2001/10/30(火)「レクイエム・フォー・ドリーム」

 エレン・バースティンがアカデミー主演女優賞にノミネートされた作品(アメリカでは昨年秋に公開された)。バースティンは確かに凄絶な演技を見せてくれるが、アル中やヤク中演技を過大評価気味だったオスカーも最近は変わったのか、受賞は「エリン・ブロコビッチ」のジュリア・ロバーツだった。

 ヒューバート・セルビーJr.(「ブルックリン最終出口」)の原作をダーレン・アロノフスキー(「π」)が監督した。「夢へのレクイエム」というロマンティックな題名とは裏腹に凄まじい描写が炸裂する。ドラッグに押しつぶされた4人の男女を描いて、話としては類型的なところもあるのに、出来上がった映画は独特のものになっている。その要因がエレン・バースティンの演技であり、細かいカット割りを多用したアロノフスキー独特のビジュアルなタッチなのである。

 サラ・ゴールドファーブ(エレン・バースティン)は古びたアパートに住む孤独な老女。夫は既に死に、一人息子のハリー(ジャレッド・レト)はいつもぶらぶらしている。映画はハリーが家のテレビを質屋に持ち込もうとする場面で始まる。テレビだけが生き甲斐のサラは抵抗するが、結局、質屋に持って行かれてしまう。スプリット・スクリーンを使った緊張感あふれる場面で、もう映画に引き込まれてしまうが、こんなのは序の口。ある日、サラにテレビ局から電話がかかる。いつも見ている番組に出てくれとの案内だった。サラは有頂天になり、ハリーの高校卒業の際に着た赤いドレスをクローゼットから引っ張り出すが、太って着られなくなっている。ショックを受けたサラはダイエットを決意。しかし、うまくいかず、医者から薬を処方される。サラは徐々にその薬の中毒になっていく。

 一方、ハリーはテレビを売った金でヘロインを買う。既に軽い中毒状態にあり、やはり中毒の恋人マリオン(ジェニファー・コネリー)、友人タイロン(マーロン・ウェイアンズ)とともにヘロインの密売に手を出す。初めはうまくいったが、やがてヘロインが手に入らなくなる。あとはお決まりの転落の方程式。ヘロインを買う元手を手に入れるため、マリオンは売春。ハリーとタイロンはヘロインを仕入れるため、フロリダへ向かう。ハリーの腕は注射の打ちすぎで、真っ黒に変色していた。1人残されたマリオンは禁断症状に絶えられず、進んで売春をしていくことになる。

 ハリーを巡るエピソードはよくある話なのだが、監督がヒップポップ・モンタージュと呼ぶ短いカットを連続する場面が極めて効果的に使われている(このモンタージュで、ふと思い出したのはボブ・フォッシー「オール・ザット・ジャズ」)。ドラッグによる幻覚の描写はデヴィッド・クローネンバーグ「裸のランチ」とは一脈通じるところもあるが、よりリアルで怖い。

 そして何より目を覆いたくなるほどのサラの中毒症状。サラがテレビに出たいと願うのは現実の生活が絶望的なまでに孤独だからで、赤いドレスに執着するのはそれが幸せだったころの思い出の服であるからだ。赤いドレスを着てテレビに出ることで現状を変えたいとの悲痛な願いが根底にあり、もはや痩せることだけしか頭になくなったサラは薬をやめることができなくなる。終盤、テレビ局を訪ね、自分の出演する日を聞くサラの描写はバースティンの老醜をさらした演技で凄まじい迫力がある(「サンセット大通り」のグロリア・スワンソンもここまではなかった)。テレビ局の出演依頼というのも誰かのいたずららしいという設定がさらに悲劇を増幅する。精神病院に入れられたサラは電気ショックトリートメントを受け、体がぼろぼろになってしまう。このトリートメントの描写も「カッコーの巣の上で」のジャック・ニコルソンに匹敵するだろう。

 夏、秋、冬の3章で構成され、その通りのイメージで映画は悲劇を加速していく。それでも見終わった後の印象がそれほど悪くないのは4人が落ちるところまで落ち、これ以上悪くなりようがないからだ。これからは希望にあふれる春に向かうのではないか。ジェニファー・コネリーの圧倒的に隠微なセクシーさも含めて、この映画にはビジュアルな力が充満している。しかし、アロノフスキーのこの力量、次はもっと明るい題材にも使ってもらいたいと思う。

2001/10/29(月)「トレーニング デイ」

 日米でほぼ同時公開だから、余計な予備知識なく見る。LAPDの新人警官が麻薬捜査課に配属になる。その最初の1日を描く作品。上司のデンゼル・ワシントンは署に顔を出さず、カフェでホークに会い、そのまま街へ麻薬取り締まりに繰り出す。新人を実地にトレーニングするわけだ。ロスの麻薬の実態と暗黒街を描くように見せかけて実はこれ、キャスティング命の映画。予備知識まったくなしで見ると、後半の展開に意外性がある。ただし、同じロスが舞台で同じようなテーマ(時代は違うが)の「L.A.コンフィデンシャル」に比べると、演出の切れ味は良くないし、エンタテインメント性にも欠ける。

 どうも、後半は小悪党の自滅話みたいになってしまうのだ。もう一ひねりあると良かった。ロスの風景やギャングの凶暴さなどはリアル。主人公が凶暴なギャング3人に追いつめられる場面はありそうな感じである。ロスを描くことには成功している。ラストの決着の付け方は異論のあるところ。やはり主人公の手で終わらせるべきだろう。イーサン・ホークか、デンゼル・ワシントンかで視点が定まらなかった感じを受ける。

 アメリカではヒットしているが、ほかに面白い映画をやってないためもあるだろう。監督のアントニー・フュークワーは「リプレイスメント・キラー」、「Bait」(日本未公開)に続く第3作。

2001/10/16(火)「陰陽師」

 夢枕獏の原作を滝田洋二郎が映画化。見ていて、何となく「グリーン・デスティニー」と比較していた。あちらは剣の達人、こちらは陰陽道の達人との違いはあるにせよ、どちらも人間離れした能力を備えており、とりあえず正義の立場にあるという点で一致している。その比較の結論から言うと、「グリーン・デスティニー」にはかなわなかった。

 一番の要因はクライマックスのカタルシスの不足にある。陰陽道の達人同士が対決するのならば、SFXを駆使した場面を期待してしまうのだが、対決場面が地味なのである。ここの演出自体が悪いわけではなく、物語の結末としての重みに欠けるのだ。

 「帝都物語」や「魔界転生」などもなんとなく思い出してしまう映画なのだが、こうした日本製伝奇SFに共通するのは雰囲気が重たくなってしまうことで、根が明るい映画の多い滝田洋二郎監督をもってしてもその呪縛からは逃れられなかった。急いで付け加えておくと、この映画は「帝都物語」よりも「魔界転生」よりも良い出来だし、去年の同じ時期に公開され、一部に同じモチーフを持つ「五条霊戦記」よりも相当良い出来である。

 その良さはひとえに安倍晴明を演じる野村萬斎によるものである。単純な正義の味方ではない複雑なキャラクターと不気味な雰囲気を併せ持ち、立ち居振る舞いや口跡、独特のセリフ回しが実にいい。鬼が跋扈した平安時代にマッチした雰囲気を持っていると思う。惜しむらくは安倍晴明とともに悪に立ち向かう源博雅を演じる伊藤英明に野村萬斎に負けないキャラクターがないところ。明るくてどこか抜けているが、正義感は強いこのキャラクター、超人と常人、陰と陽を際だたせる役回りで狂言回しでもある。重要な役なのだが、伊藤英明は野村萬斎の迫力に大きく負けている。だから、晴明がなぜ博雅を特別視するのか伝わらないし、2人のホモセクシュアル的な友情関係にもいまいち説得力がない。

 これは安倍晴明と対決する道尊を演じる真田広之にも言えることで、いくら熱演していても、野村萬斎とは演技の質が決定的に違うので、対抗できないのである。やはり役者自身が持つ雰囲気は大事なのだなと思う。野村萬斎は映画は黒沢明「乱」以来の出演という。もっと映画に出すべき俳優ではないか。

2001/10/09(火)「トゥームレイダー」

 同じゲームからの映画化でも「ファイナル・ファンタジー」より評判はいい。これはひとえにアンジェリーナ・ジョリーのお陰。決して典型的な美人とは言えない顔つきだが、アクションも決まって魅力満載という感じ。ただ、「コン・エアー」「将軍の娘 エリザベス・キャンベル」のサイモン・ウエストの演出はいつものようにどうも締まりに欠ける。シリーズ化の計画があるらしいが、監督を変えた方がいいだろう。

 時間を操作する秘宝・トライアングルを巡る冒険アクション。パンフレットではHolly Triangleと表記されているが、このトライアングル、古代人が隕石から作ったもので、あまりの力の強大さに2つに割られて隠された。5000年に一度の惑星直列の時にこれを使えば、強大な力を手に入れることができる。トレジャー・ハンター(トゥームレイダー=墓荒らしとも言う)、ララ・クロフト(アンジェリーナ・ジョリー)の父親(ジョン・ボイト)はこれに絡んで秘密結社イルミナーティに殺されたらしい。ララは自宅の秘密部屋からこの秘宝を捜す手がかりになる時計を見つけるが、イルミナーティの一味に奪われる。父の形見でもある時計を取り返すため、そしてイルミナーティの野望を砕くため、カンボジアのアンコールワットと極寒のシベリアで秘宝を巡る戦いが繰り広げられる。

 惑星直列という、ふるーいアイデアにがっかりするけれど、話としては悪くない。サイモン・ウエスト、とりあえず画面作りできるので、それぞれの場面はそれなりに見られるものにはなっている。しかし「インディ・ジョーンズ」シリーズのようなスケールに欠けるのが難(同じようなショットがある)。どこか小さくまとまった話なのである。

 ララと父親の関係は幼いころに離婚して一緒の時間が少なかった実生活のジョリーとボイトの関係にオーバーラップしているのだが、エモーションをもう少し高めたいところではある。そういう繊細な演出がサイモン・ウエスト、できていない。

 アンジェリーナ・ジョリーは肉体改造のトレーニングを受け、撮影に臨んだそうだ。その成果でアクション場面に関しても合格点。絶好調という印象を受ける。ウィリアム・アイリッシュ「暗闇へのワルツ」の映画化「ポワゾン」にも期待できそう。

2001/10/02(火)「ブリジット・ジョーンズの日記」

 映画「プロポーズ」で「君の勝ちだ」と、ひねくれたプロポーズをするクリス・オドネルをうんざりした表情で見つめるレニー・ゼルウィガーを見たとき、この人はコメディエンヌなんだなと思った。ゴールディー・ホーンのようなというか、一番近いのはテリー・ガーのようなタイプのコメディエンヌ。とびきりの美人ではないが、憎めない等身大のキャラクターを演じたら、とてもうまい女優なのである。

 この映画はそんなゼルウィガーのコメディのセンスにぴったりだ。主人公のブリジット・ジョーンズは「体重61キロ、タバコ42本、アルコール30~40杯。何よりも10キロの減量、次にパンティーは洗濯カゴに。そして良識あるボーイフレンドを見つけること」と日記に書く、結婚を焦っている32歳。新年に実家で開かれたパーティーでバツイチの弁護士マーク(コリン・ファース)を紹介されるが、ダサいトナカイのセーターにがっかり。実はマークとは子どもの頃、裸で水遊びをしたらしいのだが、そんなことブリジットは覚えていない。タバコをふかし、二日酔いのふりをしてマークを幻滅させる。

 出版社に勤めるブリジットは上司でプレイボーイのダニエル(ヒュー・グラント)が気になっていた。ミニスカートで出勤したブリジットにダニエルは目をとめ、食事に誘う。司会を務めた(そして大失敗した)出版記念パーティーで、ブリジットは美人弁護士を連れたマークと再会。ダニエルからマークは大学時代の親友で、マークがダニエルの恋人を奪ったひどい奴であるとを聞かされる。その夜、ダニエルと結ばれたブリジットに甘い生活が始まるが、それもつかの間、やがてダニエルにはニューヨークにある本社に婚約者がいることが分かる…。

 映画はマークとダニエルの間で揺れ動くブリジットをコミカルに描いていく。30代の独身女性のけなげな努力(?)の実態はおかしいし、友人たち(独身女性2人とゲイ)のアドバイスやブリジットの一人暮らしの様子なども共感を呼ぶようなエピソードで綴られる。ヘレン・フィールディングの原作は世界23カ国でベストセラーとか。しかし、一番の魅力はキュートな笑顔のゼルウィガーだろう。いつもより太めだなと思ったら、この映画のために6キロ太ったそうだ。

 監督はこれまでドキュメンタリーやCM監督を務め、これが映画デビューのシャロン・マグワイア。細部の描写が行き届いているのは原作も映画も女性の視点で統一されているからだろう。結末は常識的なのだが、なかなかそれが見えない脚本(アンドリュー・デイヴィスとリチャード・カーティス)にうまさを感じる。クスクス笑って見られるロマンティック・コメディ。