2013/12/16(月)「ゼロ・グラビティ」

 最後まで見て初めて、グラビティ=重力という原題の意味が感慨深いものになる。邦題にある「ゼロ」はつくづく余計だと思う。配給会社はいったい何を考えておるのか。

 という些末なことはどうでもよい。映画は3Dの技術の高さに驚嘆させられるものの、それよりも決してあきらめない主人公を置いたことが成功の大きな要因になっていると思う。次から次に襲いかかる困難を一つ一つクリアしていく主人公。「宇宙からの脱出」を図るため、懸命に必死に知力と体力を駆使する姿が感動的だ。本当に人を引きつけるのは技術よりも物語なのだ。

 後半は一人芝居となるサンドラ・ブロックに「しあわせの隠れ場所」に続いて2度目のオスカーの呼び声があるのも納得だ。宇宙服を脱いで、宇宙船の中で奮闘する姿は「エイリアン」のシガニー・ウィーバーを彷彿させた。49歳なのに引き締まったスタイルの良さには感心させられる。女優は体を鍛えておかなくてはいけない。絶望的状況の中でもユーモアを忘れず、ブロックを鼓舞するジョージ・クルーニーも格好良くて好ましい演技だ。

 余計なものをそぎ落として緊張感とサスペンスが持続する91分。映画の中の時間と実時間が一致しているようにも思えるが、90分で地球を周回する宇宙のごみが2度襲来するので、映画は少しだけ時間が長いことになる。

2013/09/22(日)「アルゴ」

 なるほど、これはアカデミーが作品賞をあげたくなるのがよーく分かる。ハリウッドの映画人がすごく魅力的に見えるのだ。イランの米国大使館にイラン国民が殺到する緊張感あふれる場面から一転、メイクアップアーティストのジョン・チェンバース役ジョン・グッドマンが登場すると、画面の雰囲気ががらりと変わる。フェイク臭が立ちこめて、これはコメディかと思えてくる。プロデューサー役のアラン・アーキンとグッドマン、実に儲け役だ。映画が成功したのはこの2人の起用も大きい。ラストにはジャック・ニコルソンまでカメオ出演していて、映画人ならびに映画ファンなら喜ばないわけがない。

 サスペンス映画としては普通の出来だと思うが、このハリウッドパートの描写が好ましく、作品に緩急のアクセントが生まれた。これを緩急自在の演出と言ってよいかどうかは分からないが、ベン・アフレック監督、隙のない作品に仕上げている。次作に予定されているデニス・ルヘインの大傑作「夜に生きる」もこの調子で演出してくれれば、十分に期待できるのではないかと思う。

2013/09/16(月)「嘆きのピエタ」

 久しぶりのキム・ギドク。3年間の隠遁生活に入る前のギドク作品は鮮烈な描写と異様なシチュエーションに比べて思想的背景が薄弱と感じることが多かった。ここまで引っ張ってきて、結論はそれだけかと思わされることが多かったのである。隠遁生活を経てギドクは変わったのか?

 結論から言えば、ギドクは変わっていない。3年ぐらいで人間、劇的に変わることなんてあり得ないのだ。ただ、今回はミステリー的趣向がうまくいっている。優れたミステリーとつまらないミステリーを分けるのは謎が解けた後に何を描くかだと思う。謎が解けてめでたしめでたしだけで終わるミステリーにろくなものはない。この映画では母子の愛情や絆、人間性といったテーマがずっしりと描かれる。

 赤ん坊の頃に母親に捨てられて一人で生きてきた主人公のガンド(イ・ジョンジン)は利子が10倍というヤミ金の取り立て屋。借金を返せない場合は手を切断したり、足を折って障害者にして保険金を受け取る。非人間的であくどいやり口だ。そんなガンドの前にある日、母親と名乗るミソン(チョ・ミンス)が現れる。「捨ててごめんなさい」と謝るミソンを最初、疑っていたガンドは初めて味わう肉親の情に徐々に変わり、ミソンを「母さん」と呼んで、笑顔を見せるようになる。

 もちろん、ギドク作品がこれだけで終わるわけはない。終盤にさしかかるところで映画はネタをばらし、悲痛で不幸で重たいラストに突き進んでいく。しかし、それにもかかわらず、この映画、救いがある。ガンドは決して不幸なままじゃない。母子の愛情を感じさせ、人間性を取り戻すことの意味を映画は静かに訴える。

 ヤミ金から借金しているのは韓国の高度成長から取り残されたような寂れた町工場の主人たち。この寂れた風景と金に困った人たちの姿が印象に残る。パンフレットのインタビューでギドクはこう語っている。「韓国社会では名誉や権力、外見などさまざまなことが金銭で解決されることがあります。しかし金銭によって傷つけられる人間も多い。それを『嘆きのピエタ』で描いてみたかったのです。……韓国だけでなく世界中の多くの国が抱えている資本主義の犠牲、つまり経済的な理由で人々が傷つけられているという現実に対するこの映画のメッセージを、(ベネチア映画祭の)審査員が読み取ってくれたのだと思いました」。

 ギドクの言う通り、それがベネチア映画祭金獅子賞の要因として強く働いたのだと思う。そうした部分の普遍性がこの映画の力強さの根源にある。

2013/08/16(金)「遊星からの物体X ファーストコンタクト」

 VFXのレベルが29年前のジョン・カーペンター版と同レベル。この間の進歩はなかったのかと少し情けなくもなるが、カーペンター版の前日談なので「整合性を取るため」という理屈は通る。ただ、誰がエイリアンなのか分からないという疑心暗鬼の展開まで同じにすることはなかった。全然別の展開を考えても良かったのではないか。ヒロイン役のメアリー・エリザベス・ウィンステッドのみ光る。

 原題がカーペンター版と同じ「The Thing」なのはまぎらわしい。続編を作る意図もあったらしい。

2013/08/10(土)「パシフィック・リム」

 太平洋の海底の次元の裂け目から現れた怪獣(KAIJU)と巨大ロボット(イェーガー)が戦うSFアクション。「トランスフォーマー」の時も「リアル・スティール」の時も思ったのだが、アメリカ製のCGのロボットにはクシャッとすぐに壊れそうなもろさを感じる。質感が華奢で重量感に欠けるのだ。この映画のロボットも例外ではなく、実際にすぐに壊れるし、頼りないことこの上ない。何よりもこのストーリー、キャストでは映画が盛り上がらない。CGに予算がかかるのでキャストはB級にせざるを得なかったのだろう。ギレルモ・デル・トロ作品ではおなじみのロン・パールマン(「ヘルボーイ」)のみ怪獣に負けない存在感があった。というわけで、いくら製作費をかけていても、B級の感じが抜けきらない映画だ。

 一番の問題はストーリーで、いったん、怪獣にやられたのなら、ロボットはパイロットだけでなく、機能的にもパワーアップしてほしいところだ。実はマッドサイエンティストが秘密兵器や強力な装甲を作っていて…みたいな展開がほしい。クライマックスは最強の怪獣とパワーアップしたロボットとの対決になるべきなのだ。ロボットの操縦士として一度は失格した菊地凛子が復活する展開にも説得力が足りない。兄を殺された主人公(チャーリー・ハナム)にしても、怪獣への憎しみが足りない。ドラマの構築が弱いと思う。「ガメラ3 邪神覚醒」の前田愛のような在り方を見習うべきだ。主人公のエモーションが脆弱なので、ドラマを引っ張る力に欠けるのだ。

 怪獣の造型にもイマイチ感が漂う。アメリカ製の怪獣はどうしてあんなに爬虫類を少しアレンジしただけのどれもこれも似たような感じになるのか。パンフレットによれば、この映画には10種類以上の怪獣が登場するが、どれも同じように見える。大量生産型のクローン怪獣なので、個性に乏しくなるのだろう。これが日本の怪獣映画とは異なるところで、ゴジラやキングギドラやモスラやラドンのように怪獣自体に強烈なキャラを設定しないと、怪獣映画としての魅力は高まっていかない。脚本はデル・トロとトラビス・ビーチャム(「タイタンの戦い」)。もう少しSFの分かる脚本家を参加させた方が良かっただろう。CGの技術は一流なのに、これでは惜しい。

 菊地凛子は頑張っているが、この役柄なら、あと10歳ぐらい若い女優の方が良い。ほとんどセリフなし、赤い靴を持って「ママ…」と泣きながら逃げ惑う芦田愛菜はハリウッドでも注目を集めそうだ。