2005/05/18(水)「交渉人 真下正義」

 「交渉人 真下正義」パンフレットきのうセントラルシネマで見たのがこの作品。キネマ旬報5月下旬号の特集で十川誠志(そご・まさし)の脚本の評価が高かったので期待した。確かに脚本は地下鉄パニック映画としてよく考えられているけれど、さまざまな傷があると思う。何の根拠もなく勘だけで配線を切っていく爆弾処理なんてありえない。あの傑作「ジャガーノート」(リチャード・ハリスのカッコよさ!)を引き合いに出しているのだから、なおさらその思いは強くなる。単なる引用では情けない。引用した上で元の作品を上回るアイデアを詰め込むのが本当ではないか。「オデッサ・ファイル」や「深夜プラス1」など言及される他の作品についても同じことが言える。十川誠志は僕と年齢が近いのでそうした70年代の作品に影響を受けているのはよく分かる。それでも過去の名作傑作を部分的にでも超える意気込みがなければ、パロディ同様お遊びの域を出ないのは明白だろう。本広克行演出のメリハリのなさ、緊迫感のなさもマイナスに働いている。いつものように「踊る大捜査線」の音楽が流れ、「踊る」の世界を継承しつつ、新しい作品に仕上げようとした意図に間違いはないと思うが、これでは観客を満足させることはできないだろう。國村隼、寺島進ら脇役の好演は光るけれど、芯の通った作品にはなっていない。

 レインボーブリッジ事件から1年後。東京トランスポーテーション・レールウェイ(TTR)の独立型運行管理システムがダウンする事件が起きる。システムに侵入した犯人は弾丸ライナーと名乗り、警視庁初の交渉人・真下正義(ユースケ・サンタマリア)を指名して「出ておいで」と呼びかける。クリスマスイブの日、実験車両のフリーゲージトレイン・クモE4-600が盗まれ、地下鉄の路線を暴走する事件が起きる。警視庁交渉課準備室にいた真下は現場に呼び出され、TTRの指令室で弾丸ライナーと電話で相対することになる。公園で起きた爆発に続いて、TTRの車両基地でも爆発が起きる。真下はクモの暴走から地下鉄を救うために総力を挙げるTTRの総合指令長・片岡(國村隼)と協力し、弾丸ライナーと交渉を繰り返す。捜査一課の熱血刑事・木島(寺島進)は地上で弾丸ライナーの正体を精力的に探り始める。そして弾丸ライナーの本当の狙いが明らかになる。

 こうした魅力的な設定なのに、映画は今ひとつ盛り上がりに欠ける。出だしのシステムダウンの場面では視覚的に大きな仕掛けがほしいところだし、中盤の犯人との駆け引きにももっと工夫がほしいところ。静の指令室に対して動の部分を受け持つのが木島だが、登場場面の強烈な印象がその後薄くなっていくのは残念。ボルテージ上がりっぱなしの演技というのは得てしてそういうものなのだろう。ユースケ・サンタマリアを僕は嫌いではないが、こうしたパニック映画のヒーローとしてはあまりふさわしくないかもしれない。それこそ「ジャガーノート」のリチャード・ハリスのような奥行きのあるキャラクターが望まれるのである。

 総じて、この映画に登場するキャラクターは型にはまったものになっている。キャラクターの背景が描き込まれないので、ドラマと呼べるものは希薄である。それが、話はよく考えてあるのに印象が薄くなった原因と思う。ゲーム感覚の犯行を描いてゲーム感覚の映画にしかならなかったわけだ。

 犯人の設定や犯行の手口、カラスの使い方などを見ると、「機動警察パトレイバー The Movie」の影響があるのかなと思う。「踊る2」の映画評を読み返してみたら、「パトレイバー2」との類似性を僕は指摘している。ということは、これは本広克行の趣味なのかもしれない。

2005/05/11(水)「阿修羅城の瞳」

 「阿修羅城の瞳」パンフレット市川染五郎と宮沢りえのセリフ回しが心地よい。2人とも江戸っ子なので、べらんめえ調の軽いセリフがよく似合う。染五郎のセリフの決め方などはさすがだと思うし、今や勉強熱心なことにかけては定評がある宮沢りえのさわやかなお色気もいい。こういう軽い感じで全体を映画化してくれれば良かったのにと思う。阿修羅王の復活を図る樋口可南子や鬼御門(おにみかど)の渡部篤郎らの演技が重く暗く、もっと面白くなりそうなのに何だか陰々滅々とした感じに終わっているのである。映画全体としてはスケールが足りないのが致命的だと思う。同じようなセットで話が進行し、広がりが感じられない。突き抜けたものがない。息苦しい。深作欣二「魔界転生」の昔からセットで繰り広げられる魔界を描いた邦画は陰々滅々になる傾向があるようだ。

 「陰陽師」の滝田洋二郎監督による舞台劇の映画化。物語も鬼が出てくるところなど「陰陽師2」に似ているので、ピッタリの人選と思うが(鬼御門の頭領は舞台では十三代目安倍晴明なのだそうだ)、スケール感では「陰陽師」の方にやや分がある。

 文化文政時代の江戸。人々の中に秘かに人を食らう鬼が紛れ込んでいた。幕府は鬼殺しのために鬼御門という組織を結成。その頭領である国成延行(内藤剛志)と腹心の安部邪空(渡部篤郎)はある夜、尼僧姿の鬼女・美惨(びざん=樋口可南子)と出会う。美惨は鬼の王である阿修羅が間もなく復活すると告げる。5年前まで鬼御門に属していた病葉出門(わくらば・いずも=市川染五郎)は、鬼と思われる少女を斬ったことで鬼御門を辞め、歌舞伎役者として気ままに暮らしている。出門はつばきと名乗る女(宮沢りえ)と出会い、たちまち恋に落ちる。つばきは5年以上前の記憶をなくしていた。出門に惹かれたつばきは右肩に紅の花のような痣ができたのを見つける。出門に惹かれるたびにその痣は大きくなっていった。やがて美惨が求める阿修羅の復活につばきが必要と分かってくる。

 滝田洋二郎は3時間の舞台を出門とつばきのラブストーリーに集約しようとしたのだという。確かに2人のラブシーン(つばきが出門の傷を舐めるシーン)などは官能的なのだが、ラブストーリーとして優れているかというと、そういうわけでもない。恋をすることで鬼に変わる女の悲劇性も出す必要があっただろう。物語の先が読めて、あまり深みを感じない描写に終わっている。VFXは阿修羅城の出現や燃え上がる江戸の町の描写など、もっとスケール大きく見せて欲しかったところ。なんとなく中途半端に終始し、驚くようなショットもなく、物語のポイントとなる描写もなかった。

 主演の2人は決して悪くないのだから、やはり演出の仕方に難があったのだろう。滝田洋二郎監督には、次はまったく違う素材で映画を撮ってほしいと思う。こういう魔界物はあまり得意とは思えないし、もういいのではないか。