2014/10/13(月)「猿の惑星:新世紀(ライジング)」

 前作「創世記(ジェネシス)」の10年後を描く新シリーズ第2弾。本格的なSF映画であり、マット・リーヴスの演出も手堅い。猿のリーダーであるシーザー役のアンディ・サーキスをはじめ猿のメイクアップと動き(パフォーマンス・キャプチャー)はとてもリアルだ。物語に緊迫感はあっても驚くような展開はないし、ウィルス進化論を核に据えた前作ほどではないにしても、水準以上の仕上がりであることは間違いない。

 それにもかかわらず、あまり気分がすぐれないのは猿にとっては夜明け(原題はDawn of The Planet of The Apes)でも、人間にとっては夕暮れだからだ。黄昏れていく人間たちの姿は哀れさを感じさせる。ウィルスのパンデミックによって生き残ったのは免疫を持つわずかな人間だけ。しかも電力が底をつきそうになっており、文明の灯は今にも消えそうになっている。ウィルスによって進化した猿たちとは対照的な姿なのである。オリジナルの第1作につながる前日談であることを考えると、この先に待っているのは猿に支配された人間たちの絶望的な世界であり、希望が見えずに気分がハッピーになるわけがない。

 前作よりも猿たちの描写は怖くなっている。動作も声も大きくて爆発的な凶暴さを漂わせる。これは人間との戦いを避けるシーザーも例外ではない。群れを統率するためには誰よりも強いことを示す必要があるのだ。

 描かれるのは戦いと融和のせめぎ合いだ。シーザーが戦いを避けるのは戦いによって仲間に犠牲が出ることを恐れるからだ。かつて飼われていたウィル(ジェームズ・フランコ)との良い思い出は持っているにしても、他の人間と仲良くしたいと思っているわけではなく(自分はできても他の猿には無理だと現実的に考えているのかもしれない)、人間と猿が別々の場所に住んでお互いに干渉しないことを望んでいる。これに対してシーザーの片腕コバ(トビー・ケベル)は人間に虐待された過去の恨みから、人間たちの銃を奪い、仲間を率いて戦いを挑む。

 この構図は人間たちにも当てはまる。リーダーのマルコム(ジェイソン・クラーク)は戦いを望まないが、ドレイファス(ゲイリー・オールドマン)は武力で対抗しようとする。「共存か 決戦か」というこの映画のコピーは映画の内容を端的に表している。

 旧シリーズの原作者ピエール・ブールは第二次大戦中に日本軍の捕虜になった経験があり、原作における猿は日本人の比喩だと言われた(ブールは「戦場にかける橋」の原作者でもある)。今回はそんなに単純ではない。異なるコミュニティー間のコミュニケーションの難しさ、それぞれのコミュニティー内の意見の対立を描き、不幸な戦争への道を進む状況を描いている。

 話に決着が付いたわけではないので第3作は間違いなく作られるだろう。しかし、旧シリーズ第1作にそのままつなぐ展開にはならない気がする。公開当時、あってもなくても良い作品と思えた旧シリーズ第5作「最後の猿の惑星」のように人間と猿が融和を目指す物語に落ち着くのではないか。これこれこうやって猿に支配された世界ができました、という(人間にとっては)ペシミスティックな結末をハリウッドは避けるのではないかと思う。

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