2005/12/02(金)「エリザベスタウン」

 「エリザベスタウン」パンフレット「あの頃ペニー・レインと」「バニラ・スカイ」のキャメロン・クロウ監督によるヒューマンなドラマ。仕事に大失敗して自殺しようとしていた青年が父親の故郷ケンタッキー州エリザベスタウンに行き、生きる力を取り戻す。そういう再生の話は大好きなので、好意的に見ることができた。キャメロン・クロウが得意とする音楽の引用はドラマへの集中を削ぐ部分もあって、僕には余計に感じられたが、音楽自体が悪いわけではなく、所々に音楽とマッチした素晴らしいショットはある。

 逆に父親の葬儀でスーザン・サランドンが「ムーン・リバー」に合わせて急に始めるタップダンスなどはうまくもないのに延々と見せる意味が分からない。クロウとしては映画全体をウェルメイドに作るつもりだったのだろうが、このシーンが象徴するようにどこかアンバランスな部分が残る。主演のオーランド・ブルームは「キングダム・オブ・ヘブン」のような大作では頼りなく感じるが、そうした線の細さがこの役柄には合っていると思う。特筆すべきは相手役のキルスティン・ダンストで、お節介でおしゃべりな客室乗務員役を実に魅力的に演じている。これはキャラクター造型の成功で、この映画、決して一般的な美人とは言えないダンストの好感度で持っているようなものだ。

 9億7200万ドル(約1,000億円)。たった一足の靴の失敗でそんなに損失が出るものかと思うが、主人公のドリュー(オーランド・ブルーム)はとにかく会社にそれだけの損失を招く大失敗をする。社長(アレック・ボールドウィン)から首を言い渡され、失意の自殺をしようとしていたところに妹(ジュディ・グリア)から父の死の知らせが入る。父親はエリザベスタウンの親戚の家で急死したのだ。ドリューは自殺を中断して、遺体を引き取りに行くことになる。

 夜間飛行の乗客の少ない飛行機の中で客室乗務員のクレア(キルスティン・ダンスト)が一方的に話しかけてくる。人の良さそうなクレアはホテルのクーポンとエリザベスタウンまでの地図と携帯電話の番号を書いた紙をくれる。エリザベスタウンに着いたドリューは町の人たちから歓迎を受ける。大企業に就職したドリューは町の出世頭なのだ。ドリューはチェックインしたホテルで、寂しさから妹、恋人のエレン(ジェシカ・ビール)、クレアに電話するが、いずれも不在。しばらくして3人から次々に電話がかかってくる。エレンは大失敗したドリューに冷たく別れを告げる。ドリューはクレアと一晩中、話し続けることになり、夜明けにお互いの車を走らせて再会を果たす。

 お互いに恋人がいて、穴埋めとして付き合い始めた2人が徐々に心を通わせる描写がいい。終盤、クレアが「魔法の地図」として渡した地図に沿って、ドリューがアメリカの各地を訪ねるシーンはクロウの音楽の趣味があふれた場面だが、ここでクレアは「5分間、悲嘆にくれたら、忘れて前に進んで」と言う。映画が最後に用意しているのも「命」の大切さ。さまざまな不備が目に付くのは残念だが、成功や失敗ではなく、生きることそのものが大事という訴えを心地よく見せてくれる映画だと思う。たくさん流れた歌の中では予告編でも使われたエルトン・ジョン「父の銃」が印象に残る。

2005/12/01(木)「東京タワー」

 「東京タワーチラシ」「大停電の夜に」の源孝志監督作品じゃなかったら、見ないところだ。映画が始まって40分ぐらいまでのもうどうしようもない黒木瞳と岡田准一のシーンで、途中で見るのをやめようかと思ったのだが、そこをじっと我慢すれば、映画は面白くなる。中盤から終盤にかけての寺島しのぶ&松本潤と黒木瞳&岡田准一のそれぞれの修羅場のシーンが面白く、見終わってみれば、まずまずの作品じゃないかという感想を持った。

 この映画、黒木瞳のシーンをすべて取っ払ったら、もっと良かったのにと思う。黒木瞳は20代の女のような演技をするべきではない。20歳も年下の若い男を好きになってしまった40代のずるさと打算としたたかさを演じるべきだった。その点、寺島しのぶはうまいなと思う。役柄は35歳の主婦だが、大地に根を張ったたくましさと夫から「今夜は酢豚だな」と言われる侮蔑的な日常と若い男に溺れてしまって安定した暮らしを少し踏み外した後悔とを微妙に織り込んで演じている。感情もシチュエーションもリアリティゼロでバカバカしい序盤の黒木瞳のパートに比べて寺島しのぶのパートには既婚女性のせっぱ詰まったリアリティがあり、それが映画を救う結果になったのだと思う。

 「恋はするものじゃなく、落ちるものだ」というこれまた分かった風なことを言っているコピーにも腹が立つのだが、映画はそれに対抗するように黒木瞳の夫役の岸谷五朗に「恋は落ちればいいっていうもんじゃねえんだよ」というセリフを用意している。ここで岸谷五朗は岡田准一を飛び込み台からプールに落とすのだ。

 序盤のどうしようもなさは映画デビューだった源孝志の計算違いによるものなのだろう。加えて脚本の出来にもよるのだろう。「大停電の夜に」に比べてセリフのリアリティがまるでないところがダメで、これにも相沢友子をかかわらせていたら、もっと面白くなっていたのにと思う。

 この映画、終盤のパリの場面を撮るまで撮影の中断があり、その間に岡田准一は「フライ,ダディ,フライ」を撮影したそうだ。岡田准一も黒木瞳とのパートではダメだが、それ以外は悪くなかった。