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2002年11月03日の記事

2002/11/03(日)「ザ・リング」

 ドリームワークスのタイトルにジジジとノイズが入る幕開けがいかにもという感じである。非常に良くできたリメイクと思う。ゴア・ヴァービンスキーは去年のワースト「ザ・メキシカン」の監督で、あの映画で技術的に優れたものは皆無と見たが、それが逆にオリジナルに忠実な作りになった要因かもしれない。アメリカでは字幕を付けて公開する代わりにリメイクしてしまうことが普通に行われる。これは日本版の素直な翻訳映画化と言えるだろう。

 もちろん、舞台をアメリカに移し替えることで話の細部は鈴木光司の原作とも日本版映画とも少し異なるのだが、そのニュアンスは日本版映画の方をそのまま踏襲している。冒頭の女子高生2人の描写からクライマックスのような怖さ。見たら1週間で死ぬというビデオを見たシアトル・ポストの記者レイチェル(ナオミ・ワッツ)が死から逃れるために必死の調査を続ける。元夫のノア(マーティン・ヘンダーソン)にもビデオを見せ、あろうことか自分の子供エイダン(デヴィッド・ドーフマン)までビデオを見てしまう。追い詰められたレイチェルはビデオの裏にサマラ(ダヴェイ・チェイス)という少女の存在を見つけ出す。

 サマラが超自然的な能力の持ち主であることは貞子と共通するのだが、貞子より年齢設定はずっと下である。このサマラの調査の過程で怖さが少し薄れるのは呪いに理屈を付けていく部分だからしょうがない(その代わり日本版にはない馬のシーンが用意されている)。日本版の高橋洋脚本がホラー映画として優れていたのは貞子を問答無用の化け物にしてしまったことで、丁寧に葬ったから成仏したかと思いきや、それをひっくり返す終盤の描写が見事だった。日本の観客は「リング」で問題の驚愕シーンを見ているから驚かないだろうが、アメリカの観客はここで度肝を抜かれたのではないか。その描写は日本版と共通しながら、SFXは当然のことながら上だし、サマラの顔はずっと化け物じみている。いやー、怖い怖い。これが昼間の描写ではなく、夜だったらもっと怖かっただろう。

 ヴァービンスキーの演出は荒野に立つ1本の木やサマラの閉じこめられた部屋、夜のとばりが降りてくる描写(真っ赤な楓が夕陽に照らされて赤く輝き、しだいに黒くなっていく)などに視覚的な冴えを見せる。ショッカー的演出が随所にあるのはずるいぞ、と思うが、まず合格点だろう。超能力の持ち主を日本版の高山(真田広之)=ノアからエイダンに移し替えたのは賢明な選択。「サマラを解放したの?」というエイダンのセリフが効いている(脚本は「スクリーム3」「レインディア・ゲーム」などのアーレン・クルーガー)。

 ハンス・ジマーの音楽も日本的な恐怖を盛り上げている。メイクアップのリック・ベイカーはとても怖い死体を見せてくれる。しかし、一番の魅力は美しくて知的なナオミ・ワッツであり、主演女優は日本版(松島菜々子)を軽々と超えていた。

 ヒットしたから続編も作られるのかな。「らせん」のタイトルは「ザ・スパイラル」になるのだろうか。どうせなら、貞子の容貌を借りてさらに暴力的な怖さに発展させた「呪怨」(来年1月公開)もアメリカでリメイクしてほしいものです。