2007/03/01(木)「奥さまは魔女」

 往年のテレビシリーズのリメイク。ではなく、リメイクしようとしているテレビ局を舞台にしたコメディ。口元をピコピコピコっと動かせるのに目を付けられて魔女のイザベルがサマンサ役を得る。

 イザベルは魔法を捨てて、本物の恋がしたいと思っている。ダーリン役で再起をかける落ち目の俳優(ウィル・フェレル)とホントの恋に落ちるのがこうしたロマンティック・コメディの常道。ウィル・フェレル(テレビのコメディアンらしい)に魅力がないので、あまりロマンティックにはならないが、ニコール・キッドマンに関しては100点満点。

 本当はアン・ハサウェイあたりの若い女優に向いている役だけれど、キッドマンはちっとも不自然ではない。純粋でキュートな役柄を楽しく演じている。ファンなのでキッドマン見ているだけで楽しめた。こういうキッドマンを見ていると、つくづくトム・クルーズはバカだなと思う。

 監督はノーラ・エフロン。マイケル・ケインとシャーリー・マクレーンも肩の力を抜いた演技を見せている。

2007/02/25(日)「ドリームガールズ」

 「ドリームガールズ」監督のビル・コンドンによれば、歌姫ビヨンセ・ノウルズの歌が前半あまりサエないのは助演のジェニファー・ハドソンを引き立たせるために監督がそう指導したからだという。実際、前半に目立つのはハドソンの感動的な迫力ある歌の数々。助演女優賞を受賞し続けているのも納得できる声量であり、歌唱力だ。その代わり、ビヨンセはクライマックス、「私の言うことをそのまま聴いて」と切々と歌い上げる「リッスン」で本領を発揮する。この歌もほれぼれするほど素晴らしい。36曲を収録したCD2枚+DVD1枚のサントラ盤デラックス・エディション(DVDは「リッスン」のビデオクリップと予告編2つが収録されているだけで、「リッスン」に価値はあるにせよ物足りない)は再起にかけるハドソンのバラード調の「ワン・ナイト・オンリー」から、それをパクッてポップにアレンジしたドリームズの「ワン・ナイト・オンリー(ディスコ)」、そして「リッスン」と続くところが白眉。映画の印象と同じである。2つの「ワン・ナイト・オンリー」がどちらもそれぞれに聴かせるのが凄いところだ。

 ステージ上の歌だけではなく、普段の生活の中で登場人物たちが自分の思いを歌に託すという極めてミュージカル的なシーンも当然のことながら含まれるこの映画、とにかく歌で2時間10分を疾走する。アメリカのショウビズ界の光と陰を描き、登場人物たちの高揚感と失意を短いショットを積み重ねて描いていく。歌がすべてを代弁しているので、ドラマ自体の盛り上がりも少し見せて欲しいと思えてくるし、歌に比べれば踊りが少ないなと思えてくる(それがアカデミー作品賞にはノミネートされなかった理由かもしれない)のだが、小さな傷だろう。この歌の数々を聴くだけでも映画館に足を運ぶ価値はある。

 ストーリーを短く要約すれば、これは1960年代に歌にかける3人の女性グループがスターへの階段を駆け上がり、分裂し、ショウビズ界の悪弊に流され、やがて本来の歌への思いを取り戻すというものである。3人はディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)、エフィー(ジェニファー・ハドソン)、ローレル(アニカ・ノニ・ローズ)。オーディションに出た3人、ドリーメッツの才能に目を付けた中古車販売会社のカーティス(ジェイミー・フォックス)はドリーメッツのマネジャーとなり、地元では人気歌手のアーリー(エディ・マーフィー)のバックコーラスを務めさせる。ドリーメッツがアーリーの人気を抜くのは時間の問題で、マイアミでのアーリーのショーが失敗に終わったことから、カーティスはドリーメッツをドリームズと改名して単独でデビューさせる。しかし、その際にリードヴォーカルをエフィーから美人のディーナに変更する。テレビでの見栄えを計算してのことだったが、そこから人間関係に歪みが生まれてくる。

 純粋に3人の歌に魅力を覚えたカーティスは次第にショウビズでの成功にしか興味を覚えなくなり、メッセージ性の強いアーリーの新曲「ペイシェンス」(公民権運動を背景に「我慢して 我慢して」と歌うこれも名曲)に異議を唱えたり、エフィーの「ワン・ナイト・オンリー」をラジオで流させないなどの妨害工作をする。売れる歌は大衆に広く支持されるものにほかならず、毒にも薬にもならない歌なのである。そうした歌をドリームズに強要し、ディーナを映画「クレオパトラ」に主演させようとする。ジェイミー・フォックスは「Ray レイ」とは異なり、それほど歌を披露せず、どちらかと言えば、悪の役回り。これがショウビズの陰に当たる部分だが、だからこそディーナやエフィーが純粋に歌に目覚めていくクライマックスが感動的になる。歌への情熱は十分に伝わり、歌だけで、その思いだけでお腹いっぱいという感じの映画である。

 この映画もまた、ブロードウェイ・ミュージカルの映画化なので、ブロードウェイを見に行けない世界中の人たちのためにという便宜的な側面がある。本物の舞台を見てみたかったものだが、それでもミュージカル好きなら必見の映画であることに変わりはないだろう。エディ・マーフィーの意外な歌のうまさや渋いダニー・グローバー、作曲家役のキース・ロビンソンも光っている。

2007/01/13(土)「モンスター・ハウス」

 「モンスター・ハウス」パンフレット昨年夏にアメリカで公開され、大ヒットした3DCGアニメ。大ヒットの理由は公開劇場の数が多かったためもあるだろうが、映画自体も良くできていて最近のCGアニメの中では最も面白かった。製作はロバート・ゼメキスとスティーブン・スピルバーグで、ゼメキスの「ポーラー・エクスプレス」(2004年)同様にモーション・キャプチャーを使用しているため、キャラクターの動きがとても滑らかだ。

 アメリカのアニメの常でキャラクターはかわいくはないのだが、実写をコンピュータでトレースするモーション・キャプチャーはそれなりの効果を上げている。この手法、ラルフ・バクシの「指輪物語」(1978年)でメジャーになったロトスコープという技術に端を発するもので、ここまでリアルならば、実写で撮っても良いのではないかという疑念が見ているうちにわき起こってくる。この映画自体、当初は実写の計画もあったそうだ。ただ、クライマックスのモンスター・ハウスの動きなどはどうせCGを使わなければ、表現できないだろうから、フルCGでの映画化も理解できないわけではない。

 物語はハロウィンの前日から始まる。そろそろ声変わりを迎えつつある12才の少年DJは向かいの家に住む不気味で頑固な老人ネバークラッカーを日頃から望遠鏡で観察している。両親が休暇で出かけ、1人家に残ったDJのところへベビーシッターのジーがやってくるが、ジーは自分の家のように振る舞い、恋人のミュージシャン、ボーンズを引き入れる始末。その日、DJの親友のチャウダーが買ったばかりのバスケットボールをネバークラッカーの家の敷地に転がしてしまう。ネバークラッカーは他人が芝生に入ると猛烈に怒り出す。チャウダーの代わりにボールを取りに行ったDJはネバークラッカーに見つかってしまうが、突然、ネバークラッカーは苦しみだし、救急車で運ばれてしまう。ここから不思議な出来事が起こる。チャウダーが誰もいないはずの家の呼び鈴を押すと、突然、玄関が口のような形になり、絨毯が襲いかかってきた。この家はモンスター・ハウスだった。翌朝、ハロウィンのお菓子を売りに来たジェニーとともにDJとチャウダーは家の秘密を調べ始める。

 上映時間は90分で子供向けにはぴったり。映画も過不足なく描写を重ね、これが監督第1作のギル・ケナンは無難に仕事をこなしたと言うべきだろう。ダン・ハーモン、ロブ・シュラブ、パメラ・ペトラーの脚本も悪くない出来だ。難点はネバークラッカーの家がモンスター化した理由で、これはもう少しスーパーナチュラルな要素が欲しかったところだ。ネバークラッカーの役割は予想がつくのだけれど、定跡を踏んでいるオーソドックスな映画化と理解しておくべきか。クライマックスにはビジュアルなシーンが用意されていて、スピルバーグ&ゼメキス製作らしい映画だなと思う。子供を連れて行った大人も退屈しない仕上がりで、他の子供向け映画もこれぐらいのレベルを維持してほしいものだ。

 僕が見たのは日本語吹き替え版。DJ役は「名探偵コナン」の高山みなみが声を担当している。他のキャストも含めて違和感はなかったが、久しぶりのキャスリーン・ターナーが登場する原版も見てみたいところだ。