2004/11/10(水)「笑の大学」
サイレント映画のようなタッチで映画は始まる。第2次大戦直前のきな臭い時期なので、演劇は当局の検閲を受けなければならない。「ジュリオとロミエット」というパロディを提出した椿一は検閲官の向坂から「毛唐を題材にするなんて」と一喝され、上演不許可の判子を押されそうになる。「チャーチルが握った寿司を食べたいと思うか」というたとえがおかしい。椿は日本を舞台にして翌日までに書き直すと約束し、危うく不許可を免れる。しかし、翌日も向坂は接吻シーンが良くないとして、書き直しを要求する。椿は書き直しを命じられた部分をまた笑いにしてしまう性分。そこが向坂の気に障るところでもあるのだが、「この非常時に喜劇の上演なんて」と考えていた向坂は次第に椿の台本に魅せられ、最高のコメディを椿と一緒に作り上げていくことになる。
書き換えていく過程でどうすればおかしくなるかというコメディの本質を突いたセリフも出てくるので、「シリアスなドラマ」なのだろう。同時に映画は検閲制度に対する批判も込めている。惜しいのはそれと現代とのつながりが見えにくいこと。体制の中から出ず、制限された範囲内で喜劇を作ろうという椿の姿勢には物足りない部分が残るのだ。それが映画としての批判の甘さにつながっているのかもしれない。
監督は「古畑任三郎」などテレビのディレクターで、これが映画デビューの星護。演出は手堅かったが、もっと動きのある題材でないと、本当の力は分からない。2作目を期待したい。