2009/07/27(月)ホテル京セラ

鹿児島の霧島市隼人町にある。1泊2日の家族旅行で泊まった。1週間前の予約でプールがあるホテルと言えば、ここぐらいしかなかった。いや、指宿の方にはあったんだけど、ちょっと遠い。あの豪雨の中、指宿まで行かなくて良かったと思う。なんせ行きの高速でトラックを追い越そうとしたら、車体が左にスーッと流れたのだ。初めてのことだったので一瞬ひやっとした。水たまりでタイヤがハイドロプレーニング現象を起こしたらしい。タイヤの空気圧が足りなかったか。高速道路自体も豪雨のため50キロ規制。そんな速度で走っている車はなかったけど。

ホテル京セラの設計は黒川紀章とのこと。本館は楕円形の変わった建物だが、中は最上階まで吹き抜けで沖縄の万座ビーチホテルのような作り。といっても万座ビーチホテルはロビーでコーヒー飲んだだけで泊まったことはない。3階にガラス張りのチャペルがあり、この日も結婚式があったようだった。道路をまたいで通路でつながっている新館は恐らくビジネス客用なのだろう。普通の形だった。

午後1時半ごろチェックインして10階の部屋で少し休み、地下1階にあるプールへ。25メートル×4コースぐらいの小さなプールだが、利用客がうちの家族以外は2組しかいなくて、これでも十分。1時間ほど泳いだ後、隣にある温泉へ。ここも普通の温泉だが、やっぱり客が少なくて良かった。と思っていたら、夕方から大量に客がチェックインしてきた。

<%=image_left( 4, '本館から見た新館', 5, [200,150])%>

客が多いので、夕食は午後7時半から。子供が喜ぶだろうと思ってバイキングにしたら、宿泊客だけでなく、一般客も受け入れていた。どおりで多いはずだ。中身は普通のバイキング(60種類らしい)。2回料理を取りに行ってお腹いっぱい。生ビールの後、焼酎伊佐美のロック。価格は赤霧島より安かった。そんなものかな。

部屋に帰り、子供はテレビ。僕は本を読む。和洋室でセミダブルベッド2つと8畳間の部屋。和室の方に布団を2組敷いてもらう。なかなか良い部屋だったが、やっぱり沖縄あたりのリゾートホテルの広さにはかないませんね。8月のスケジュールが家族で合わず、1泊2日の旅行になったんだけど、物足りないことこの上ない。もう1泊ぐらいどこかのホテルに行こうかと画策中。

2009/07/18(土) 「アマルフィ」でシナリオ作家協会が抗議

 脚本家の名前がクレジットされていないためだそうだ。キネ旬の特集を確認したら、確かにスタッフ・キャストの一覧に脚本家の名前はない。読売新聞の記事によると、「脚本は、原作者の作家、真保裕一さんと西谷弘監督が担当したが、『一人で書き上げたわけではないと、それぞれが表示を辞退したので、協議して入れないことにした』」とのこと。キネ旬には「真保裕一が参加して練り上げた映画版のプロットの最初のアイデアを小説化したのが、単行本として刊行されている『アマルフィ』なのである」とある。映画版のストーリーは監督の西谷弘によるものなのだろう。クラークとキューブリックがそれぞれに小説と映画を完成させた「2001年宇宙の旅」と同じような成り立ちと言える。それならば、監督名を脚本家としてクレジットしてもよさそうなものだが、何かトラブルがあったのだろうか。

 アメリカ映画の場合、映画製作でトラブルがあり、監督が名前を伏せる際、以前はアラン・スミシーが使われた。これはWikipediaが詳しい。偽名でクレジットした脚本家なら、ダルトン・トランボが思い浮かぶ(僕はドルトンと記憶していたが、今はダルトンらしい。でも英語の発音としてはドルトンの方が近いだろう)。「ジョニーは戦場へ行った」の監督だが、赤狩りの“ハリウッド・テン”として映画業界を追放された。「ローマの休日」の脚本を書いたが、クレジットはトランボの友人のイアン・マクレラン・ハンターとなった。

 日本では堤幸彦が「恋愛寫眞」の脚本を書いた際、緒川薫名義にしたのではなかったか。これ、キネ旬で読んだ(と思う)。確認しようと思って検索してみたが、ヒットしないなあ。緒川薫という脚本家は堤作品しか担当していないことを見ても、間違いないと思うんだけど。市川崑監督の久里子亭(くりすてぃ)は有名。Wikipediaには脚本家の和田夏十との共同ペンネームとあるが、「天河伝説殺人事件」の時には和田夏十は亡くなっていたから、この時は市川崑の単独ペンネームということになる。

 「アマルフィ」の場合も架空の脚本家名をクレジットしておけば、抗議は受けなかっただろう。クレジットしないことが脚本家を軽視していると受け取られても仕方がない。

2009/07/11(土)キネマ旬報映画データベース

 キネ旬7月下旬号で紹介されていた。1945年以降の「邦画・洋画約4万タイトルと、映画関係者の人名20万件以上を網羅した日本最大級の映画データベース」。レビューもコミュニティもユーザ辞典もまだ閑散としている。ユーザ辞典はWikipediaのようなものを想定しているのだろうが、もっとアクセスを多くしないと、機能しないなあ。

 個人的に便利と思ったのは映画タイトルを検索すると、キネ旬の関連記事が表示されること。公開日から遅れて映画を見たり、DVDを見たりした時など関連記事を探すのに役立つ。「あの記事どこだっけ」と思いながら、探すことが多いのだ。

 キネマ旬報提供のデータベースはMovieWalkerのキネマ旬報DB/ Walkerplus.comにもあるが、いつの間にか名称が変わってた。自社のサイトに作った関係だろう。

2009/07/08(水)「ウルトラミラクルラブストーリー」

 キネ旬で「“天才監督候補”横浜聡子」という特集が組まれたのでそれなりに期待した。確かに終盤に登場する人を食ったような描写と展開には唖然呆然だった。が、それだけのことでもあった。なぜ主人公がああなるのかの説明が欲しい。その後のストーリーの発展も欲しい。単なるウルトラミラクルでは納得できない。思いつきだけで終わっているとしか思えないのだ。山口雅也「生ける屍の死」ぐらいの説明は欲しいところなのである。

 この程度の映画を持ち上げるのは本人のために良くない。と思ったら、映画生活では低い評価が並んでいる。平均評価は59点。いや、そんなに低いとも思わないんですけどね。

 脚本にもう少し説得力を持たせられるようになれば、真にユニークな存在になると思う。まあ、だからあくまでも今の段階では“候補”なのだろう。

2009/07/08(水)「ディア・ドクター」

 小説版のアナザー・ストーリー「きのうの神さま」を読んでいたので、これは僻地医療に関する映画だろうという先入観があった。その観点から見れば、困ったことに主人公の設定がマイナスにしか作用しない。西川美和は「赤ひげ」風になるのを避けてこういう設定にしたのだろうが、これでは医療の問題は深く言及しようがないのだ。なぜこんな設定にしたのか。キネ旬7月下旬号の桂千穂の批評を読んで、その疑問は氷解した。

 西川美和は前作「ゆれる」で高く評価された。「すると、誰もが映画監督としての技術や識見の持ち主と信じて疑わなくなった」そうだ。それに対する疑問の提示がこの映画なのだ。「私自身がそうであるように、何かに“なりすまして”生きている感覚は誰しもあるだろう。それで世の中が辛うじて成り立っている部分もあるはずだ。贋物という言葉が孕むそんな曖昧さを物語として面白く見せられないかなというのが企画の出発点になった」。そう言われれば、よく分かる。しかし、それならば、僻地医療を舞台にする意味があるのか。せっかく僻地医療の現状を取材したのにそういう話にしてしまっては意味が薄いように思う。

 西川美和に社会派を期待する方が間違いなのかもしれない。その問題は小説に結実させたのだから、映画はこれで良いのかもしれない。気胸患者を治療する場面の緊迫感をはじめ映画の描写には文句の付けようがないし、笑福亭鶴瓶、余貴美子らの演技にも納得させられた。井川遥も良かった。しかし、やっぱり、せっかく取材したのにもったいないという思いが残る。主人公の若い頃を描いてまったく隙がない小説版「ディア・ドクター」の域には到底達していないのは残念。本物偽物の話なら小説版の描写を取り入れた方が奥行きは出たと思う。看護師役の余貴美子にしても小説版の背景が描かれていれば、なぜ離婚したのか、なぜあんなに有能なのかの説得力も増しただろう。

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