2013/09/16(月)「嘆きのピエタ」

 久しぶりのキム・ギドク。3年間の隠遁生活に入る前のギドク作品は鮮烈な描写と異様なシチュエーションに比べて思想的背景が薄弱と感じることが多かった。ここまで引っ張ってきて、結論はそれだけかと思わされることが多かったのである。隠遁生活を経てギドクは変わったのか?

 結論から言えば、ギドクは変わっていない。3年ぐらいで人間、劇的に変わることなんてあり得ないのだ。ただ、今回はミステリー的趣向がうまくいっている。優れたミステリーとつまらないミステリーを分けるのは謎が解けた後に何を描くかだと思う。謎が解けてめでたしめでたしだけで終わるミステリーにろくなものはない。この映画では母子の愛情や絆、人間性といったテーマがずっしりと描かれる。

 赤ん坊の頃に母親に捨てられて一人で生きてきた主人公のガンド(イ・ジョンジン)は利子が10倍というヤミ金の取り立て屋。借金を返せない場合は手を切断したり、足を折って障害者にして保険金を受け取る。非人間的であくどいやり口だ。そんなガンドの前にある日、母親と名乗るミソン(チョ・ミンス)が現れる。「捨ててごめんなさい」と謝るミソンを最初、疑っていたガンドは初めて味わう肉親の情に徐々に変わり、ミソンを「母さん」と呼んで、笑顔を見せるようになる。

 もちろん、ギドク作品がこれだけで終わるわけはない。終盤にさしかかるところで映画はネタをばらし、悲痛で不幸で重たいラストに突き進んでいく。しかし、それにもかかわらず、この映画、救いがある。ガンドは決して不幸なままじゃない。母子の愛情を感じさせ、人間性を取り戻すことの意味を映画は静かに訴える。

 ヤミ金から借金しているのは韓国の高度成長から取り残されたような寂れた町工場の主人たち。この寂れた風景と金に困った人たちの姿が印象に残る。パンフレットのインタビューでギドクはこう語っている。「韓国社会では名誉や権力、外見などさまざまなことが金銭で解決されることがあります。しかし金銭によって傷つけられる人間も多い。それを『嘆きのピエタ』で描いてみたかったのです。……韓国だけでなく世界中の多くの国が抱えている資本主義の犠牲、つまり経済的な理由で人々が傷つけられているという現実に対するこの映画のメッセージを、(ベネチア映画祭の)審査員が読み取ってくれたのだと思いました」。

 ギドクの言う通り、それがベネチア映画祭金獅子賞の要因として強く働いたのだと思う。そうした部分の普遍性がこの映画の力強さの根源にある。