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2001年09月04日の記事

2001/09/04(火)「大河の一滴」

 五木寛之のエッセイと原案から新藤兼人が脚本化し、神山征二郎が監督した。このコンビならまず死角はないと思えるが、残念ながら映画の出来は芳しくない。主人公を演じる安田成美の幼稚な演技が誤算。この人、黙っていれば、まだ何とかなるが、セリフをしゃべり、身振り手振りが加わると、その硬さ、稚拙さにあきれる。もっと自然な演技を身につけてほしいものだ。脇を固める三国連太郎や倍賞美津子らが自然体演技なので余計にそう感じられる。もう一人、渡部篤郎の演技は自然体とは言えないが、うまさを感じる。硬いセリフを普通の人間がしゃべる言葉に変換してしゃべっているよう。アドリブだろうが、うまいし、好感が持てる。

 主人公・小椋雪子は29歳。東京で友人の川村亜美(南野陽子)が経営する輸入雑貨店で働いている。商品の買い付けにロシアへ行った際、ロシア人のガイド、ニコライ・アルテミコフ(セルゲイ・ナカリャコフ)と知り合う。ある日、東京の雪子にニコライから電話がある。ニコライはトランペット奏者でオーケストラのオーディションを受けるため、来日していたのだ。しかし、オーディションは不合格。そんな時、金沢に住む雪子の父親(三国連太郎)が倒れたとの知らせが届く。父親は肝臓ガンと肝硬変を併発していた。もって半年の命。父は手術をせず、今まで通り祖父から継いだ特定郵便局長としての仕事に打ち込む。

 映画は後半、父親の生き方とそれを支える母(倍賞美津子)の姿、雪子と幼なじみの昌治(渡部篤郎)、ニコライの三角関係に焦点が絞られる。これはいいのだが、前半の描写が性急で、余計なものが多すぎる。亜美が恋人に金をつぎ込んで、店を潰し、自殺するという描写などは何のために描いたのか。南野陽子は好演しているのだが、映画の本筋に絡んでこないし、語り口が性急すぎる。さーっと表面的に描いて終わりである。

 主人公のキャラクターもいただけない。このバカな女は「あたしやっぱり昌治と結婚するのかなあ」などと言いつつ、不法滞在で送還されたニコライに会いにロシアまで行くのに、昌治に同行するよう頼むのである。人の良い昌治は悩みながらも承諾する。三角関係の決着の付け方も不十分だし、これでは昌治がかわいそうである。

 こういう関係で思い出したのは、たとえが古くて申し訳ないが、山本周五郎「柳橋物語」。主人公の娘はバカな男の良いところだけを見て、男を待ち続け、そばにいる素晴らしい男に気づかない。そばの男がいなくなって初めてその男の良さが分かり、思いを寄せてきた男のバカさに気づく。

 もしかすると、新藤兼人脚本は渡部篤郎を描くためにこういう設定にしたのかもしれないとも一瞬思ったが、それにしてもこの主人公の設定はないだろう。神山征二郎は「わがままというのは心が純粋ということ」と言っているけれど、29歳にもなった女のわがままは迷惑なだけである。

 ニコライ役のセルゲイ・ナカリャコフは国際的に活躍するフランス在住のトランペッターとのこと。これまた稚拙な演技にあきれ果てる。トランペットはできなくても本職の役者を起用すべきだったのではないか。

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