2005/01/19(水)「ネバーランド」

 「ネバーランド」パンフレット女性の日のためか、劇場は女性客が9割以上(というか、男は2、3人だった)。ジョニー・デップのファンも多いのだろう。

 「チョコレート」のマーク・フォースター監督作品で、「ピーター・パン」の物語がどのように生まれたのかを描くヒューマンなドラマ。作家のジェームズ・M・バリと4人の息子を持つ未亡人シルヴィアの交流を描きつつ、「信じる力」と「想像力」の大事さを訴えている。フォースターの演出は的確で力まないところが好ましい。バリとシルヴィアの緩やかな関係を繊細に綴った脚本(これがデビューのデヴィッド・マギー。オリジナルは舞台劇「ピーター・パンだった男」で、マギーはそれを脚色した)も良い出来である。

 ただ、信じる力を訴えるなら、現実には起こりえないような奇跡も欲しいところなのだが、実話を基にしているためか限界がある。スピルバーグあたりの映画なら、もっとファンタジー寄りの内容になっていただろう。そこが少し物足りない点ではある。その物足りなさを救っているのがジョニー・デップとケイト・ウィンスレットの演技で、デップがうまいのには驚かないが、薄幸な身の上の未亡人を毅然と演じるウィンスレットは母親役にも違和感がなく、随分うまくなったなと思う。

 1903年のロンドンが舞台。バリ(ジョニー・デップ)の新作「リトル・メアリー」はさんざんな出来で、翌日の新聞でも酷評される。失意のバリは愛犬のポーソスを連れて公園に出かける。そこでバリはデイヴィズ家の4人の兄弟と母親のシルヴィア(ケイト・ウィンスレット)に出会う。4人の兄弟のうち、三男のピーター(フレディ・ハイモア)だけは1人、兄弟の遊びの輪から外れていた。ピーターは父親の死のショックから、空想の世界に入ることを拒否していた。バリの妻メアリー(ラダ・ミッチェル)はシルヴィアが社交界の名士デュ・モーリエ夫人(ジュリー・クリスティ)の娘と知り、夕食に招待する。夕食会は愉快なものにはならなかったが、バリはデイヴィズ家に頻繁に足を運ぶようになる。子供たちと一緒に遊びに興じているうちにバリにはある物語の着想が固まり始める。幼い頃に兄を亡くしたバリは決して大人にならなネバーランドという場所を心に思い描いていた。

 映画は病に倒れるシルヴィアとバリの抑えた愛の描写を挟みつつ、舞台「ピーター・パン」の創作過程を描いていく。バリ自身のキャラクターとピーターのキャラクターが交差していくところが、脚本のうまいところ。「ピーターは早く大人になろうとしてる。大人になれば傷つかずにすむと思って」というバリのセリフはそのままバリ自身にも言えることなのだろう。実際にはバリと妻の離婚などドロドロしたものがあっただろうが、映画はそれをさらりと描いている。映画の本質はそういう部分にはないので、これは賢明な判断。なぜ信じる力が必要なのか、なぜ人は物語を必要とするのかまでもっと踏み込んで描けば、さらに深い映画になったと思う。「チョコレート」でも感じたことだが、フォースターの演出は画面構成のメリハリに欠ける部分がある。淡泊な人なのではないかと思う。

 劇場の興行主を演じるのがスピルバーグの「フック」でフック船長を演じたダスティン・ホフマン。別にホフマンでなくても良い役柄なので、これは監督の遊び心なのかもしれない。