2003/04/09(水)「スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする」

 デヴィッド・クローネンバーグの「イグジステンズ」以来3年ぶりの作品。精神分裂病の主人公(レイフ・ファインズ)が過去の母親(ミランダ・リチャードソン)の死を回想する話である。主人公のスパイダーことデニスは終始ブツブツつぶやいている。ノートにびっしりと何かを書きつづっている。精神病院から出て故郷の町に帰ってきた主人公と過去の出来事とが交互に描かれる。回想の中に現在の主人公が傍観者として登場するのは面白い趣向ではあるが、クローネンバーグの映画としては特に成功もしていない。「裸のランチ」ほどのわけの分からない面白さはなく、ストーリーが分かり易すぎるのである。そうか、そういうことかと納得してしまうようでは精神分裂病患者を描いた映画としては何だか面白くない。妙に辻褄が合ってしまっている。エンタテインメントになっているわけでもなく、あるのはクローネンバーグのジュンブンガク趣味だけということになる。

 原作はパトリック・マグラー。脚本もマグラーの手によるものだ。キネマ旬報によると、マグラーは「文学系ホラー作家として人気を博す」とある。この物語の根幹は母親の死の真相で、浮気した父親が衝動的に殺したのかと思ったら、実はという展開にある。加えてここに精神分裂病の症状が絡んでくる。もういくらでも面白くできそうな題材である。真実と思っていたものが違っていたという展開は描写次第では現実と虚構との揺らぎを描くこともできただろう。クローネンバーグも「イグジステンズ」でそういうものを描いていた。しかし、この映画は冒頭から主人公の症状を中心に描いていく。残念ながら、これがストーリーと有機的なつながりをしているとは思えない。ノートをタンスの引き出しに入れたり、カーペットの下に隠したりの強迫神経症的な描写と物語の核とをもっと結びつける必要があった。単に精神分裂病の男を描いただけの話に終わっていて、プラスαの部分がない。

 かつてのクローネンバーグは肉体の変容を描く作家だった。初期の「ラビッド」から「スキャナーズ」「ビデオドローム」「ザ・フライ」などSF的な展開にわくわくしたものだ。これが「戦慄の絆」など精神世界をメインの題材にするようになって、やや難しくなってきた。難しいというのは映画の内容ではなく、演出の方法としてである。肉体の変容が主人公の精神にも影響を及ぼすという話は分かりやすいのだが、精神の変化は視覚的でない分、描写の方法が難しい。最近の作品がどこかマイナーなのはそのためでもある。こういう話ならば、小説で読めば十分と僕は思うし、小説の方が面白くできるだろう。視覚的でないものを選んで無理に映画にしている感じが近年のクローネンバーグにはあり、それは初期のころからのファンとしては残念なところでもある。