2008/10/05(日)「地球爆破作戦」

 さすがにコンピュータの描写などは古くなっているが、テーマは現代に通じるものがある。

 スーパーコンピュータのコロッサスにアメリカの防衛を任せたら、ソ連にも同じ規模のコンピュータ・ガーディアンがあることが分かり、コロッサスはガーディアンとの接続を要求する。接続しなければ、ミサイルを撃ち込むと脅迫。アメリカは間に合うが、ソ連は間に合わずに石油コンビナートを爆破されてしまう。仕方なく接続すると、2台のコンピュータは結託して人類を支配下に置こうとする。コロッサスを開発したフォービン博士(エリック・ブレーデン)は何とかそれを回避しようとするが…。というストーリー。1時間39分、緊迫したタッチがよろしい。監督はジョセフ・サージェント。

 1970年の映画で、これ以前に「2001年宇宙の旅」があるので、コンピュータの反乱は珍しくはない。コンピュータとしては人類を支配下に置くことで戦争を回避する意図があるのだが、自由のない社会がいいかどうか。ということを考えると、共産主義の脅威も反映しているのかもしれない。時代はまだ冷戦の頃だったのだ。

 細部で面白かったのは主人公がマティーニを飲む場面。主人公はベルモットをグラスについだ後、こぼしてジンを入れる。思い切りドライなマティーニというわけ。マティーニはジンとベルモットを4:1の割合で混ぜるのが普通だが、通はドライにしたがる。映画だったか、何かのエッセイだったかで、ドライなマティーニの作り方として、ベルモットの栓のコルクをグラスの底に押し付けた後にジンを注ぐというのがあった。最もドライなマティーニはチャーチルが作ったもので、「ベルモットを口に含んだ執事に息を吐き掛けさせ」てジンを飲むというのと、ベルモットの瓶をそばに置いてジンを飲むというのがあるらしい。そんなことするぐらいなら、ジンだけ飲めばいいじゃんと思うが、それだとマティーニにはならない。

 DVDにはテレビ放映時の日本語吹き替え版が収録されている。主人公の声は今は亡き山田康雄。テレビ放映時のものなので、当然カットされている部分もあり、そこだけは字幕になる。どこがカットされているのか調べたら、ほぼ予想通り、ベッドシーンだった。

 主人公は終始コロッサスに監視されているので、恋人とベッドインするところだけ、監視から外すよう頼む。恋人を同僚の女性博士(スーザン・クラーク)ということにして監視を離れたところで情報を交換しようとする計画だったが、そのうちに本当にベッドインしてしまう。

 こういう息をつけるシーンがあるのは微笑ましい。ベッドルームに行く前に居間で全裸にならなければならないが、そこは1970年の映画らしく慎ましい表現の仕方だった。これも好ましい。

2008/10/04(土)「ウィッカーマン」

 スコットランドの警官ハウイー(エドワード・ウッドワード)が行方不明の少女ローワンを捜してサマーアイルという島に行く。その島は大地豊穰と男根崇拝が基本の原始宗教が信仰されていた。島民たちはローワンのことを知らないという。ローワンの墓を見つけ出したハウイーは島の領主サマーアイル卿(クリストファー・リー)から墓を掘り返す許可を取ったが、埋葬されていたのはウサギだった。果たしてローワンはどうなったのか。

 1973年製作のイギリス映画で監督はロビン・ハーディ。カルトとなったのは120分のフィルムを87分に縮めて公開されたためもあるだろう。DVDも長い間発売されていなかった。その後、監督によって99分版が編集されたそうだが、1998年の日本公開時には87分版だった。

 今回のDVDも87分版。原始宗教が支配する村という設定から深作健太「エクスクロス 魔境伝説」を思い出したが、まあよくある設定ではある。脚本は「フレンジー」「探偵 スルース」のアンソニー・シェーファーなので、ミステリ的な仕掛けがある。面白いけれども、傑作と呼べるほどではない。もう一ひねり欲しいところだ。ただし、これはキリスト教徒からすれば、衝撃的な内容ではある。

2008/09/28(日)「アイアンマン」

 ああ面白かった、というエンタテインメントを外していない作りに好感を持った。主人公のトニー・スターク(ロバート・ダウニー・ジュニア)は兵器産業の社長で天才的な頭脳を持つ。アフガニスタンで新兵器のデモンストレーションの後、無国籍ゲリラに拉致され、新兵器のジェリコミサイルを作るよう要求される。重傷を負っていたトニーは同じく監禁されていた医師インセン(ショーン・トーブ)から人工心臓を移植されていた。トニーは会社で開発していたアーク・リアクターを応用して、心臓の動力にし、ミサイルではなく鉄のパワードスーツを作って脱出、アメリカに帰る。

 アフガニスタンで戦争の悲惨さを見たトニーは兵器作りをやめると宣言、パワードスーツの改良版を作り、アイアンマンとしてゲリラに対抗するが…。というストーリー。テロ組織を敵役に持ってきたのは現代的と思ったら、そのうちアメリカ国内にもゲリラに通じた敵がいることが分かる。テロ組織を殲滅するだけの映画に終わっていたら、ふん、アメリカもいい気なものだと思ったかもしれない。「ロボコップ」に近い題材だが、「ロボコップ」ほど残酷でないのはR指定を警戒したためだろう。俳優でもある監督のジョン・ファブローは手堅くまとめている。

 ダウニー・ジュニアは好演と言って良く、過去の醜聞を払拭できただろう。秘書役のグウィネス・パルトローもひたすら良い。演技派なのに女性の魅力だけで見せるのはさすが。決して正当派の美人ではないと思うのだが、この人、魅力ありますよね。

 最後に「エンドクレジットの後に続きがあります」という字幕が出るのは余計か。クレジットの途中で席を立つ人が多いので仕方ないか。というより、これは2011年に公開予定の映画の布石でもあるから、言わずもがなの字幕を付けたのだろう。こうなると、「インクレディブル・ハルク」を見逃したのが痛い。DVDで追いかけよう。

2008/09/13(土)「靖国 YASUKUNI」

 喧噪と怒号が飛び交う8月15日の靖国神社の様子がめっぽう面白い。「中国に帰れ、中国に。とんでもない野郎だ。中国に帰れ、中国に。中国に帰れ、中国に。中国に帰れ、中国に。とんでもない野郎だ」。靖国参拝式典を妨害した2人の中国人に対して、男が何度も何度も繰り返す。それしか言葉を知らないのかと思えるぐらい延々と続く。そして中国人は殴られ、血を流す。あるいは「小泉首相を支持します」という紙と星条旗を持ったアメリカ人に対して、「なんだ毛唐か」「広島を忘れねえぞ」と罵詈雑言を投げつける。軍服を着て参拝する人たち、「天皇陛下バンザイ」と叫ぶ人たち。ラッパを吹き鳴らす人たち。

 その一方で合祀されている兵士の名前を取り消すよう求める遺族や台湾の人たちの様子が描かれる。「母は、息子2人は天皇に殺されたと言い続けて死にました」。遺族の一人が言う。靖国神社は軍国ニッポンの縮図であり、象徴だなとあらためて思わずにはいられない。

 石原慎太郎や小泉純一郎や右翼と思える人たちの言動が僕には気持ち悪くて仕方がなかった。同時に時代錯誤的なその振る舞いがおかしくて仕方がなかった。どうにもこうにも救いようのない人たちの姿である。

 南京大虐殺はなかったという署名を集める人たちの様子も描かれる。百人斬り競争の記事は毎日新聞の捏造だという主張に驚かざるを得ない。鈴木明「南京大虐殺のまぼろし」(1973年)を未だに参考にしているのだろう。百人斬り競争の記事は明らかに国威発揚を狙ったものであり、軍部の意向に沿った以上のものではない(だから、本多勝一「中国の旅」の中で日本軍の残虐行為を示す一例として書かれていることにも僕は疑問を持つ)。BC級戦犯として処刑された2人の将校が実際に百人斬り競争をやったかどうかは分からないが、これを否定すれば南京大虐殺全体の否定につながるという短絡的な考え方が根本的におかしいことに気付いていないのか、この人たち。

 そうした喧噪と怒号と同時に映画は靖国刀を作り続ける刀鍛冶の姿を静かに描く。この部分があまり深くないのが映画の弱さだが、李纓(リ・イン)監督が日本刀に日本軍の残虐行為を重ね合わせていることは明らかだ。ラスト、戦争中のニュースフィルムが流れ、その中で斬首される中国人たちの写真が何枚も映し出される。切り取った首を誇らしげに手に持つ日本兵。目隠しで座らされ、今にも斬首されそうな中国人。

 「靖国神社のご神体は刀であり、昭和8年から敗戦までの12年間、 靖国神社の境内において8100振りの日本刀が作られていた」のだという。刀は戦場に送られたものもあるそうで、将校が中国人斬首に使ったものもあったかもしれない。ニュースフィルムの中には軍服を着た昭和天皇の姿も映し出される。旧日本軍は天皇の軍隊だったのだから、当たり前の姿ではあるが、昭和天皇のこういう姿も久しぶりに見た。

 ニュースフィルムが日本軍の残虐行為を映した後で原爆投下のシーンを入れる構成は東南アジアの映画では普通のことらしい。もちろん、悪はこうして成敗されましたというニュアンスである。だからといってこの映画は反日でも反戦でもないが、靖国神社の位置と意味を明確に見せる映画であることは間違いない。

2008/08/24(日)「幻影師アイゼンハイム」

 ほとんど中身を知らずに見て、ラストでああ、そういう映画だったのかと思った(この鮮やかなラストには感心した)。僕はSF方面に発展していく映画なのかなと思っていた。死んだ恋人をマジックで生き返らせようとする男の話と紹介されていたからだ。恋人は確かによみがえるが、それはマジックの舞台の上で霊として登場するのであり、自分を殺した犯人が「この劇場の中にいる」と指摘する。

 「アフタースクール」同様にこれもまた何も知らずに見た方がいい映画。監督のニール・バーガーはこれが2作目で、作品は日本初公開。元CMディレクターらしいが、要注目の監督だと思う。次作「The Lucky Ones」が近くアメリカで公開される。

 19世紀末のウィーンが舞台。アイゼンハイムは少年時代に道ばたで奇術師と会い、不思議なマジックを見せられて奇術を志す。貴族の娘ソフィと親しくなるが、身分の違いから引き裂かれる。奇術を学ぶために世界を放浪したアイゼンハイム(エドワード・ノートン)は15年後、ウィーンに戻り、驚愕のマジックを見せる奇術師になっていた。ある日、アイゼンハイムの舞台を皇太子が見に来る。ソフィ(ジェシカ・ビール)が同行しており、2人は久しぶりに再会を果たす。アイゼンハイムのマジックは評判を呼ぶが、人心を惑わすとして皇太子は警部(ポール・ジアマッティ)に命じてアイゼンハイムの周辺を探らせ、逮捕させようとする。再会したアイゼンハイムとソフィの間には恋心が再燃する。しかし、ソフィは近く皇太子と結婚することになっていた。ソフィの心変わりを知って、皇太子は怒る。そんな折りにソフィが死体で見つかる。

 回想シーンはアイリスを使用したクラシカルな作り。それが19世紀を感じさせて良い。原作はスティーブン・ミルハウザーの短編。それをバーガー自身が脚色している。原作は知らないが、この脚色は見事だと思う。マジックを扱っただけでなく、映画自体にもマジックがあるのだ。

 SF方面の話と思ったのは劇中に驚愕のオレンジの木のマジックが登場するからでもある。こんなことがマジックでできるはずはなく、アイゼンハイムは超能力者だろうと思ったのだ。しかしこれは19世紀から実際にあるマジックだそうで、YouTubeでも見ることができる(http://jp.youtube.com/watch?v=-Ht_afydffk)。ただし、オレンジの木がいかにも作り物。映画のような幻想的な雰囲気には欠ける。