2002/01/29(火)「リリイ・シュシュのすべて」

 「あんたが守ってよ」。中盤、援助交際から抜け出せずに自殺する少女・津田詩織(蒼井優)が主人公・蓮見雄一(市原隼人)にポツリと言うセリフが心に残る。雄一はクラスのリーダー的な友人と詩織を引き合わせるが、詩織は交際を断る。「あたしとは釣り合い取れないでしょ」という理由から。この映画、登場人物の心理にほとんど迫っていかないのだが、この少女の言葉の断片だけが悲惨な心象風景をおぼろげに映し出している。

 岩井俊二は13歳から15歳までの主人公とその周囲の歩みを追う。雄一にとって今は歌手のリリィ・シュシュだけがすべてで、他は灰色の人生。なぜ灰色になったのかというのが回想で描かれる1年前の出来事。優等生だった星野雄介(忍成修吾)が西表島への旅行をきっかけに悪の帝王に変貌する。西表島で星野は2度、命を失うところだった。それが何らかの変化を生み出したのか。雄一は雄介のグループから、たかられるようになり、灰色の毎日を送っているのである。

 この映画で鮮烈なのは津田詩織と対をなす美少女・久野陽子(伊藤歩)で、雄介のグループにレイプされた翌日、意外な変貌を見せる。「モヒカンにしたら、抜けられるかな」。詩織が雄一に言った言葉通りの変貌を陽子は遂げるわけである。雄一と雄介、詩織と陽子が対照的に描かれるが、少年2人よりも少女2人の方が強い印象を残す。岩井俊二はどこかに少女への幻想を抱いているのに違いない。

 物語の意図が見えない前半は退屈である。ビデオで撮影された西表島の描写も効果を挙げているとは思えない(これではまるで「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」だ)。14歳の事件が多かった年に14歳を主人公にした映画を撮るのなら、もう少しジャーナリスティックな視点が必要だったように思う。心象風景を必ずしも描かなければならないわけではないけれど、ただ現象を追うだけでは底の浅い映画になってしまう。大人の世界の構図を少年たちの世界にそのまま移しただけのストーリーも、いじめの現実とは少し違うのでは

ないか。

 ご丁寧に最後に悪は倒されることになる。しかし、雄一の毎日は相変わらず灰色のまま。元気があふれ、テーマ的にも明確で迷いがなかった「GO」に比べると、岩井俊二の手法はこの映画の主人公のように、ひ弱であいまいである。せめて高校生という設定なら納得がいくのだが、俳優たちがいずれも中学生に見えないのも難か。