2021/10/31(日)「先生、私の隣に座っていただけませんか?」ほか(10月第4週のレビュー)

「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」

1969年にニューヨークのハーレムの公園で行われた「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」のドキュメンタリー。
フェスティバルは6月から8月にかけて日曜日に6回開かれ、計30万人の観客を集めた。
4台のビデオカメラで撮影された映像は当時、「ウッドストック」とは対照的に「売れない」と言われ、撮影者の自宅の地下室に眠ることに。
プロデューサーのロバート・フィヴォレントはこの映像素材のことを2016年に知り、撮影者と契約を交わして映画の制作を始めた。
テープは40時間分あり、製作総指揮と監督を務めたアミール・“クエストラヴ”・トンプソンはそれを編集して3時間25分にし、さらに短くして2時間弱の映画に仕上げた。
映画はジョン・F・ケネディ、マルコムX、キング牧師、ロバート・ケネディの暗殺をはじめベトナム戦争やアポロ11号の月着陸など激動の60年代の世相を織り込みながら、フェスティバルの熱気を伝えています。
黒人指導者や理解のある政治家の暗殺が続いたことから当時のハーレムは暴動の一歩手前。
フェスティバルにはそれを沈静化する狙いもあったようですが、参加アーティストたちの現状に対する抗議の姿勢をしっかり見せています。
19歳のスティーヴィー・ワンダーや「To Be Young, Gifted and Black」を歌うニーナ・シモンも良かったのですが、個人的にはフィフス・ディメンションの「輝く星座(アクエリアス)/レット・ザ・サンシャイン・イン」のパフォーマンスが一番響きました。
52年前のコンサートなので懐メロ気分も湧いてくるんですが、黒人差別に関して52年前と今の状況がほとんど変わっていないことを強調した作りが評価の高さにつながっているのだと思います。
アメリカでの評価を見ると、IMDb8.2、メタスコア96点、ロッテントマト99%と絶賛となってます。

「先生、私の隣に座っていただけませんか?」

「TSUTAYA CREATOR'S PROGRAM」で準グランプリを受賞した企画・脚本を堀江貴大監督自身で映画化。
人気漫画家の早川佐和子(黒木華)は結婚5年目。夫の俊夫(柄本佑)も漫画家だが、新作を4年も発表していず、今は佐和子のアシスタントをしている。佐和子の母親(風吹ジュン)が事故に遭い、2人は実家に帰った。
俊夫は佐和子が書いた新作漫画のネームで、自分と編集担当者の千佳(奈緒)の不倫を描いていることに衝撃を受ける。
さらにその話は自動車教習所の先生(金子大地)と佐和子の不倫に発展していく。果たして佐和子は俊夫の不倫を知っているのか、教習所の話は本当なのか。
話が二転三転するのは面白いのですが、どうも狭いところをぐるぐる回っている観があります。
演出のメリハリも欲しいところ。
とはいえ、黒木華と柄本佑なので最後までそれなりに見せます。
奈緒も良かったです。

2021/10/19(火)破格の面白さ「最後の決闘裁判」

 ラスト近く、ヒロインのマルグリット(ジョディ・カマー)が見せる無表情は愚かすぎる男性優位社会に愛想を尽かし果てた結果だろう。カマーの演技は「第三の男」ラストのアリダ・ヴァリの冷たさを彷彿させる。リドリー・スコット監督の「最後の決闘裁判」は83歳の監督が撮ったとは思えないほどの充実ぶりを見せつける。14世紀のフランス最後の決闘の話なのに、現代に通じるさまざまな問題を提示し、複雑な感情を呼び起こすのだ。見事な完成度と言うほかない。



 エリック・ジェイガーのノンフィクション「決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル」(文庫版は現在、映画と同じに改題)をマット・デイモンとベン・アフレックの「グッド・ウィルハンティング 旅立ち」のコンビに、ニコール・ホロフセナー(「ある女流作家の罪と罰」)が加わった3人で脚色。レイプ事件を夫と妻、加害者の三者三様の視点で語るという構成は言うまでもなく黒澤明「羅生門」を踏襲しているが、もちろん単なる模倣には終わっていない。

 騎士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリットがカルージュの旧友ジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)にレイプされたと訴える。その時、ジャンは不在で使用人たちも夫の母親に連れられて外出しており、家にはマルグリット以外誰もいなかった。ル・グリは否定するが、妻の言葉を信じたカルージュは国王に決闘裁判を申し出る、というのが大まかなプロット。これを映画は第1章をカルージュの視点、第2章をル・グリの視点、第3章をマルグリットの視点で語る。

 リドリー・スコットはいつものように完璧な美術と画面構成でストーリー語っていくが、はっきり言って第1章を見た段階では凡庸な映画なのではないかと疑いたくなった。その印象は第2章で一変する。カルージュの無能さ、愚かさがル・グリの視点で語られ、カルージュ視点の物語とは微妙に異なるものとなっているのだ。レイプの事実は変わらない。しかし、ここでは男の目から見た都合の良い女性の姿も描かれていく。そして第3章ではマルグリットが感じているカルージュへの不満、姑への不満、ル・グリの女たらしで横暴な側面が明らかにされていく。

 脚本にホロフセナーが加わった大きなメリットはこの第3章にあるだろう。夫の一方的なセックス、結婚して5年たっても子どもができないことに対する姑の嫌み、女性の第一の役割を子どもを産むこととする14世紀の価値観は今の社会でも残念ながら見られるものだ。驚いたことに当時の女性には裁判に訴え出る権利はなかった。その権利は自分の所有物を汚された夫だけにある、とされていた。レイプ裁判なので法廷では当然のようにセカンド・レイプのような審問が繰り返されることになる。

 マルグリットは決闘裁判に持ち込むことを望んではいなかったが、怒ったカルージュが自分のメンツから決めてしまった。決闘裁判が恐ろしいのは勝った方が正しいとされること。神が正しい者を勝たせると信じられていたからだ。その上、レイプされた女性は夫が決闘に負けた場合、裁判で偽証したと判断され、生きたまま火あぶりの刑に処せられる。

 クライマックスの決闘場面はとんでもなくリアルな迫力で描かれる。槍を持ち、馬に乗って激突するカルージュとル・グリ。槍では決着が付かず、2人は馬を下り、斧やナイフで戦う。決闘はどちらかが死ぬまで続くのだ。決闘場には火刑台があり、その上には足かせを嵌められたマルグリットが喪服を着て立っている。周囲には決闘を見に来た多数の民衆がいる。マルグリットはどうなるのか。

 黒澤明は「羅生門」を人間不信の物語の果てに「それでも人間を信じたい」とのヒューマニズムで締めくくった。リドリー・スコットは女性を下に見る男性優位社会に対するヒロインの絶望を通り越した激しい怒りで終わらせる。傑作を既に数多く発表してきたスコットがまたも代表作となる1本を加えた。80代でこれほど破格に面白い映画を撮れる監督は極めてまれだ。優れた脚本の助けがあったとはいえ、すごい監督だと思う。

2021/10/17(日)「DUNE デューン 砂の惑星」ほか(10月第3週のレビュー)

「由宇子の天秤」

ドキュメンタリー番組のディレクター由宇子(瀧内公美)が女子高生いじめ自殺事件の真相を追う番組の制作で報道被害やネットの誹謗中傷のひどさを描くのが発端。女子高生は講師と関係を持っていたと疑われ、その講師の方も自殺。遺書には抗議の意味をこめて、と書かれていた。由宇子は仕事の傍ら、父親(光石研)の学習塾を手伝っているが、その父親の衝撃的な事実を知らされる。父親のことが世間に知られれば、自分の仕事にも影響する。由宇子は究極の選択を迫られる、というストーリー。
由宇子は取材を進める事件と父親の問題の2つを抱えるわけですが、どちらもほぼ先行きが分かったと思わせた段階でさらに新しい事実が判明します。この映画、いじめや報道被害や貧困を描いていますが、だから傑作なのではなく、この物語の作りが優れているからだと思います。物語のヒントになったのは2014年のいじめ自殺事件の際、無関係の同姓同名男性がネットリンチに遭った事件とのこと。これが一見、単純な事件の奥にある複雑な物語の作りになったのではないかと思います。
同時に春本雄二郎監督の描写のうまさが光っており、由宇子が体調を崩した貧困家庭の女子高生に雑炊を作って食べさせる場面や、世間から隠れてひっそりと暮らす講師の母親(丘みつ子)と講師が好きだったパンを一緒に食べる場面など温かみのある描写になっていて実にうまいです。瀧内公美もまたまた有力な主演女優賞候補でしょう。

「DUNE デューン 砂の惑星」

フランク・ハーバートの名作SFをドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映画化。西暦10190年、レト・アトレイデス公爵(オスカー・アイザック)は皇帝の命を受けて、砂の惑星アラキス(デューン)を治めることになる。そこは抗老化作用のほか、宇宙を支配する能力を与えるスパイス“メランジ”の唯一の生産地で、アトレイデス家には莫大な利益がもたらされるはずだった。しかし妻のジェシカ(レベッカ・ファーガソン)と息子のポール(ティモシー・シャラメ)を連れてデューンに乗り込んだレト公爵を待っていたのはメランジの採掘権を持つ宿敵ハルコンネン家と皇帝が結託した陰謀。壮絶な戦いで父を殺され、地位を追われたポールは現地の自由民フレメンの中に紛れることになる。
1984年のデヴィッド・リンチ監督版を僕は見ていなかったので、先日見ました。漫画チックと言える作りに加えてダイジェスト感は否めず、今回のヴィルヌーヴ版の足下にもおよびません。ヴィルヌーヴが取ったのは正攻法、高尚、高級、高規格の画面作りにほかならず、始まって30分ぐらいは「すげえ、これはすげえ」と画面に見惚れていました。
ただし、メインタイトルと一緒にパート1と示されるだけあって、2時間35分かけてもなかなかストーリーが進みません。加えて主人公側がメタメタにやられる展開で、「スター・ウォーズ」で言えば、「帝国の逆襲」のようなもの。「帝国の逆襲」は傑作でしたが、この映画の場合、キャラクターに深く感情移入するには至らず、巨大な砂虫(サンドワーム)の見せ場も少なく、「帝国の逆襲」ほどのドラマ性は備えていません。評論家の評価は高いにもかかわらず、一般観客の支持があまり高まらないのはそうしたことが影響しているのかもしれません。
いずれにしてもヴィルヌーヴには一刻も早く主人公たちが反転攻勢するパート2を作ってほしいところです。

「アナザーラウンド」

今年のアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞したデンマークのトマス・ヴィンターベア監督作品。主演はいつもコンビを組んでいるマッツ・ミケルセン。
冴えない4人の中年高校教師が「血中アルコール濃度を0.05%に保つと、仕事の効率が良くなり、想像力がみなぎる」という理論を確かめるため実際に酒を飲んで授業を行う。ほろ酔い状態だと、授業も楽しくなり、生徒たちとの関係も良くなっていく。仕事だけでなくプライベートも好転するかと思われたが、実験が進むにつれて制御が利かなくなってしまう。
アルコール濃度を保つと好転する→保たないとダメになる、という風に依存が強まっていく展開は目に見えていて、基本コメディなんですが、事態は笑えない展開になっていきます。仕事のほか、それぞれに家庭にも問題を抱えた中年男のクライシスを描いているのが共感を呼ぶ部分かもしれません。でも、問題を酒で解決しようとするのはやはり無理があるのでしょう。
字幕で出るアルコール濃度の単位は‰(パーミル)でしたが、デンマークでは普通にこれを使うんでしょうかね。デンマークでは16歳から酒が買えるそうで、劇中、面接の緊張緩和のため先生が生徒に酒を勧める場面があっても、違法ではないわけですね。

2021/10/13(水)9月後半に見た映画

「サマーフィルムにのって」

「サマーフィルムにのって」パンフレット
 時代劇オタクの女子高生ハダシ(伊藤万理華)が仲間と一緒に映画を撮ろうとする話。ハダシは映画部に所属しているが、部で年1本作る映画に自分の脚本「武士の青春」は採用されず、ラブコメの脚本が採用されて意気消沈。自分の脚本の主役にピッタリの凛太郎(金子大地)と出会ったことから、友人のビート板(河合優実)、ブルーハワイ(祷キララ)らとともに独自に時代劇映画の撮影を始める。しかし、凛太郎にはある秘密があった。

 ビート板はSFファンで筒井康隆「時をかける少女」やハインライン「夏への扉」の文庫本を読んでいて、この映画もタイムトラベルの要素を含んでいる。ただ、SF方面への発展はほぼない。映画作りとほのかなラブストーリーを組み合わせた青春映画で、元乃木坂46の伊藤万理華は頑張っているが、脚本の弱さをカバーするには至っていない。

 マニアックではないほどほどの脚本に、ほどほどの演出をした、ほどほどの映画というのが率直な感想。同じく女子高生を主人公にした横浜聡子「いとみち」の完成度にはとても及ばないが、映画愛や共同作業の連帯感は十分に表現されていて、高校生に受けるのは「いとみち」よりこっちの方かもしれない。

 監督は「青葉家のテーブル」、テレビドラマ「お耳に合いましたら。」(これも伊藤万理華主演)などの松本壮史。

「マスカレード・ナイト」

 「マスカレード・ホテル」(2019年)の続編。ホテル・コルテシア東京で大晦日のパーティーに殺人犯が現れるとの密告状が届き、警視庁捜査一課の刑事・新田浩介(木村拓哉)が今はコンシェルジェとなったホテルマンの山岸尚美(長澤まさみ)と再び組んで潜入捜査するというミステリー。

 悪くはないが、際立った部分もないフツーの出来。犯人の間抜けなところがトリック破綻の原因となっているのはどうかなと思う。朝ドラ「おかえりモネ」で「理想の上司」「頼れる上司」「かっこいい上司」として大きく株を上げた高岡早紀の扱いの小ささは少し残念。

 小日向文世と長澤まさみが同じ画面に出てくると、「コンフィデンスマンJP」のリチャードとダー子に見えてしまう。監督は前作と同じ鈴木雅之。

「MINAMATA ミナマタ」

「MINAMATA ミナマタ」パンフレット
 水俣病を描くというより、写真家ユージン・スミスを描いた力作だと思う。50年前の話なので熊本には当時の風景がないこともあって撮影は主にセルビアとモンテネグロで行われたそうだ。明らかに日本の風景とは異なる場面があったり、子役が日本人には見えない場面もあったりするが、大きな障害にはなっていない。

 プロデューサーも兼ねたジョニー・デップの役作りは「パイレーツ・オブ・カリビアン」などと大きくは変わらない。それが逆にアルコール依存で弱い面も持つユージンのキャラクターに厚みを持たせている。抗議運動のリーダーを演じる真田広之は米国生活が長いのでもちろだが、チッソの工場長役・國村隼と美波の英語もうまくてびっくり。この英語力があるから國村隼は東京舞台のアクション映画「ケイト」(Netflix)にも浅野忠信とともに出演しているのだろう。

 ユージン・スミスが大けがをしたのは「入浴する智子と母」を撮影した後だったのに映画では前になっているなど事実と異なる部分もあるようだが、日本の一地方の公害を世界に知らしめた出来事を堅苦しくなく、感動的にまとめたアンドリュー・レヴィタス監督の手腕は大したものだと思う。

「空白」

「空白」パンフレット
 いつもは笑いがあるのが当たり前の吉田恵輔監督が今回は笑いを封じたと言っているが、僕は特に寺島しのぶにおかしさを感じた。笑いはその人のキャラクターと密接だから、キャラを深く描くことが必要だが、寺島しのぶはかなり年下の店長を密かに好きなおばさんの役柄が実にぴったりでおかしかった。店長を慰めて抱きしめているうちに思わずキスしてしまうところなんか、「あるある」と思えた。

 映画は恣意的なマスコミ報道とネットの中傷を描きながら、誰もが被害者にも加害者にもなり得る今の社会を浮き彫りにしているが、本当のテーマは人の再起にある。突然起こった絶望的な出来事から人はどう立ち直っていくのかを描いているのがこの映画の最大の美点だろう。

 出てくる役者はすべてよくて、古田新太の下で働き、深く理解している藤原季節や少女をはねた車を運転していた女性の母親の片岡礼子、少女の母親の田畑智子、担任の先生役趣里まで良かった。

 古田新太の娘役の伊藤蒼は消え入りそうで存在感のない女の子で、ああいう悲劇的な死を遂げるのにぴったりだったが、NHK朝ドラ「おかえりモネ」ではしっかりした女子中学生を演じていた。

「クーリエ:最高機密の運び屋」

「クーリエ:最高機密の運び屋」パンフレット
 1960年代の冷戦、特にキューバ危機を背景にしたスパイの実話を基にした物語。ほとんど内容を知らずに見たので終盤の展開が意外だった。ここで主演のベネディクト・カンバーバッチはげっそり痩せた姿を見せ、悲運なソ連側スパイとの友情にも胸が熱くなる。十分に水準をクリアした出来だと思う。

 主人公のグレヴィル・ウィンは自伝も書いているが、自分を美化して嘘がまざっているという批判があるそうだ。そのため脚本のトム・オコナーはさまざまな資料に当たって脚本化したとのこと。だからこれは実話ではなく、実際の事件を基にしたフィクションと見た方が良いだろう。

 ドミニク・クック監督の演出は同じ時代のスパイを描いたスピルバーグ「ブリッジ・オブ・スパイ」という傑作があるので比較すると、分が悪くなる。アメリカでの評価がそれほど良くないのはそうした諸々の部分が影響しているのかもしれない。

 主演のカンバーバッチは3カ月で10キロ痩せたそうだ。10キロ減量にしては痩せすぎじゃないかと思えるが、減量すると極端に頬がこける人もいるし、一部CG処理とメーキャップの効果もあるのだろう。主人公にクーリエ(運び屋)となることを依頼するCIA職員役のレイチェル・ブロズナハンはamazonオリジナルドラマの「マーベラス・ミセス・メイゼル」の主演女優。コメディドラマとは打って変わった役柄だが、何でもできる女優なのだ。

2021/10/10(日)「ONODA 一万夜を越えて」ほか(10月第2週のレビュー)

「東京クルド」

東京在住の2人のクルド人青年に焦点を当てたドキュメンタリー。
オザンとラマザンはトルコ国籍のクルド人で、身の危険を感じて家族と小学生の頃に日本に逃げてきた。
家族ともども難民申請をしているが、認められず、不法滞在状態で入管への収容をいったん解除される仮放免の身分。不法滞在なので働くことは禁じられ、もちろん健康保険等もない。2カ月に一度、入管に行き、現状報告する義務がある。
日本政府がクルド人を難民と認定したことはないそうで、こうした宙ぶらりんな状態が何年も続くことになっています。
クルド人に限らず、日本政府が難民認定に消極的、というか、追い返す施策を取っているのは難民が増えるのを警戒しているからでしょう。
世界5位の移民大国になったにもかかわらず、通常の移民よりも困っている人たちに手を差し伸べないことには疑問を感じます。
日本政府に必要なのは人道的観点からの施策でしょう。
監督はテレビドキュメンタリーを手がけてきた日向史有。

「ONODA 一万夜を越えて」

フランス人のアルチュール・アラリが監督。
1974年までの戦後29年間、終戦を知らずにフィリピンのルバング島で戦った小野田寛郎元少尉を描いています。
小野田元少尉と言えば、僕は軍刀をフィリピン軍の司令官に渡す場面をテレビで見たのを覚えています。
投降する際の旧日本軍の作法だったと説明され、会見で述べた言葉も含めて「恥ずかしながら帰って参りました」の横井庄一さん(元軍曹)とは違うな、さすが将校だと思えましたし、一般的な評価もそうでした。
映画には小野田がルバング島の住民を殺す場面が3度描かれ、こういうこともあったんだと驚きますが、実際には3人どころではなく、本人の言葉によると、30人を殺害、100人に負傷させたそうです。
そうした小野田の負の側面は当時から一部報道されていたようですが、賞賛の世論の中に埋もれていました。
ルバング島民にとって、小野田とは29年間にわたって略奪と殺傷を繰り返してきた凶悪な犯罪者にほかならないでしょう。
小野田が終戦を知らなかったということを疑問視する見方もあります(ラジオで日本の短波放送を聞いていたのですから知らなかったはずはないでしょう)。
アラリ監督は父親から聞いて小野田のことを知り、、日本在住のジャーナリストだったベルナール・サンドロンの著書「ONODA」を読んで映画化を決めたそうです。
174分という長尺なのでジャングルシーンなど長すぎると思えますが、負の側面を最小限に抑えたフィクションとして見るならよく出来ています。
壮年期の小野田を演じる津田寛治はかなり体重を落として外見を似せていますし、小野田を発見して日本に帰国させる役割を果たす冒険家・鈴木紀夫を演じる仲野太賀、小野田のかつての上官谷口役のイッセー尾形らも好演しています。
全編日本語であることを考えると、アラリ監督の演出は的確です。
ちなみに「野生のパンダと小野田さんと雪男に会うのが夢」と話していた鈴木紀夫は2つを実現した後、3つ目を目指してヒマラヤに行き、遭難死したそうです。