2014/10/19(日)「ジャージー・ボーイズ」

 彩度を落とした銀残しのような画質は時代を表現しているのだろうとか、登場人物が観客に向かってストーリーの説明をするのは50年代のコメディ映画にあるよなとか、前半は冷静にそんなことを考えながら見ていたのだが、クライマックスの「君の瞳に恋してる」でやられた、まいった。

 フォー・シーズンズの結成から「シェリー」などのヒット曲を連続させるという上昇基調のドラマが一転してメンバー脱退など不幸なエピソードの連続に変わり、気分が落ちてきたところで一転してフランキー・ヴァリ(ジョン・ロイド・ヤング)がこの名曲を歌い上げるのだ。サビが流れてきただけで鳥肌が立った。この映画の画面転換の呼吸は、もう絶妙のうまさである。しかもこの後、最高に幸福感あふれるエンディングの歌が待っているのだ。元がブロードウェイの舞台なのでこのエンディングはカーテンコールに当たるが、僕は原田知世「時をかける少女」のエンド・クレジットの楽しさを思い出した。

 クリント・イーストウッドは自分で作曲もする人だから、音楽映画を撮っても不思議ではないし、過去にも「バード」があるのだけれど、こんなにうまく撮るとは思わなかった。イーストウッド監督作品でも上位に入る出来だと思う。

 不思議なのはこの映画、本国アメリカでは低い評価の方が多いこと。ロッテン・トマトでは53%のレビュワーが腐ったトマトを投げつけ、平均得点は5.9。これについてキネ旬10月上旬号の対談で小林信彦と芝山幹郎は以下のように語っている。

 芝山「でも今回、この映画がアメリカの評論家にあまり受けなかったというのはねえ……。やっぱり目先で観ているのでしょうか」

 小林「向こう(アメリカ)の評論を読んで感じるけど、この映画の本質はよほど勘の鋭い奴じゃない限り分からないですよ」

 芝山「今の若い評論家はディテールの読み間違いが多いし、温故知新の気持ちがちょっと足りない。それと、末梢神経の刺激をせっかちに求めすぎる。ロジャー・イーバートが生きていたら、絶対に奥まで読み取るタイプですよ」

 日本ではフォー・シーズンズ世代の高齢者はもちろん、若い世代にも号泣したなんて人がいるぐらい高い評価を集めている。マフィアとのつながりがきれい事で終わってるとか、事実と異なるフィクションも含まれているとは思うのだが、アメリカでの評価はどう考えても低すぎると思う。