2015/10/10(土)「特捜部Q 檻の中の女」

 ユッシ・エーズラ・オールスンの原作の本筋をコンパクトにまとめている。主人公と相棒のアサドにも違和感はない。映像のセンスも悪くない。しかし、原作の大きな魅力となっているユーモアがない。筋を追うのが精一杯で、そこまで手が回らなかったのだろうが、残念。

 最後のセリフで言及される“秘書”はアサド以上におかしなヤツなので、シリーズ化するならユーモアを入れてほしいところだ。この原作を映像化するには映画よりも余裕のあるテレビシリーズの方が向いているのかもしれない。

2015/09/27(日)「ウォーリアー」

 KINENOTEで1位になったアニメ「心が叫びたがってるんだ。」を見た。小学生の頃のある出来事によって話さなくなった少女・成瀬順が主人公。順の話したことがきっかけで両親は離婚する。心にあることを何でもしゃべってしまうので、玉子の妖精に呪いをかけられた(と思っている)順は高校生になっても話さない。話すと、腹痛が起きる。先生の指名で地域ふれあい交流会の実行委員になった順がミュージカル上演を目指してクラスメートと心を通わせていく姿を描く。

 テーマは重たく、描写は軽やかなのが美点で、良くまとまった作品だと思う。ただ、なんとなく食い足りない。どこが悪いというわけではなく、減点する部分は見当たらないが、世評ほど高く評価する気になれない。強いて言えば、アニメの技術に目新しい部分がないことが少し不満なのだが、スタッフはアニメの技術に力を入れているわけではない。ここにあるのは物語をきちんと伝える過不足のない技術で、それ以上のものは目指していない。それを批判するのは筋違いというものだ。だが、それなら実写でも小説でも良かったのではないかという思いも拭いきれないのだ。

 などと考えながら、KINENOTEを見たら、公開中映画ベストテンの1位がこの映画から「ウォーリアー」に変わっていた。「ウォーリアー」という作品はまったく知らなかった。調べてみると、2011年の作品で6月に東京で単館公開され、8月にDVDとブルーレイがリリース。同時にamazonやGoogleでネット配信が始まった。9月19日から再び単館公開されており、劇場公開中作品としての資格ができたわけだ。このベストテンにDVDリリース済みの作品が入るのは珍しい。というか、初めて見た。気になったのでamazonインスタントビデオで見てみた。

 総合格闘技を舞台に一家離散した兄弟と父親の関係を描く。主演は兄を演じるジョエル・エドガートン、弟を「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のトム・ハーディが演じる。ハーディはこの映画から注目されたそうだ。監督はギャヴィン・オコナー。

一家が離散したのは父親のアルコール依存症が原因。母親と弟は家を出る。母親の死後、弟は海兵隊に入るが、除隊して14年ぶりに父親に会いに来る。総合格闘技の大会スパルタンに出るため、父親にトレーナーを依頼するのだ。高校教師となった兄は心臓を患う娘の治療費のため銀行に多額の借金があり、家を差し押さえられそうになっている。家と妻子を守るため総合格闘技の試合で日銭を稼ぎ、知人のジムに通うようになる。そして同じくスパルタンに出場することになる。

兄は関節技を得意とし、弟はファイタータイプという設定。弟がパンチ一発で勝ち上がっていくのに対し、兄はボコボコに殴られながらも、間一髪の逆転で辛くも勝ち上がる。そしてロシアの世界チャンピオンと対戦することになる。

 ドラマもよくできているが、映画の半分ぐらいを占める試合場面がいい。兄と弟の背景を踏まえて描き、歓喜と感動が渦巻く。観客を揺さぶる感情の振幅が大きいのだ。父親役のニック・ノルティがダメ男を情けなく渋く演じており、これはもしかしたらと思ったら、案の定、2011年のアカデミー助演男優賞にノミネートされていた。

2015/09/20(日)「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド 」

 原作とはまったく違う。前編は8割ぐらいは原作のプロットをなぞっていたが、後編はまったく異なる展開となる。巨人の謎が明らかにされ、戦う敵の設定も変えてある。連載中のコミックを映画化する上で、これも一つの方法だ。原作通りに作って破綻の末に討ち死にするよりは、はるかに賢明な選択だったと思う。

 進撃ファンダメンタリストは怒るだろうが、個人的にはこの改変、悪くないと思った。こういう展開にするから、原作のリヴァイをシキシマに変えるなど細かい変更をしていたのかと納得した。最後まで見て思い浮かべたのはM・ナイト・シャラマンの某作品。B級SFにありそうなアイデアなのである。

 ただ、残念ながら話が小粒になった。原作のスケール感がなくなった。前編で開いた壁の穴を塞ぐ攻防が中心になるので、これは仕方ない面もある。それと前編同様にドラマの盛り上げ方がうまくない。謎の解明に話を割いた結果、主人公たちの感情の動きがうまく描けていない。これは主に監督の責任だろう。

 謎が謎を呼ぶ原作とは別物と思って見れば、別段、腹は立たない。

2015/09/13(日)「キングスマン」

 この映画のクライマックス、何かで見たなと思って少し考えたら、「マーズ・アタック! 」(amazonビデオ)じゃないか。軽いノリのブラックな味わいも同じだ。もちろん、全体としては007シリーズが根底にあり、それに「マイ・フェア・レディ」のプロットを借りて、いろんな過去の映画をパロディ一歩手前の感じでまぶしてある。敵役のサミュエル・L・ジャクソンのキャラと陰謀はいかにもコミック原作で、同じ原作者&監督コンビの「キック・アス」の変奏曲みたいな印象だ。「キック・アス」が好きな人はこの映画も気に入るだろう。

 凄いアクションを英国紳士風に颯爽と演じるコリン・ファースと、アスリート用の義足を武器に相手の手足をバッサリ切断するソフィア・ブテラが光ってた。こういうオリジナルな部分があるから、過去の映画をいくら引用してもパクリにはならず、面白い映画に仕上がるのだろう。

2015/08/16(日)「野火」

 塚本晋也監督作品だからといって、何でもかんでもそこに結びつけるのは良くないということは重々分かっているが、やはりこれは塚本晋也版の「マタンゴ」だと思う。

 両者に共通するのは逃げ場のない極限状況に置かれた人間の飢えとそれを解消するための食べ物だ。食べ物は「マタンゴ」においてはキノコのマタンゴであり、「野火」においては人肉だ。どちらも食べれば生き延びることは分かっている。しかしどちらも食べるのはタブーだ。マタンゴを食べればキノコの化け物になってしまう。人肉を食べれば餓鬼に堕ちてしまう。ラストで極限状況を逃れて文明社会に帰還した主人公を描く構成においても両者は共通している。塚本晋也は「野火」を撮っている時に「マタンゴ」は意識しなかったかもしれないが、強い衝撃を受けた作品の影響はどこかに表れてしまうものなのだと思う。

 大岡昇平の原作は20代のころに読んだ。当時、NHKで放送されていた「マイ・ブック」で取り上げられて興味を持ったのだ。司会の原田美枝子は印象に残った部分として、手榴弾で肩の肉を吹き飛ばされた主人公がとっさにそれを口に入れるシーンを上げた。以下のような場面だ。

後ろで炸裂音が起こった。破片が遅れた私の肩から、一片の肉をもぎり去った。私は地に落ちたその肉の泥を払い、すぐ口に入れた。

 私の肉を私が喰べるのは、明らかに私の自由であった。

 この場面は映画「野火」でも描かれる。ただ、肩の肉は地に落ちず、肩に乗ったままで主人公・田村(塚本晋也)はそれを取って食べる。

 原作を反芻しているうちに、どうも「マタンゴ」の方が「野火」に影響されているのではないかと思えてきた。「マタンゴ」の公開は1963年。「野火」の原作は1951年で市川崑監督版の映画は1959年に公開されている。「マタンゴ」の原作はウィリアム・ホープ・ホジスンの短編「夜の声」(闇の声、amazon)だが、映画のプロットはむしろ「野火」の方によく似ており、福島正実と星新一は脚色する際、「野火」の設定を換骨奪胎した可能性がある。ということは「マタンゴ」を好きな塚本晋也が「野火」を撮りたくなるのは必然だったということになる。

 さて、塚本晋也版の「野火」は右傾化が止まらない現在において厭戦気分を煽るのに十分な描写に終始する。旧日本軍は食料の補給など最初から考えてもいなかったから、兵士たちは食料を現地調達しなければならない。それにも限界があり、飢えに苦しみ、食料をめぐって争うことになる。そして飢えを癒やすために「猿の肉」と称して人肉を食べる兵隊も出てくる。戦場の怖さは敵の砲弾だけではない。味方の人間同士の醜い争いが戦場の狂気を浮かび上がらせている。

 敵の銃撃によって日本兵の腕がもがれ、脳漿が飛び散る場面は後から追加撮影したそうだ。このスプラッターな場面は塚本晋也が「マタンゴ」から離れるためにも必要だったのではないかと思う。