2005/11/02(水)「散るぞ悲しき」

 「散るぞ悲しき」表紙サブタイトルは「硫黄島総指揮官・栗林忠道」。原田真人監督の日記に「素晴らしい。必読」とあったので読む。5日間で終わると米軍が考えていた硫黄島の攻防戦を、本土への空襲を防ぎたい一心で36日間にわたって持ちこたえ、最後は攻撃の先頭に立って戦死した栗林中将を描いたノンフィクション。大本営から見捨てられた硫黄島で、意味のないバンザイ突撃を否定し、日本軍の伝統だった水際での米軍上陸阻止作戦を否定し、地下壕を築いて徹底抗戦したその姿を浮き彫りにする。

 日本軍の指揮官は突撃には参加せず、玉砕の際には割腹自殺するのが普通だったという。栗林は唯一、突撃した指揮官なのである。幹部の豪華な食事を拒否して一般の兵士と同じものを食べ、部下の健康に気を配り、水の乏しい硫黄島で率先して節水に努めたという人となりもいいが、何よりも多く引用される家族への手紙が胸を打つ。

 「最後に子供達に申しますが、よく母の言いつけを守り、父なき後、母を中心によく母を助け、相はげまして元気に暮して行くように。特に太郎は生れかわったように強い逞しい青年となって母や妹達から信頼されるようになることを、ひとえに祈ります」

 栗林は若い頃にアメリカに留学し、アメリカの国力をよく知っていた。だから戦争には元々反対だったそうだ。最後の電報には無謀な戦争を始めた上層部批判と受け取れる内容がある。知力を尽くした合理的な戦い方はアメリカを苦しめ、それゆえアメリカでの栗林の評価は高いという。

 タイトルの「散るぞ悲しき」は「国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」という栗林の辞世の句に基づく。ノンフィクションとしては241ページではやや短く感じる。硫黄島の地獄の戦闘をさらに詳細に描き、栗林の硫黄島に至るまでの生い立ちをもっと詳細に描いても良かったと思う。戦後60年を過ぎ、戦場を知る関係者は次々に亡くなっており、こういうノンフィクションの取材は今がぎりぎりの所にあるような気がする。

 日本兵20,129人、米兵6,821人が戦死した硫黄島の激戦はクリント・イーストウッドが2本の映画化を進めている。アメリカ側と日本側の双方から描いた映画をそれぞれ作るという。アメリカ側の視点に基づくのは「硫黄島の星条旗」(Flags of Our Fathers)。摺鉢山に星条旗を立てた米軍兵士の息子(この本にも登場するジェームズ・ブラッドリー)が書いたノンフィクションの映画化である。原田監督によると、日本側視点の映画は栗林中将を描くらしいということだが、さてどうなるか。