2006/05/27(土)「嫌われ松子の一生」
「人生って何? 人生って何?」と始まった歌詞が「愛は人生、愛は人生」と変わっていく。ひどい男を殺して刑務所に入った川尻松子(中谷美紀)が自分を愛してくれた平凡な理容師(荒川良々)の元へ行こうと決意する心情の変化をたどる場面に合わせて流れるこの「What Is A Life」(AIと及川リンのコラボ)がもっともミュージカルらしい歌だと思う。男の元で意外な事実を知った中谷美紀の泣き笑いの表情もいい。パンフレットによれば、監督の中島哲也は最初に場面に合わせた歌を各アーティストに頼んだそうだ。歌と踊りで主人公の心情を表現するというミュージカルの根本的な在り方がこの映画にはある。
いや心情どころか、ドラマの展開までを盛り込んでおり、不倫した男との幸せを綴り、ディズニー映画の音楽を思わせる「Happy Wednesday」も秀逸な歌であり、まるで50年代のハリウッド映画のミュージカルのようにハッピーな感覚にあふれた秀逸なシーンだ。歌にドラマを肩代わりさせることが、物語の簡潔な描き方にもなっている。日本映画としては本当に珍しくミュージカルとして成功した映画と言える。同時に昭和22年生まれという松子の人生に合わせてその時々のヒット曲を盛り込んでいるのがもう、ほとんど歌謡映画。音楽がこれほど重要な位置を占める映画というのもまた日本映画としては珍しい。極彩色の場面とCGを盛り込んだ独特の映像とテンポの速い展開も併せて、中島哲也のオリジナリティは革新的であり、海外に十分通用する技術だと思う。
そもそも山田宗樹の悲惨な原作の中にユーモアを感じたという中島哲也のセンスが非凡なものなのだろう。映画は河原で撲殺された松子の部屋を掃除するよう父親(香川照之)から言われた松子の甥の笙(瑛太)が松子の一生をたどる形式。松子は小学校の教師をしていたが、修学旅行先の旅館で盗みを働いた男子生徒をかばった(というよりは早く問題を終わらせたかった)ために誤解が誤解を呼んで教師を辞職させられる。家では病弱な妹久美(市川実日子)ばかりをかわいがる父親(柄本明)に愛されようと頑張ってきたが、家を出ることになる。そこからは転落の一途。作家志望の男(宮藤官九郎)と同棲するが、さんざん暴力をふるった挙げ句、男は自殺。ソープに勤め、ひも男(武田真治)を殺し、刑務所に服役することになる。
悲惨な話を明るく描いたとはいっても、根底にあるのは強いエモーション。泥臭く言えば、浪花節的な部分である。ダメ男ばかりを愛してしまう松子の心情は徐々に浮かび上がってくる。一人よりはまし。松子がダメな男であっても次々に男に惹かれるのは家族から見捨てられ、孤独に耐えられなかったからだろう。男に尽くしても尽くしてもひどい目に遭わされる松子の姿は神にたとえられ、「人の価値というのは人に何をしてもらったかじゃなくて、人に何をしてあげたかだよね」というセリフが生きてくる。笑いと涙、ドライとウェットを混在させた作りには感心させられる。同じく不幸な女を描いても、悲惨に終始したラース・フォン・トリアー「ダンサー・イン・ザ・ダーク」よりは随分洗練されていると思う。
中島哲也の前作「下妻物語」を彷彿させるのは刑務所の中で知り合っためぐみ(黒沢あすか)との関係で、AVに出ためぐみがレストランで泣き崩れるシーンなどは失恋したイチコ(土屋アンナ)の姿を思い起こさせた。黒沢あすか、いい感じである。
ようやく見た。主演の男優2人にはまったく魅力を感じなかった。そうなると、女優で見るしかない。ジャック(ジェイク・ギレンホール)と性急な結婚をするラリーン(アン・ハサウェイ)は「プリティ・プリンセス」などよりはいいが、いつものハサウェイの演技以上のものはない。イニスの妻アルマ(ミシェル・ウィリアムズ)は中盤から終盤にかけて屹立してくる。魚かごのエピソードは切なく悲しい。アカデミー助演女優賞にノミネートされたのはこの演技があったからだろう。僕にとってはウィリアムズの演技を見られたことだけが、この映画の価値だった。
伊坂幸太郎の原作を読んだ時に、映画に向いた題材だなと思った(
握り合う手と手がモチーフか。冒頭、墜落した飛行機の乗客を救出する場面で、主人公の仙崎(伊藤英明)は一人の手を放してしまう。それが仙崎に心の傷を負わせて、環菜(加藤あい)との結婚も延期してしまうのだが、映画はここを驚くほど簡単に描いている。手を放さなければならなかった理由とか、状況を克明に描く必要があったと思う。例えば、レニー・ハーリン「クリフハンガー」では冒頭にあるシルベスター・スタローンが友人を山で亡くすシーンが主人公のその後の再生に説得力を持たせていたように、こういう描写は冒険小説的な映画では常套的なものなのである。ある事件を通じて主人公がそれを克服していくのが普通なのだ。死地から生還する主人公。監督の羽住英一郎にはそういう視点はなかったようだ。いや、あったのかもしれないが、描写が不足している。