2006/03/26(日)「女王の教室 エピソード2 悪魔降臨」

 録画しておいたのをようやく見た。「エピソード1 堕天使」は新任時代の阿久津真矢(天海祐希)の白い洋服がグレーに変わるまで、今回はグレーからテレビシリーズで着ていた黒に変わるまでが描かれる。視覚的に分かりやすい構成だが、脚本の遊川和彦としてはそうした外見的な変化に真矢の心境の変化を象徴させるために、新任時代から始めたのかもしれない。白の時代であるエピソード1の方は教室を離れた真矢の私生活の部分が多くて間延びした感じを受けたが、エピソード2は教室に終始し、パターンにはまった面白さがあった。

 いや、もちろん、技術的な面ではいくらでも傷がある。真矢が鬼教師になった事情を描くというスペシャル版の趣旨によって、テレビシリーズでの三人称は一人称に変わらざるを得ず、そのために真矢の口からまともなセリフがたくさん出てくることになる。セリフで物語を説明していくというのはテレビドラマの宿命なのかもしれないが、映画の手法に比べると物足りなく思えてくるのである。過剰な演技やデフォルメした描写の半面で描写すべきところをしていない部分もあった。

 それでも面白く思ったのは言っていることが真っ当だからだろう。教室を牛耳る少年が父親の権力によって守られているという構図は、小さな町や組織を牛耳るあくどいボスと同等で、ドラマにおける教室と学校の在り方は社会の縮図と言える。我慢して我慢して爆発するという展開や、少年が実は死んだ優秀な兄に対してコンプレックスを持っており、父親からも本当に認めてもらってはいないというのはよくあるパターンである。こういう部分を詳しく描けば、単なるパターンとは思われないのだろうが、このドラマは少年が中心ではなく、真矢が中心なので、仕方がないかなと思う。それにこういうパターンはけっこう大衆性があるものであり、人はパターンで心を動かされる場合もあるのだ。新しい部分はないけれど、そうした過去のパターンの寄せ集めであっても、しっかりした主人公を置けば、パターンのメリットが出てくるのだなと思う。