2008/05/24(土)「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」チラシ クラシカルな作り。1898年から1927年までを描く時代背景に合わせたようにタイトルも物語の語り口もクラシカルな作りである。クラシカルでないのは不安を強調するような音楽(というよりは劇伴といった方がふさわしい)だけだ。石油を掘り当てる山師の生涯をポール・トーマス・アンダーソンは緊密に活写し、主演のダニエル・デイ=ルイスはアカデミー主演男優賞を受賞した。一般的な評価は高いけれども、僕は途中から退屈だった。なぜか。主人公を突き動かす根源的なものが見えてこないからだ。主人公は石油で儲けた金を何に使おうとしているのか。どんな欲望があるのか。主人公が金を使う場面はなく、周囲に女もいない。欲望の根源を映画は深く掘り下げて描いてはいないのだ。「マグノリア」のような群像劇(監督の言葉を借りれば、アンサンブル映画)であれば、この点はあまり問題にならないが、1人の男の生涯に焦点を当てたこの映画の場合、主人公の振る舞いの基盤や規範を描かなければ、説得力が薄い。悲惨であったり、ショッキングであったりするさまざまなエピソードにいちいち納得しながらも、奥行きを感じないのはそのためだろう。デイ=ルイスの熱演と描写の強さによって騙されるけれども、アンダーソンが描いたのは1人の男の生涯のアンサンブルに終わっていて、その男の根底にある情念に迫っていかないのが見ていてもどかしい。なぜこの男はこんな振る舞いをするのかという疑問がつきまとう。画竜点睛を欠く力作だ。

 冒頭から20分程度のセリフなしの場面は映画の技術をそのまま見せられているようで微笑ましささえ感じる。1898年、主人公のダニエル・プレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)は穴に降りる途中、はしごが壊れて転落し、足の骨を折る。それでも穴の底で金を見つけて300ドル余りを得る。金を手にしたダニエルは今度は石油掘削に乗り出す。西部の小さな町リトル・ボストンに石油があるとの情報を得て、息子のH.W.(ディロン・フレイジャー)とともに町へ向かい、サンデー牧場とその周辺の土地を買収。作物が育たない土地に豊かさをもたらそうと町の人たちをそそのかす。やがて石油は出るが、ガスの噴出で吹き飛ばされたH.W.は聴力を失ってしまう。サンデー牧場の次男イーライ(ポール・ダノ)は牧師でことごとく、ダニエルと対立。そんな中、ダニエルの異父弟を名乗る男ヘンリー(ケヴィン・J・オコナー)がやってくる。

 後半、映画の中心になるのはダニエルとイーライの対立で、映画の結末もこの2人の関係に収束していく。イーライは牧師とはいってもどこかうさんくさいところがあり、精霊が体に入ったと言って教会に来た人々を騙しているような男である。石油掘削の前に町の人たちに自分を紹介するようダニエルに要求し、それがかなえられなかったことに恨みを抱いている。表面上は善良さを装うイーライをダニエルは嫌うが、この2人、コインの裏表のように似ている俗物といっていいだろう。ただし、デイ・ルイスの迫力の前では若いポール・ダノ、分が悪い。

 H.W.はダニエルの本当の息子ではなく、最初は良好だったヘンリーとの関係もあることをきっかけに崩壊してしまう。H.W.とも決裂し、ダニエルは次第に孤独感を深めていく。「ゴッドファーザーPARTII」のマイケル(アル・パチーノ)をなんとなく思い出してしまったが、もちろんあの豊穣な映画には及ばない。

 原作はアプトン・シンクレアの「石油!」(1927年)。アンダーソンはこの小説の前半部分、ダニエルとイーライの対立に中心を置いて映画を組み立てたという。ならば、やっぱりデイ=ルイスに対抗し得る役者をイーライ役にキャスティングしたかったところだ。不気味な音楽を担当したのはジョニー・グリーンウッド。