2006/10/07(土)「フラガール」

 「フラガール」チラシ昭和40年、福島県の常磐炭坑でハワイアンセンター開業のためにフラダンスに打ち込む少女たちを描いた李相日(リ・サンイル)監督作品。チームには長年続いてきた炭坑生活から抜け出したい少女と夫が炭坑を解雇され、生活のためにフラダンスの道を選ぶ主婦とが混在する。いずれも後がない状況の中だけに登場人物のそれぞれの行動には胸を打たれる。炭坑の男たち女たちの古い価値観とフラダンスを選んだ人々との新しい価値観の対立は視点としては前例がいくらでもある平凡なものだが、李監督は細部のエピソードで話に説得力を持たせている。お決まりのストーリーにどう工夫を凝らすかについては文句はないし、蒼井優、松雪泰子のダンスも素晴らしい。しかし、どこか突き抜けた部分がない。大衆性を備えており、全体的によくまとまったウェルメイドな作品であることは認めるが、どうも手放しで絶賛しにくい部分が残った。寺島進演じるやくざっぽい人物の描き方が不十分とかそういう些末な問題を越えて、この映画には脚本の構成上のちょっとした計算違いがあるように思う。

 落盤の危険を意識しながら死と隣り合わせで炭坑に潜る炭坑夫たちにとって、フラガールたちが客の前で踊って媚びを売って金をもらう存在としか思えないのは当然のことだろう。そのフラガールたちがどう古い価値観の人たちの理解を得ていくかが大きな見どころ。それは蒼井優が練習の末に身につけたダンスを母親(富司純子)に見せるシーンであったり、寒さで枯れそうになった椰子の木を助けるために組合幹部に土下座してストーブを貸してくれるよう頼む男の姿であったりする。ふわふわした気持ちで取り組んでいるわけではない。自分たちも必死なのだという姿勢があるので、観客の心をしっかりとつかむ展開になっている。そしてフラダンスに反対していた富司純子が「木枯らしぐれえであの子らの夢を潰したくねえ。ストーブ貸してくんちぇ」とリヤカーを引くようになる場面が個人的には最も感動的な場面だった。

 この価値観の対立が解消してしまうと、あとは付け足しのように思える。だからハワイアンセンターがオープンし、そのステージで踊るフラダンスの高揚感が今ひとつ効果的にはなっていない。付け足しだから仕方がないのだ。このステージを見た母親が心変わりするという展開の方がクライマックスの感動は大きくなったのではないか。いや、母親でなくてもいい。組合幹部にハワイアンセンターに強硬に反対する人物を設定しておいて、その人物の心変わりを描いても良かったと思う。クライマックスの蒼井優のフラダンスはそのうまさには感心するが、心に響かないのは既に母親の前で素晴らしいダンスを見せているからだ。そして残念ながら、クライマックスを意識したためか、母親の前でのダンスは短く、十分に堪能させてくれた「花とアリス」のクライマックスのバレエシーンには及ばない。あのストーリーの流れから生じた情感とバレエの技術が一体となったような在り方がこの映画のクライマックスにも必要だったのだと思う。

 このクライマックスにはフラダンスと並行して相変わらず炭坑に向かうトロッコに乗る豊川悦司たちの姿が描かれる。ここをもっと強調したいところではある。例えば、同じく炭坑の町を舞台にした「遠い空の向こうに」(ジョー・ジョンストン監督)では古い価値観を持つ父親(クリス・クーパー)をもまた肯定的に描いていた。あるいは「リトル・ダンサー」(スティーブン・ダルドリー監督)でも頑固な父親の存在が大きかった。この映画はこうした前例を参考にしているだろうから、もっと新旧の価値観の対立と和解に工夫があっても良かったのではないかと思えてくるのだ。そのあたりのオリジナリティーの欠如が惜しいところで、手放しの絶賛をしにくい理由になっている。

 ビールを片手に登場し、たばこをスパスパ吸う松雪泰子の役柄は過去に問題があったことをうかがわせる。それを具体的に描写しないのはハードボイルドな在り方で悪くはない。蒼井優ら生徒たちに見せるダンスは彼女たちにダンスの魅力を伝えるのに十分な出来で、キャラクターに深みを与える演技も含めて松雪泰子がここまでうまいとは思わなかった。豊川悦司や岸部一徳らの演技もいい。