2007/01/28(日)「それでもボクはやってない」
痴漢に間違われた青年(加瀬亮)が無実を主張し、裁判を闘うことになる。というプロットは簡単だ。監督の狙いは裁判そのものを描くことにあったのだから、余計な夾雑物は一切廃している。キネマ旬報2月上旬号によると、周防監督は中年のサラリーマンと若者を主人公にした脚本をそれぞれ5稿まで書いたそうだ。若者が主人公になったのは、中年が主人公になると家族の話まで広げざるを得なくなるからであり、それでは裁判自体を描くというテーマに沿うことができなくなるからだ。それでも脚本を見せた人からは「映画と講演つきで公民館などを回るしかないんじゃないか」と言われたという。一歩間違えれば、そうした文化・啓発映画にしかなりそうにない題材だが、主義主張だけでなく、映画をコントロールし、面白い映画に仕上げる技術が周防正行には備わっていた。
過去のエンタテインメント作品で培った技術はここにも生かされている。それを端的に感じるのはおなじみの竹中直人であったり、主人公が留置場で知り合う本田博太郎のおかしなキャラクターであったりするのだが、弁護士役の役所広司、瀬戸朝香(「Death Note」に続いて好演)をはじめ、母親役のもたいまさこ、裁判官役の小日向文世、刑事の大森南朋らのキャラクターの作り方にも功を奏している。加えて、主人公に最初に接した当番弁護士が人権派の浜田(田中哲司)であるにもかかわらず、浜田は裁判制度にあきらめを感じつつあったために主人公に示談を勧めるという描写や、推定無罪を信条とする裁判官(正名僕蔵)が途中で交代させられる点、同じく痴漢冤罪事件で控訴審を闘う佐田(光石研)が主人公の支援に回るエピソードなどが積み重ねられ、映画を重層的なものにしている。
正義の実現に努力する弁護士たちの姿にはよくある裁判劇のように胸を熱くするものがあるのだけれど、周防正行は決してそれを中心にせず、裁判制度の問題点のみに焦点を絞っていく。2時間23分は少し長いと思ったが、冗長な部分はなく、息抜きの場面を入れながら、テーマを掘り下げて描いた構成と演出力は大したものだと思う。2年後には裁判員制度が始まるが、一般から選ばれた裁判員がかかわる刑事裁判は重大事件に限られるので、こうした痴漢冤罪事件の構造は今後も変わらないだろう。映画の中で「痴漢冤罪事件には日本の刑事裁判の問題点がはっきりと表れている」と役所広司が言うが、その現状を変えたい、変えなくてはいけないという主張が明確に伝わる映画である。