2011/10/10(月)「シーサイドモーテル」

 山の中にあるモーテルを舞台にした喜劇的なドラマ。交通事故を2度も出すようでは脚本に少し工夫が足りないと言われても仕方ない。生田斗真、麻生久美子のパートは面白かった。拷問の専門家役の温水洋一は宮崎弁をところどころに出していた。

 原作は岡田ユキオの漫画「MOTEL」。監督は守屋健太郎。

2011/10/09(日)「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」

 クライマックス、騎馬警官隊がゴールデンゲート・ブリッジの猿の群れを襲うシーンは「猿の惑星」第1作の序盤、馬に乗った猿による人間狩りのシーンの恐怖を容易に思い起こさせる。これ以外にも行方不明になった宇宙船を報じる新聞が出てきたり、最初に猿がしゃべる言葉が「No!(いやだ!)」であったり、コーネリアという名前の猿が出てきたり等々、旧作につながるシーンが至るところにあり、旧作を見てきた映画ファンはニヤリとするだろう。しかし、まったく見ていなくても問題はない。監督のルパート・ワイアットは一部のファンに対して映画を作るような狭い了見で映画を作ってはいない。というよりも、映画興行的にもこれは当然だろう。ワイアットはアルツハイマー治療薬を投与されたメス猿がジェネシス社で暴れる序盤を迫力たっぷりに描き、観客の度肝を抜く。そこから一気呵成にラストまで突っ走る。映像に力があふれており、これはシリーズ第1作に匹敵する出来栄えと言って良い。

 旧シリーズは第5作まで作られた。第2作「続・猿の惑星」のラストで地球は核兵器によって壊滅し、シリーズも終わりかと思われたが、ここから旧シリーズのスタッフは驚天動地の続きを考える。ドル箱シリーズを続けるためには不可能を可能にするアイデアだって思いつくのだ。すなわち3作目の「新・猿の惑星」は第2作のラスト、宇宙船で逃げたコーネリアスとジーラが地球の大爆発の影響で過去にタイムスリップするという設定。未来が猿によって支配されることを知った人間たちによってコーネリアスとジーラは殺されてしまうが、その子供マイロ(後のシーザー)は生き残る。ラスト、サーカスの檻の中で「ママ…」とつぶやく幼いマイロは第4作「猿の惑星 征服」で反乱を起こす猿たちのリーダー、シーザーとなるわけだ。ついでに書いておけば、第5作「最後の猿の惑星」(併映は配給会社が意図したのかどうか知らないが、チャールトン・ヘストン主演のSF「ソイレント・グリーン」だったと思う)とティム・バートンによる2001年のリメイク(本人はリ・イマジネーション=再創造と言っていた)「Planet of The Apes 猿の惑星」はなくても全然かまわない出来だった。

 というわけで今回の新作は第3作と第4作をなかったことにした語り直しという位置づけとなる。旧作では猿の進化の理由が説明されなかったが、今回はウィルス進化論を適用している。主人公のウィル(ジェームズ・フランコ)が開発したアルツハイマー治療薬は遺伝子操作を行うウィルスなのである。このあたりはキネ旬10月下旬号の「『ウィルス進化論』を裏付ける映画のリアリティ」が詳しく、これを書いた医学博士の中原英臣は「この40年間の科学の進歩が、SF映画でしかなかった『猿の惑星』の起源という大きな謎を解明しつつある」とまで書いている。

 そういうSF的設定に隙がないところも良いのだけれど、ここはやはり1時間46分という賢明な上映時間に猿たちの蜂起に至る過程を圧倒的な迫力で、しかも情感をこめてまとめ上げたルパート・ワイアットの手腕を評価すべきだろう。加えてWETAデジタルが担当した猿のCG(パフォーマンス・キャプチャー)は本物の猿と見分けがつかない見事な出来だ。シーザーを演じたアンディ・サーキスは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのゴラムとピーター・ジャクソン版「キング・コング」を演じた俳優なのだそうだ。

 作品への評価が高い上に、ヒットもしているので間違いなく続編が作られるだろう。尻すぼみになった旧シリーズの轍を踏まず、充実したシリーズになることを祈りたい。

2011/10/08(土)「無敵特殊部隊ルーザーズ」

 DCコミックスのグラフィックノベルを映画化したアクション。南米で武器密売組織の掃討作戦を行っていた特殊部隊がCIAの黒幕マックスの裏切りに遭い、作戦は失敗。彼らはマックスへの復讐に立ち上がる。ボーッと見ている分には悪くないアクション。主演はジェフリー・ディーン・モーガン。「アバター」のゾーイ・サルダナが出ている。これも劇場未公開。監督はシルベイン・ホワイト。IMDBの評価は6.3。

2011/10/05(水)「レニングラード 900日の大包囲戦」

 第2次大戦中のドイツ軍によるレニングラード(現サンクトペテルブルク)包囲作戦を描く。ミラ・ソルヴィーノ主演。取材活動中に爆撃を受け、レニングラードに取り残されたイギリス人女性記者ケイト(ミラ・ソルヴィーノ)の目を通してレニングラードの悲惨さを描く。

 ドイツ軍に包囲されたレニングラードの飢餓状態は昨年の傑作ミステリ「卵をめぐる祖父の戦争」(デヴィッド・ベニオフ)でも描かれていたが、補給路をほとんど断たれたために人間の肉を食べるほど追い込まれたという。映画にもそんな描写がちらりと出てくるが、女性記者の意外な生い立ちとそのサバイバル劇の方が中心。ミラ・ソルヴィーノ、悪くない。ガブリエル・バーン共演。

 2009年のイギリス・ロシア合作。日本では劇場公開されなかった。IMDBの評価は6.2。

2011/10/02(日)「僕たちは世界を変えることができない。」

 実際にカンボジアに学校を作った人に話を聞いたことがある。その学校は無料ではなく、有料。少額といえども、なぜ有料なのかと尋ねたら、「すべて無料で手に入ると、人はダメになるから」という答えだった。なるほど。働かなくても援助で生きていけるなら、人は働かなくなる。無料の学校だったら、行かなくなる子供も多いのかもしれない。金を払っているからこそ、無駄にしてはいけないという思いが起きるのだろう。

 映画は郵便局にあったポスターとリーフレットを見て、カンボジアに学校を作ろうと立ち上がった大学生の実話に基づく。満たされない日常を送り、何か打ち込みたいものを探していた大学生にとって、カンボジアはそれを打破してくれる存在だった。最初は軽い気持ちだったが、実際にカンボジアを訪れて大学生たちは衝撃を受ける。

 中盤のこのシーンが映画の白眉だ。ポル・ポト政権時代の虐殺の様子をドキュメントタッチで見せるこのシーンでは物語がフィクションからノンフィクションへと逸脱していく。子供の頭を打ち付けて殺した木、雨が降ると土が流れて姿を現す骨や衣服、収容者がはめられていた足かせ、大量の頭蓋骨、今も犠牲者を出している大量の地雷。観光ガイドのコー・ブティさんの両親は収容所で強制労働をさせられた。涙を流しながら、当時の父親の様子を日本語でたどたどしく語るブティさんには胸を締め付けられる思いがする。主人公の田中甲太(向井理)はそんなブティさんを抱きしめる。ブティさんは「ムカイ…」とつぶやく。このシーンには演技を超えた役者の真の感情が焼き付けられている。

 映画にはタイトルのほかに英語のサブタイトルがある。というよりも、ここまでがタイトルだ。But, We wanna build a school in Cambodia.世界を変えることはできないけれど、カンボジアに学校を建てたい。学校を一つ作ったところで、世界が変わるわけはない。その議論は映画の中にもこれまたドキュメントタッチで出てくる。しかし、その気持ちがなければ、世界は変えようがないのも事実だ。

 「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」で最低のデビューを果たし、「XX(エクスクロス) 魔境伝説」で実力を発揮した深作健太監督はこの作品で大きくジャンプアップした。深作健太はキネ旬9月下旬号のインタビューをこう締めくくっている。

 「つらい現実に直面した時に、ありたい自分とそうでない自分とのギャップに悩んだり、無力感に苛まれて自信を持てなくなってしまっている若い人たちがこの映画を観てくれて、ちょっとだけでもいいから、前を向いてくれたら、それは素晴らしいことだと思います」。

 深作欣二の「バトル・ロワイアル」が若者への応援歌であったのと同じ意味合いをこの映画も持っているのだ。

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