくるのを除けば、立派に日本映画として通用する作品であり、日本語だらけのセリフなのにイーストウッドの演出は少しも揺るがない。そこに大変感心した。同時にこれはハリウッド映画の精神で作られた戦争映画だなという思いも強くした。日本映画なのに西郷のキャラクターは先に書いたようにハリウッドのリベラルな主人公と共通しているのである。それが成功の要因でもあり、これならば、アメリカ人が見ても理解しやすいだろう。アイリス・ヤマシタとポール・ハギスの書いた物語はアメリカ映画という枠組みの中に日本映画を取りこんだものである。しかもキャラクター描写に具体性があり、だからこの映画は硫黄島の戦いというだけではなく、普遍性を持ち得ている。日本映画だったら、悲壮感のかたまりになるはずが、そうならずにドライな感じがあるのはアメリカ映画のなせるわざなのだろう。

 延々と長い戦闘シーンにはあまり感心しなかったし、実際の硫黄島の激戦を再現してもいないと思う。逃げる日本兵を背後から撃つ上官や持ち場を離れた兵士に刀を向ける上官の姿など、いつかどこかでみたような描写もある。イーストウッドは硫黄島の日本軍の戦略を描くことに興味はなかったのだろう。描きたかったのは日本兵たちもまたアメリカ兵と同じだったということであり、それに関しては十分成功している。

2006/12/03(日)「硫黄島の砂」

 太平洋戦線を戦った兵士たちの話で硫黄島が出てくるのは最後の30分。1時間50分の映画なのにそれはないよなと思うが、貴重なのは戦闘シーンに記録フィルムを使っていること。米軍がどれぐらいの弾薬を使ったか、その一端をうかがい知ることができる。

 最後は摺鉢山に星条旗を立てたところで終わる。実際の戦闘はそれから1カ月ほど続いたのだが、硫黄島の激戦から4年後の1949年に作られた映画なので、あの星条旗の意味はまだ残っていたのだろう。双葉十三郎さんの「僕の採点表」での評価は☆☆★★★と芳しくない。

 双葉さんはこう書いている。「クライマックスの硫黄島攻撃は相当な迫力で、摺鉢山のてっぺんに星条旗を立てる歴史的な場面が再現されるのだから、勝ったアメリカのお客が御機嫌になるのは当然だろうが、負けた日本の劇場が大入りとは何故でしょう。負けても戦争ごっこが好きなのか。ジョン・ウエインが珍しくも射たれてしまうのを見たいのか」

 ジョン・ウエインが映画で死ぬのはこれと「11人のカウボーイ」(1971年)「ラスト・シューティスト」(1976年)の3本だけではなかったかと思う。

 1949年の作品なので既に著作権は切れており、パブリック・ドメインとなっている。

2006/11/23(木)「ホテル・ルワンダ」

 「白バラの祈り」は主人公のまっすぐな姿勢に感銘を受けたが、この映画の主人公は生き残るために賄賂でもなんでも行う。それが地獄のような状況を強烈に浮かび上がらせている。僕がルワンダの虐殺を知ったのはビクトリア湖に流れ込んだ4万人の死体が報道されたころだが、ちょうどそのころ主人公は必死に生きる道を探していたのだろう。

 映画の中でジャーナリストの一人が言う。フツ族によるツチ族の虐殺場面がテレビで報道されても「人々は“怖いね”と言って、またディナーを続けるのさ」。西側諸国が一番ひどい状況の中でルワンダを見捨てたのは許せない。許せないけれども、報道を見たり読んだりしていた僕らも何もしていなかったのだ。その意味で西側諸国の対応を批判しつつ観客をも批判する映画と言える。

 少なくとも製作者たちは次に同じような事態が世界のどこかで起こった時に、観客に何らかのアクションを起こすことを求めているだろう。ユニセフの毎月の募金を始めなくちゃという気になる。

 監督のテリー・ジョージは「父の祈りを」は良かったが、「ジャスティス」には感心しなかった。この人、ジャーナリスティックな素材が向いているのかもしれない。

2006/11/22(水)「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

 エド・ハリスが出てくるところまでは予告編で知っていたが、さらにその後があるとは。サム・ペキンパー「わらの犬」を引き合いに出していた評論家がいたけれど、全然違う。日本のヤクザ映画、高倉健主演の映画にありそうな話だ。逆に言うと、そこが少し不満な点で、もっと意外性のあるストーリーが欲しくなってくる。

 デヴィッド・クローネンバーグは肉体の変容から精神の変容を描くようになり、映画が難しくなった。これは単純明快なところがいい。しかも、変容のテーマはしっかりと引き継いでいる。

 よくあるストーリーにもかかわらず、映画を際だたせているのは殺しの場面のリアルさで、後頭部を打たれて顔を半分吹き飛ばされながら、口をもごもごさせている場面とか、鼻を何度も突き上げられて鼻がもげてしまった男とか、暴力の衝動の激しさを物語っていて面白い。ヴィゴ・モーテンセンもマリア・ベロも好演。

 上映時間が1時間36分と無駄がなく、シャープ。

2006/11/20(月)「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」

 とんでもない傑作。個人的にはベストテン入り確実。全編にみなぎる緊張感と核心を突いたセリフの応酬に震えがくるほど。ベルリン映画祭で銀熊賞を受賞したそうだ。当然だろう。

 ヒトラー打倒のチラシをまき、ゲシュタポに逮捕されながらも良心と信念を曲げなかった21歳の女子大生の話。ゾフィーを演じるユリア・イェンチと取調官のアレクサンダー・ヘルトの主張は完全に平行線なのだが、取調官はゾフィーのその強固な姿勢に揺らぐ場面を見せる。ここでゾフィーが語るセリフが凄すぎるのだ。

「神を疑う者に教会は服従を求める」

「教会は意思を尊重するわ。ヒトラーは選択を与えないわ」

「なぜ若いのに誤った信念のために危険を冒す?」

「良心があるからよ」「過ちを認めても裏切りにはならない」

「でも信念を裏切るわ。間違った世界観を持ってるのはあなたよ。最善の事をしたと信じているわ」

 ゾフィーは逮捕されて5日目に死刑判決を受け、即日処刑される。まるでジャンヌ・ダルクを思わせるような生涯だ。白バラとはゾフィーが所属していた組織の名前で、この映画のほかに「白バラは死なず」「最後の5日間」という2本の映画があるそうだ。そちらも見てみたい。

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