2008/03/29(土)「魔法にかけられて」

 日本語吹き替え版だったが、それでも面白かった。レベルの低いパロディではなく、おとぎ話のキャラクターの純粋さ、ストレートさを肯定する形の映画なので、見ていて楽しく気持ちがいい。ディズニーらしい作品だ。

 基本は「白雪姫」のいかにもおとぎ話といったアニメのキャラクターが現代のニューヨークに現れたらどうなるかというのを描いたロマンティック・コメディ。冒頭はアニメ。アンダレーシアという国の女王が王位を奪われるのを心配してエドワード王子と恋に落ちたジゼルを井戸に突き落とし、「いつまでも幸せに暮らしましたなんてことがない世界」の現代に追いやってしまう。ここから実写になり、ジゼル(エイミー・アダムス)はウエディングドレスを着たままニューヨークを右往左往する。

 雨の中、6歳の娘と暮らすロバート(パトリック・デンプシー)に助けられ、娘に気に入られてアパートに同居するようになる。エドワード王子(ジェームズ・マースデン)と女王の使いのナサニエル(ティモシー・スポール)もジゼルを追って現代へ。エドワード王子との結婚を夢見ていたジゼルは徐々にロバートに惹かれていく。

 ロバートの散らかったアパートをジゼルが動物を呼んで掃除させるのは「白雪姫」だが、ニューヨークなので呼ばれて出てくる動物はドブネズミと鳩とハエとゴキブリ、というのがおかしい(それでもネズミたちはちゃんと部屋を掃除する)。ナサニエルがジゼルを殺そうとして使うのは毒リンゴだし、クライマックスの「真実の愛のキス」も「白雪姫」を引用している。

 そうした設定を借りながら、映画はおとぎ話のキャラから見た現代の歪みをちょっと皮肉りながら浮き彫りにする。この視点を基本にした物語の作りはディズニーへの敬意が見て取れる。同時にもっとここを強調すれば、「パパラギ」のような文明批判になったかもしれないが、エンタテインメントなのでそこまではない。このほどほど感が映画を心地よいものにしているのだろう。セントラルパークがディズニーランドのようになるミュージカル的シーンが楽しい。CGのリスも出色。

 冒頭のアニメのタッチが「ターザン」に似ているなと思ったら、監督は「ターザン」のケヴィン・リマだった。実写でも大した演出力があるのだなと思う。エイミー・アダムスは今年34歳だけれど、純粋なキャラクターを演じても無理がない。「プリティ・プリンセス」のころのアン・ハサウェイにぴったりの役柄のように思えるが、歌が歌えるかどうかが問題だったのだろう。魔法使いの女王の役はスーザン・サランドン。ティモシー・スポールはどこかで見た顔だと思ったら、マイク・リー「人生は、時々晴れ」の父親役だった。

 ナレーションは原版ではジュリー・アンドリュースで吹き替え版は松坂慶子。吹き替え版も頑張っているが、ディズニーの日本語化は相変わらず徹底的で歌も日本語にしてしまうので、原版の歌が聴きたくなる。帰りにタワーレコードでサントラ盤を買った。

2008/03/26(水)branco

 31日から始まる無料IPテレビサービス。SONYが運営している。接続回線がNTT東日本のBフレッツか西日本のフレッツ光じゃないと見られない。IPv6サービスが必要だかららしいが、要するにNTTの光回線を増やすための方策なのか。さっそくbrancoプレイヤーをダウンロードしてインストールしてみたが、使うためにはユーザー登録してNTTの視聴のための手続きが必要とのこと。うーん、こういう面倒なことやってまで見る価値があるのだろうか。

 brancoのメリットは3.8Mbpsとビットレートが高いことで、GyaOやYahoo!動画の倍以上ある。これなら確かにDVD並みの画質が期待できるだろう。ま、問題は画質よりも内容。番組表を見ると、同じものを繰り返しやっているだけ。これ、どれぐらいの頻度で変わるのだろう。アニメ、ショートフィルム、ドラマ、ドキュメンタリー、音楽、エンタメの6チャンネルあるが、番組が変わらないとすぐに見飽きてしまいそうな感じだな。

2008/03/22(土)「潜水服は蝶の夢を見る」

 脳出血で脳幹を破壊され、ロックト・イン(閉じ込め)シンドロームにかかったファッション雑誌Elle編集長の実話。動くのが左目だけというのは絶望的で、首から下が麻痺した「海を飛ぶ夢」や「ミリオンダラー・ベイビー」のシチュエーションよりも救いがない。体がまったく動かせないので自殺の自由さえないのだ。

 主人公も最初は死を望むが、周囲の援助によってまばたき1回がイエス、2回がノーという決まりで本を書き始める。アルファベットをイエス、ノーで選びながらの気の遠くなるような作業。主人公はその過程で父親(マックス・フォン・シドーが好演)や家族との思い出を回想する。悪くない出来なのだが、「海を…」や「ミリオン…」には及ばない。本を書くことが中心になって生と死の重たい命題を突き詰めていないからか。映画が実話に負けた感じなのだ。

 監督のジュリアン・シュナーベルはフランス人かと思ったら、アメリカ生まれ。この映画も言葉はフランス語だが、フランスとアメリカとの合作だった。原題はLe Scaphandre et le Papillon(潜水服と蝶)。

 ロックト・インシンドロームは珍しい症状だが、生活習慣病が原因になるとのこと。確かに脳出血は生活習慣病が引き起こす場合が多い。

2008/03/09(日)「バンテージ・ポイント」

 大統領狙撃事件を8人の視点(バンテージ・ポイント)で描くアクション映画。森卓也はキネ旬で「スタンリー・キューブリックの出世作『現金に体を張れ』(56)にインスパイアされたのではあるまいか」と書いている。なるほど。午前11時59分57秒から狙撃の瞬間を経てその後まで何度も違う視点で繰り返すうちに徐々に犯行の詳細が分かってくる。途中に謎やサスペンスを加えるのもうまい。脚本はもちろん優れているが、それ以上に演出のスピード感が良い。クライマックス、コンパクトカーによる渋滞した中でのカーチェイスも面白かった。

 1時間30分の上映時間は賢明。この趣向ではこれ以上長くなると、スピード感を減殺することになったかもしれない。絶賛はしないけれど、良くできた作品と思う。気になるのはラストで、偶然に頼った解決にすぎなかった。もっとも、これもちゃんと伏線らしきものはある。監督のピート・トラビスはテレビの演出家で、劇場用映画はこれが初めて。このスピード感もテレビ向きなのかもしれない。

2008/03/08(土)小説「君のためなら千回でも」

「君のためなら千回でも」表紙

 同名映画の原作。2006年に出たカーレド・ホッセイニ「カイト・ランナー」を改題してハヤカワepi文庫から出ている。読み終わった印象としては上巻100点満点、下巻70点といったところ。下巻、タリバンが支配するアフガニスタンに入るくだりの展開が冒険小説的なのが惜しい。いや、冒険小説は好きなのだが、文芸作品として読んでいたので、通俗小説のような展開に違和感があった。それに話のつじつまが合いすぎるのも難に思えてくる。エピソードに符合するエピソードが余計に感じるのである。これは処女小説であるがゆえの瑕疵と言うべきか。ただし、普遍性のある話である。罪と贖罪、父と息子、家族の物語。主人公を取り巻く人物たちが圧倒的に素晴らしく、胸を揺さぶる。

 まだ平和だったころのアフガニスタン。主人公のアミールは裕福な家庭に生まれる。母親は出産時に死亡。父親のババは男気のある実業家で周囲の尊敬を集めている。アミールは父親と正反対の物静かな性格で、父親の愛を得ようとして得られない「エデンの東」のジェームズ・ディーンのような親子関係にある。アミールの家にはハザラ人で召使いのアリとその子どもハッサンが土の小屋で暮らしている。ババとアリは幼いころから一緒に育った。アリは3歳のころに小児麻痺にかかり右足が不自由だが、2人の結びつきは強い。ハッサンは口唇裂で、身持ちの悪かった母親はハッサンを生んだ後、家を出てしまう。母親がいない同じ境遇の下、アミールとハッサンもまたババとアリのような絆に結ばれている。しかし、アミールの心の中にはハッサンを見下した部分があった。

 こうした設定の下、物語は「わたしが今のわたしになった」1975年12月の出来事を描く。臆病なアミールはある事件でハッサンを見捨てて逃げてしまう。しかもすべてを知られたと思ったアミールはハッサンにつらく当たり、決定的に卑劣なことをしてアリとハッサンを家から追い出す。ソ連のアフガニスタン侵攻でアメリカに渡ったアミールのもとへ、20数年後、ババの仕事上のパートナーでアミールのよき理解者だったラヒムから電話がかかってくる。「来るんだ。もう一度やり直す道がある」。ラヒムもまたすべてを知っていたのだ。そしてアミールは封じ込めていた過去と向き合うことになる。

 原題の「The Kite Runner」(凧追い)は凧揚げ競争で糸の切れた凧を手に入れようと追いかける子供のこと。言うまでもなく凧追いが抜群にうまかったハッサンを指している。不幸な境遇にあるアリとハッサンのまっすぐに生きる姿、曲がったことが嫌いなババの描写が胸を打つ。それに比べれば、主人公のアミールは全然立派ではないのだが、一般的な人はこういう存在だろう。それでもアミールは命がけでアフガニスタンに帰り、過去の罪を清算するためにある任務を果たすことになる。

 上巻のアミールは単なる語り手にすぎないが、後半は本当の主人公になるわけだ。本の帯にある「全世界を感動で包み込み800万人が涙に濡れた」という言葉に全面的に賛成はしないけれども、読んで損はない小説だと思う。全体の構成に難は感じるが、少なくとも、僕も涙に濡れた描写があったのは間違いない。