2009/07/18(土) 「アマルフィ」でシナリオ作家協会が抗議

 脚本家の名前がクレジットされていないためだそうだ。キネ旬の特集を確認したら、確かにスタッフ・キャストの一覧に脚本家の名前はない。読売新聞の記事によると、「脚本は、原作者の作家、真保裕一さんと西谷弘監督が担当したが、『一人で書き上げたわけではないと、それぞれが表示を辞退したので、協議して入れないことにした』」とのこと。キネ旬には「真保裕一が参加して練り上げた映画版のプロットの最初のアイデアを小説化したのが、単行本として刊行されている『アマルフィ』なのである」とある。映画版のストーリーは監督の西谷弘によるものなのだろう。クラークとキューブリックがそれぞれに小説と映画を完成させた「2001年宇宙の旅」と同じような成り立ちと言える。それならば、監督名を脚本家としてクレジットしてもよさそうなものだが、何かトラブルがあったのだろうか。

 アメリカ映画の場合、映画製作でトラブルがあり、監督が名前を伏せる際、以前はアラン・スミシーが使われた。これはWikipediaが詳しい。偽名でクレジットした脚本家なら、ダルトン・トランボが思い浮かぶ(僕はドルトンと記憶していたが、今はダルトンらしい。でも英語の発音としてはドルトンの方が近いだろう)。「ジョニーは戦場へ行った」の監督だが、赤狩りの“ハリウッド・テン”として映画業界を追放された。「ローマの休日」の脚本を書いたが、クレジットはトランボの友人のイアン・マクレラン・ハンターとなった。

 日本では堤幸彦が「恋愛寫眞」の脚本を書いた際、緒川薫名義にしたのではなかったか。これ、キネ旬で読んだ(と思う)。確認しようと思って検索してみたが、ヒットしないなあ。緒川薫という脚本家は堤作品しか担当していないことを見ても、間違いないと思うんだけど。市川崑監督の久里子亭(くりすてぃ)は有名。Wikipediaには脚本家の和田夏十との共同ペンネームとあるが、「天河伝説殺人事件」の時には和田夏十は亡くなっていたから、この時は市川崑の単独ペンネームということになる。

 「アマルフィ」の場合も架空の脚本家名をクレジットしておけば、抗議は受けなかっただろう。クレジットしないことが脚本家を軽視していると受け取られても仕方がない。

2009/07/11(土)キネマ旬報映画データベース

 キネ旬7月下旬号で紹介されていた。1945年以降の「邦画・洋画約4万タイトルと、映画関係者の人名20万件以上を網羅した日本最大級の映画データベース」。レビューもコミュニティもユーザ辞典もまだ閑散としている。ユーザ辞典はWikipediaのようなものを想定しているのだろうが、もっとアクセスを多くしないと、機能しないなあ。

 個人的に便利と思ったのは映画タイトルを検索すると、キネ旬の関連記事が表示されること。公開日から遅れて映画を見たり、DVDを見たりした時など関連記事を探すのに役立つ。「あの記事どこだっけ」と思いながら、探すことが多いのだ。

 キネマ旬報提供のデータベースはMovieWalkerのキネマ旬報DB/ Walkerplus.comにもあるが、いつの間にか名称が変わってた。自社のサイトに作った関係だろう。

2009/07/08(水)「ウルトラミラクルラブストーリー」

 キネ旬で「“天才監督候補”横浜聡子」という特集が組まれたのでそれなりに期待した。確かに終盤に登場する人を食ったような描写と展開には唖然呆然だった。が、それだけのことでもあった。なぜ主人公がああなるのかの説明が欲しい。その後のストーリーの発展も欲しい。単なるウルトラミラクルでは納得できない。思いつきだけで終わっているとしか思えないのだ。山口雅也「生ける屍の死」ぐらいの説明は欲しいところなのである。

 この程度の映画を持ち上げるのは本人のために良くない。と思ったら、映画生活では低い評価が並んでいる。平均評価は59点。いや、そんなに低いとも思わないんですけどね。

 脚本にもう少し説得力を持たせられるようになれば、真にユニークな存在になると思う。まあ、だからあくまでも今の段階では“候補”なのだろう。

2009/07/08(水)「ディア・ドクター」

 小説版のアナザー・ストーリー「きのうの神さま」を読んでいたので、これは僻地医療に関する映画だろうという先入観があった。その観点から見れば、困ったことに主人公の設定がマイナスにしか作用しない。西川美和は「赤ひげ」風になるのを避けてこういう設定にしたのだろうが、これでは医療の問題は深く言及しようがないのだ。なぜこんな設定にしたのか。キネ旬7月下旬号の桂千穂の批評を読んで、その疑問は氷解した。

 西川美和は前作「ゆれる」で高く評価された。「すると、誰もが映画監督としての技術や識見の持ち主と信じて疑わなくなった」そうだ。それに対する疑問の提示がこの映画なのだ。「私自身がそうであるように、何かに“なりすまして”生きている感覚は誰しもあるだろう。それで世の中が辛うじて成り立っている部分もあるはずだ。贋物という言葉が孕むそんな曖昧さを物語として面白く見せられないかなというのが企画の出発点になった」。そう言われれば、よく分かる。しかし、それならば、僻地医療を舞台にする意味があるのか。せっかく僻地医療の現状を取材したのにそういう話にしてしまっては意味が薄いように思う。

 西川美和に社会派を期待する方が間違いなのかもしれない。その問題は小説に結実させたのだから、映画はこれで良いのかもしれない。気胸患者を治療する場面の緊迫感をはじめ映画の描写には文句の付けようがないし、笑福亭鶴瓶、余貴美子らの演技にも納得させられた。井川遥も良かった。しかし、やっぱり、せっかく取材したのにもったいないという思いが残る。主人公の若い頃を描いてまったく隙がない小説版「ディア・ドクター」の域には到底達していないのは残念。本物偽物の話なら小説版の描写を取り入れた方が奥行きは出たと思う。看護師役の余貴美子にしても小説版の背景が描かれていれば、なぜ離婚したのか、なぜあんなに有能なのかの説得力も増しただろう。

2009/07/05(日)「おもいでの夏」のナレーション

 「愛を読むひと」の前半は「おもいでの夏」と同じような展開だった。「おもいでの夏」はかなり好きな映画の1本で、僕は高校生の頃、雑誌「ロードショー」で最後のナレーションを読み、影響されて「人生は小さな出会いと別れからできている」という言葉を卒業文集に引用した。これは原文ではどう言っているのだろう。「愛を読むひと」を見て、長年気になっていたことを確認したくなり、DVDを買った。最後のナレーションは字幕(高瀬鎮夫訳)では以下のようになっている。

別れだった
その後は知らない
まだ少年が少年である時代だった
わたしには理解できなかった
人生のささやかな出会い
人はそれで何かを得て
同時に何かを失う
42年の夏 わたしたちは対空監視所を4回襲い
映画を5回
そして9日は雨だった
ベンジーの腕時計は壊れ
オスキーはハーモニカをやめ
そしてわたしは
幼いわたしを永遠に失った

 「人生のささやかな出会い」というのが「人生は小さな出会いと別れからできている」の意訳だろう。ここをよく聞いてみると、英語では「Life is made up of small comings and goings」と言っている。これを手がかりに最後のナレーションの原文を検索してみた。やっぱり好きな人はいるようで、inthe70s, The Seventies nostalgia siteというページのMovie Quotes of the Seventiesに紹介されていた。

Life is made up of small comings and goings, and for everything we take with us, there is something we leave behind. In the summer of '42 we raided the Coast Guard station four times. We saw five movies and had nine days of rain. Benjie broke his watch. Oscy gave up the harmonica. And in a very special way, I lost Hermie...forever.

 映画はよくある10代の少年の初体験ものなのだが、とにかくミシェル・ルグランの切ないテーマが名曲すぎて名作化に大いに貢献している。ロバート・マリガンの演出も手堅い。何よりジェニファー・オニールがきれいだった(「スキャナーズ」で再会した時にはあまりの変わりようにビックリしたんだけど)。

 ついでに最初のナレーションとドロシーの置き手紙も引用しておく。これ、DVDを買う前に検索したが、正確なものがあまりなかった。

「わたしは15歳の夏をここで両親と過ごした。当時は今より家も人もはるかに少なかった。島の地理も海の姿もずっと鮮明だった。寂しい所だったが、近所の家族もここに来ていて、結構友だちはいた。1942年の夏にいたのは一番の親友オスキー、2番目の親友はベンジー。自称“猛烈トリオ”だ。丘の家に彼女がいた。顔を見た日から現在まで、彼女とのことほど、わたしを恐れさせ、混乱させた体験はない。もう二度とないだろう。彼女に与えられたあの安らぎ、あの不安、あの自信、そして無力感」
「ハーミー、私は実家に帰ります。分かってください。せめてもの置き手紙です。昨夜のことを弁解はしません。時がたてば、あなたにも分かるでしょう。わたしはあなたを思い出にとどめ、あなたが苦しまないことを望んでいます。幸せになってください。ただそれだけ。さようなら ドロシー」