2013/02/23(土)Remote TV

 KDDIが今日から発売したSmart TV StickとRemote TVのうち、関心があるのはRemote TVの方。これ買えば、既にサポートの切れたSONYのロケーションフリーとおさらばできる。機能はボルカノフローやスリングボックスと同等だ。自宅のBDレコーダーに録画した番組やリアルタイムのテレビ放送がLAN内部や外出先のPC、スマホ、タブレットで見られる。

 ただ、レコーダーからの出力はアナログ、最高画質時の解像度が854×480ドットというのでは物足りず、これではPCやタブレットで表示した時に画面が小さいだろう。Android4.2にも対応していず、Nexus 7でも10でも、まだ使えない。リアルタイムの放送視聴が不要なら、今後本格化するDTCP+の製品を待った方がいい。

 テレビをスマホにするというSmart TV Stickについてはあまり興味が持てない。このスティックがWOWOWメンバーズオンデマンドに対応すれば、買ってもいいかなと思う。しかしメンバーズオンデマンドはHDMIによる外部出力はできない仕様なので、対応は難しいだろう。まあ、9800円でAndroid機器が手に入るというのは安いかもしれない。

 いろいろ考えていくと、2つとも購入意欲が下がってくる。ちなみにau Online Shopでは既に2つとも在庫なしになっている。売れているんですね。

2013/02/18(月)「ゼロ・ダーク・サーティ」

 ビンラディンを極悪人として描けなかった、そもそも何も描けなかったことが一般的な娯楽映画の気分からほど遠い要因なのだと思う。普通のアクション映画の悪役は当然倒されるべき存在として描かれる。敵を倒す主人公の行為の正当化にはこれが不可欠だ。もちろん、脚本のマーク・ボールも監督のキャスリン・ビグローもビンラディンを単純な娯楽映画の悪人として描くほど愚かではないから、そんなことはしなかった。映画の冒頭に貿易センタービルで亡くなった人たちの最後の痛切な会話を流すことで、ビンラディン=倒すべき悪、と規定している。何の罪もない3000人近い人の命を奪う作戦を指揮したのだから、これは当然と言えるかもしれない。

 しかし、と思う。ビンラディンはどういう人間なのか、アメリカを憎むアルカイダの論理はどんなものなのかを少しでも描いていれば、この映画はもっと充実していたに違いないと思う。この映画に登場するアルカイダは正体不明と言ってよいぐらい何も描かれない。別にアルカイダの肩を持てと言っているわけではない。アメリカ映画なのだからアメリカ側の視点で作られるのは当然だが、この映画の視点は狭すぎると思うのだ。イラク戦争の爆弾処理班の兵士だけを描いたビグローの前作「ハート・ロッカー」と同様、全体を見渡す視点に欠けている。例えば、デヴィッド・O・ラッセルは湾岸戦争を舞台にした映画「スリー・キングス」でアメリカ兵を拷問するイラク兵に、空爆によって家族を失ったというセリフを言わせていた。視点を多角化するそういう部分が重要なのである。

 主人公のCIA分析官マヤ(ジェシカ・チャステイン)はビンラディンを執拗に追う。途中から同僚をテロで殺されたという私怨が含まれてくるにせよ、10年間追い続ける理由としては説得力が足りないように思う。ここで思い出すのは「オデッサ・ファイル」(1974年、フレデリック・フォーサイス原作、ロナルド・ニーム監督)だ。この映画、主人公が逃亡したナチスの高官を追う本当の理由が最後に明らかになって膝を打ったものだ。そうか、それならそこまで執念深く追いかけるのも仕方がないよな……。敵を追い詰める主人公の行動原理にはそうした強く差し迫った動機が必要だろう。

 アメリカ政府が公式には否定している拷問のシーンがあるからこれは社会派の映画だろうか。違う。主人公が作戦を完遂しても空しい気持ちになるから、これは社会派の映画だろうか。それも違う。社会派の映画には批判の矛先が必要だ。この映画はそれがあいまいなのである。同時テロからビンラディン暗殺まで10年間のアメリカ側の捜査(拷問、拷問、拷問)を描いただけであり、拷問批判が狙いなら、クライマックスの襲撃場面にあんなに力を入れる必要はない。実際、ビグローの演出はこのクライマックスで本領を発揮する。基本的にビグローはサスペンスとアクションの人だ。社会派的な題材を取り上げるのであれば、得意のアクションの組み立てと同じぐらい緻密に構成を考える必要があった。

 ちなみにこのクライマックス、屋敷が高い塀に囲まれていることもあって、赤穂浪士の討ち入りを思わせた。赤穂浪士にとって吉良上野介は主君を死なせた憎むべき敵だが、吉良上野介にとってみれば、赤穂浪士は屋敷に押し入ったテロリスト集団だろう。

 見終わって、なんだか宙ぶらりんにされたような釈然としない気持ちが残る。部分を描いて全体を映し出す手法は確かにあるが、この映画では成功していない。

2013/02/11(月)「希望の国」

 このサイテーの映画がキネ旬ベストテン9位に入ったということに驚くほかない。

 底の浅い脚本、問題を深化していかない脚本、取材不足が露呈する脚本(あるいは取材が消化できていない脚本)に大きな欠陥がある。原発近くに住む両親は自殺し、原発から遠く避難した息子夫婦は元気を取り戻す。この単純な展開に唖然とする。放射能に汚染された地域はさっさと捨てましょうね、他の地域にはまだ希望がありますよというメッセージにしか見えないのだ。

 このストーリーのどこに希望があるのか。「一歩、一歩、一歩、一歩」と言いながら雪の中を歩く男女にかぶさって「希望の国」というタイトルが出るのを見て、小学生でも考えつきそうなアイデアをよく恥ずかしげもなく描けるなと思った。

 昨年放映されたNHKの番組で福島の人たちを対象にしたこの映画の試写の様子が紹介されていた。見た人から「なぜあんなラストにしたんですか?」と質問が出たが、映画を見てその質問の理由が分かった。答えも分かった。監督がバカだからです。

 何より腹立たしいのは映画が長島県という架空の県を舞台にしていることだ。長崎と広島を合わせた名前というのもふざけているが、なぜ福島県にできないのだろう。これでは現実と向き合う姿勢を放棄したとしか思えない。

2013/02/10(日)「つばさ」

 第1回アカデミー作品賞を受賞したサイレント映画「つばさ」(1927年)がWOWOWで放映された。僕は名前だけ知っていて初めて見た。第一次大戦を舞台にした戦争映画で、当時としてはかなりの超大作。複葉機と戦車、白兵戦が入り乱れるクライマックスには相当の予算がかかっている。古い映画とバカにできない迫力だ。Wikipediaには「空中戦映画の先駆的な超大作として映画史上に名高い作品」とある。

 終盤の展開には少し疑問があって、現代の映画だったら、ここから深刻なドラマが始まるところだろう。この映画はさらりと反戦に絡めて(すべて戦争のせいにして)終わっている。

2013/02/10(日)「イノさんのトランク」

まいった。泣けて泣けてしょうがなかった。録画しておいた「イノさんのトランク 黒澤明と本多猪四郎 知られざる絆」をようやく見た。昨年12月20日にNHK-BSプレミアムで放送されたドキュメンタリー。黒澤明と本多猪四郎の友情を本多の妻きみの視点から描き、深い感動を残す傑作だった。

戦前の助監督時代に意気投合した2人はその後、死ぬまで友情をはぐくむことになる。本多は戦争に行ったが、黒澤は行かなかった。復員後、30代半ばだった本多には仕事がなく、東宝からは監督になることは諦めるように言われる。そんな時、黒澤は本多に「野良犬」の助監督を依頼する。これが本多の監督への道を開くことにつながった。晩年も会えば、2人は映画の話ばかりしていたという。温厚な本多に対して、黒澤は現場で怒ることが多かった。正反対の性格であり、お互いに尊敬しあっていたから、友情は長く続いたのだろう。

本多が死んだ時のことについて黒澤、本多の映画に多数出演した土屋嘉男はこう話す。「さぞがっくりしているだろうと思って自宅に行ったら、黒澤さん、言いました。『さあ、めそめそなんかしていられるか! 元気出してこれから頑張るぞ』。あれはね、すごい哀しみだったんですよ」

僕は「ゴジラ」シリーズから本格的に映画を見始めたので、本多猪四郎は最初に名前を覚えた監督だ。同時に小学生の時にテレビで見た「マタンゴ」によって深いトラウマを刻みつけてくれた恨み多い監督でもある。しかし、監督自身のことは何も知らなかった。亡くなっても、「いい人だった」と言われる人は幸せだなと思う。

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