2004/12/22(水)「携帯の電磁波がDNAにダメージ」と欧州の研究者

 携帯をあまり使う方ではないが、やはりないと不便な状態にはなっている。電磁波の出る物体を頭に押しつけて話しているわけだから、影響がまったくない方がおかしい。「携帯電話業界では、電磁放射のせいで人体に悪影響が及ぶという断固たる証拠は何もないと主張している」というのはだから、あくまでも今のところの結論なわけだ。数十年後に脳腫瘍多発という事態もありうるかもしれない。

 携帯用のヘッドフォンを使えば、電磁波の影響はかなり避けられるだろう。心配な人はそれを使えばいい。携帯のパソコン化は急速に進みそうな情勢だし、音楽プレイヤーとしても使えるようになったから、ヘッドフォンはもっと普及しそうな感じがある。

 今使っているのは会社の携帯なので、自分用を買おうかと考慮中。家にあるのはauなので、2台目もauにするつもり。とりあえずメガピクセルカメラ付きで、メモリー容量が大きいやつを選びたい。

2004年窓の杜大賞

 Firefox日本語版が受賞。当たり前と言えば、当たり前の結果か。しかし、受賞対象はMozilla Japanになるのか。ちょっと違うような気はするが、仕方ないのでしょう。

 金賞はAdobe Reader SpeedUp、銀賞はSP+メーカー。どちらも実用的で優れたソフトと思うけど、常時使うものではないですね。ブラウザやエディタのように毎日使っているソフトの方が、ありがたみが増します。

Adobe Reader 7.0

 起動がむちゃくちゃ速くなっている。これ、メモリーに常駐しているんじゃないかと思えるぐらい。スプラッシュロゴも表示されない(表示するようにもできる)。Adobe Reader SpeedUpが受賞した日にリリースされるというのも皮肉なものですね。

 起動後のメモリー使用量は20MBを超える。6.0がどれぐらい使っていたか確かめていないが、けっこうな量だな。メモリー不足のPCではちょっと苦しいかも。

2004/12/21(火) 車の乗り降り

 土曜日から会社に車を置きっぱなしだったので、取りに行く。車の乗り降りには体をひねらなければならないので、ちょっと大変。自然と動作が緩慢になる。

 以前、知り合いに腰を傷めた人がいて、ある日突然、車がベンツのオープンカーに変わった(1,200万円ぐらいするやつ)。何故かと理由を聞いたら、オープンカーは車の乗り降りが楽なのだそうだ。なるほど。上半身を曲げる必要はありませんからね。でも、ベンツに変わるというのがすごいところ。お金持ちな人だったのだ。

 そういえば、シートがくるりと外を向く車もある。これは高齢者や障害者にとっては細かな配慮なのだろう。健康な時にはそういう部分、軽視してるけど、今はよーく分かります。

「LORELEI ローレライ」予告編

 検索してきた人がいるのでリンクしておこう。予告編はよくできている。樋口真嗣監督だからVFXに関しては心配ないだろう。問題はあの長い小説をどうまとめるかだ。脚本は「金融腐蝕列島 呪縛」の鈴木智。日南海岸はたぶん出てこないのでしょうね。原作の感想は去年の10月19日に書いてます。

2004/12/20(月) 週刊文春ミステリーベスト10

 近くのセブンイレブンまで買い物に行く。一歩あるくたびに背中に鈍痛。むむむ、な感じである。

 年に1冊しか買わない週刊文春があったので買う。国内部門の1位は雫井脩介「犯人に告ぐ」、海外部門はダン・ブラウン「ダヴィンチ・コード」。どちらも未読。「このミステリーがすごい!」では法月綸太郎「生首に聞いてみろ」、サラ・ウォーターズ「荊の城」がそれぞれ1位だった。

 国内部門で伊坂幸太郎「アヒルと鴨のコインロッカー」「チルドレン」が4位と5位に入っている。これどちらも買っているが、やっぱり未読。

杉本彩の好感度

 その週刊文春のコラム「テレビ健康診断」で亀和田武が杉本彩を褒めている。小説新潮に杉本彩が書いたエッセイについて「思わずパチパチと拍手である。文章もセクシー系だけど、さわやかで味がある。'04年度のエッセイ・ベスト3に迷わず選びたい」

 杉本彩はテレビなどで見ていると、あまりよく分からないのだが、竹を割ったような性格のようだ。「花と蛇」のDVDに収録されているインタビューは圧巻で、これ本編よりも面白い。腕に全体重がかかって15秒しか耐えられない過酷な縛りを要求されて、石井隆監督に「これは無理です」と言ったら、監督に「だって彩さん、約束したでしょう。できるって言ったじゃないですか。SMというものはどういうものか分からなかったんですか。そんな気持ちで引き受けたの」と言われたそうだ。

 杉本彩は「自分が1回言ったことに対して、撤回して逃げた、みたいなニュアンスでとらえられてるんですよね。自分自身から逃げるなんてことは自分の辞書にはないわけですよ。本当に悔しくて悔しくて、絶対やってやると決意した」という。縄師と相談し、なんとか1分は持ちこたえられる縛り方を研究して撮影に臨んだが、監督は長回しで3分撮り続けたそうだ。このほか男性優位社会への反発的な発言もあり、女優の覚悟というか女優根性というか、そういうものが伝わるインタビューである。

2004/12/19(日)肋骨骨折

 昨夜、某所で転んで背中を打った。痛みはそれほどでもなかったが、今朝起きたら激痛に変わっていた。起きあがったり、いすから立ち上がるのにも苦労する。咳をしても痛い。湿布をしたが、昼になっても痛みが治まらないので近くの整形外科へ。これはきっと肋骨にひびが入ったのだろうと想像した。

 診察した医師は背中をたたいて

「真ん中は痛くないんですね」

「はい、左側の方です」

「胸部ですね」

 で、レントゲンを撮る。やはり肋骨が2本折れているそうだ。治療はリブバンド(胸部固定帯)を巻いただけ。痛み止めと湿布と胃薬をもらう。安静にしていれば、1カ月で治るそうだ。それって、全治1カ月の重傷じゃないのか。

 注意することは

  • 重いものを持たない
  • 急激な運動をしない
  • 体をねじらない

 など。うーん、骨を折ったのは初めてだ。何か新鮮な感じ。肋骨が折れたと言うと同情されるが、理由を説明すると、「自業自得」と言われます。

2004/12/14(火)「誰も知らない」

 「誰も知らない」パンフレットより歩くとキュッキュッと鳴るサンダルを履いて、末っ子のゆき(清水萌々子)が長男の明(柳楽優弥)と一緒に母親を迎えに駅に行く。母親が帰ってくると決まったわけではないが、まだ5歳のゆきはたまらなく母親に会いたかったのだ。自分の誕生日だったから。寒い中、駅の外で座って待っていたゆきはポケットからアポロチョコの箱を取り出して、「最後の1個だあ」とつぶやく。ここを見て、「火垂るの墓」だ、と思った。戦争で両親を亡くした「火垂るの墓」の兄妹は2人だけで必死に生きていく。食べ物が乏しくなる中、妹の節子は好きだったサクマドロップの空き缶に水を入れ、「いろんな味がするわあ」と微笑む。あの場面を思い出した。「火垂るの墓」で食べ物を調達するのは兄の役目だった。この映画の明も同じである。3人の弟妹のために明は必死で動き回る。しかし、悲しいことにゆきは節子と同じ運命をたどることになる。

 1988年に起きた4人の子供置き去り事件を基にして、是枝裕和監督が脚本も書いた。映画化までに15年かかったそうだが、それだけの時間をかけた甲斐があったと思う。これは兄妹の悲劇に焦点を当てた「火垂るの墓」よりもずっと深みのある映画である。ひどい母親を描いただけの映画ではないし、電気もガスも水道も止められて悲惨な境遇に落ちた子供たちを描いただけでもない。子供のたくましさ、しっかりした兄、冷たい社会、温かい人々、友をなくす悲しみ、支え合って暮らすことの必要性、そういった諸々のことが胸に迫ってくる。日常描写を丹念に積み重ねて作ったとても丁寧な映画であり、何よりも実際の事件を単純な結論に結びつけない脚本の視点に感心させられた(「レディ・ジョーカー」はこういう風に映画化すべきだったのだと思う)。実際の事件はもっとひどい状況だったそうだ。是枝監督はしかし、長男の言動に注目して映画を組み立てた。

 パンフレットにある「演出ノート」はその監督の姿勢がつぶさに語られて感動的である。「保護者遺棄の罪を問う裁判で母親に再会した少年は彼女の期待に応えられなかった自分を責めて涙を流したそうである。この一連の事件の中で、唯一この少年だけが、自らの責任を全うしようとした。そして、全うできずに自分を責めていた。…(中略)僕はこの少年がいとおしくてたまらなくなってしまったのである」。だからこそ映画には悲惨なだけではない子供たちの生活の様子がしっかりと捉えられている。母親がいなくなって自由に外出できることの喜び、自動販売機の返金スペースを探る次男のたくましさ。観客を安易に泣かせようなんて微塵も思っていない演出は立派なものであり、その手綱は最後まで揺るがない。

 4人の子供たちの父親はばらばらで、子供の戸籍を作らず、学校に行かせず、外にも出さない母親が「好きな人ができたの」と言って、アパートを出て行く前半は、確かにこのあまりにもしょうがない母親に怒りを覚えるのだけれど、それ以後、子供たちだけの生活が始まって、次第に薄汚れていきながらも生きていく描写を見ていると、母親なんてどうでもよくなってくる。母親は子供たちを捨てたが、同時に子供からも見捨てられた。アパートを出て行く母親を送って、駅前のドーナツ店に入った明は「お母さんは勝手だよ」となじる。それに対して母親は「何が勝手よ。あんたのお父さんの方がよっぽど勝手じゃない。私が幸せになっちゃいけないの」と返す。それは小さな子供を持つ母親が言ってはいけない言葉だ。子供たちが母親の帰りを待っているのは現在の苦境を救ってくれると期待しているからであり、書留で金を送ってくるだけの経済的なつながりだけなら、それは親とは言えない。

 妹の死を乗り越えて、また同じ生活を続ける子供たちの姿に「頑張れ、ガンバレ」と言いたくなってくる。同時に誰か助けてやってくれと思わずにはいられない。映画から受けるのはそうした重層的な思いであり、恐らく子供を持つ親は自分の子供を抱きしめたくなるだろう。

 柳楽優弥はカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞したが、それは映画の評価にも直結しているのだろう。「オールド・ボーイ」ではなく、この映画がグランプリであっても良かったと思う。4人の子供たちに加えて、それを助ける韓英恵、ダメな母親を演じるYOU、コンビニの店長役の平泉成、中学野球部の監督寺島進らが良い演技をしている。