2007/11/04(日)「バイオハザードIII」

 前作で全滅したかと思えたアンデッドが世界中に広がり、世界は砂漠化も進んでいるという設定。生き残ったコンボイ軍団にアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が合流し、襲い来るアンデッドと戦い、アンブレラ社の野望を砕く。最初のころのコピーに「アリス、砂漠に死す」というのがあったが、全然そんな展開ではない。死ぬのはアリスのクローンで、これはアンブレラ社がアンデッドへのワクチンを作るために研究しているのだった。アリスのクローンが無数に培養されているシーンは「エイリアン4」のようだが、それ以前に「エヴァ」の影響もあるのかもしれない。

 前作はアレクサンダー・ウィットのアクション演出がよく、ジル・バレンタイン(シエンナ・ギロリー)も鮮烈で良かったが、今回、監督がラッセル・マルケイに代わり、アクションシーンは可もなく不可もなくのレベル。ストーリーにも目新しさがないので、いいのはジョヴォヴィッチだけということになる。ジョヴォヴィッチはこのシリーズでアクションに目覚めたようで、動きは悪くない。ジル・バレンタインの代わりに登場させたと思える女性リーダー役のアリ・ラーターは「HEROES」の多重人格者。テレビでは色っぽくて良いが、スクリーンで見ると、やはりテレビ女優かという感じがつきまとう。それほど見せ場がないのもつらいところだ。

 ラッセル・マルケイは「レイザーバック」(1984年)でその映像感覚におおっと思った。残念ながら良かったのは次の「ハイランダー 悪魔の戦士」(1986年)までだった。以後はB級映画の監督というイメージ。

 アリスの力は前作よりもパワーアップしていて、ほとんど超能力者。これをもっとSF的に発展させていってほしかったところだ。その意味ではポール・W・S・アンダーソンの脚本にも難があるのだろう。もっと面白くなりうる題材なのにちょっと残念。(mixi)

2007/09/22(土)「プラネット・テラー in グラインドハウス」

 ゾンビを相手にしたアクションという感じの映画に仕上がっている。グラインドハウスなので例によってフィルムの傷とか、途中に「1巻をなくしました」とかの字幕が出てきていかにもな雰囲気だが、「デス・プルーフ」の時に感じたようにこれも1時間30分程度にまとめるべき映画だろう。面白いけど、ちょっと長い感じ。R-15になったのはそれなりに残虐シーンがあるためか。グロいシーンが苦手な人は要注意。

 映画としては大したアイデアはなく、あの片足マシンガンぐらい。といっても、このマシンガン、どうやって引き金を引いているのか説明はないところが、いかにもB級映画。ま、気楽に楽しむべき映画なのだ。マシンガンを付けるローズ・マッゴーワンは良かったけれど、女医役のマーリー・シェルトンの方が好みだ。「シン・シティ」にも出ているようだが、何の役だったのだろう。タランティーノがゲスト出演していて、これはケッサクな役柄だった。あとは懐かしいマイケル・ビーン(「ターミネーター」)とか。主役級のフレディ・ロドリゲスの動きの良さにも感心。

 IMDBでキャストを調べておおお、と思ったのは劇中、ゾンビから指を食いちぎられる警官トロがトム・サヴィーニだったこと。「13日の金曜日」などのメイクアップ・アーチストで監督としては「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のリメイク版(1990年)がある。これは傑作だったと思うが、それ以後、まともな監督作はなく、最近では俳優としての出番が多いようだ。ゾンビなのでサヴィーニにお呼びがかかったのか。

2007/09/20(木)「ユナイテッド93」

 全敗の中の1勝。「ユナイテッド93」を見て感じたのはそういうことだ。同時テロで2機の飛行機が貿易センタービルに突っ込み、1機がペンタゴンに墜落した。ハイジャックされた4機目、ユナイテッド93は乗客たちがハイジャック犯たちに反撃し、目標のホワイトハウスに到着させず、墜落したという話。乗客は全員死んでしまったけれども、ホワイトハウスへの攻撃はさせなかった。これが勝利でなくて何だろう。だからこの映画はアメリカ国民からは支持されたのだ。もう単純にカタルシスがあるのである。テロリストたちに一矢を報いた悲劇の中のカタルシスが。

 映画としてもすこぶる良い出来で、前半、管制官たちから見た同時テロの進行の緊張感が凄い。飛行機と連絡がつかなくなって、何が何だか分からないうちに1機が貿易センタービルに突っ込む。CNNはすぐに中継を開始する。間もなく2機目も突っ込み、ようやく事故ではなく、テロではないかとの疑問が芽生え、3機目で決定的になる。

 ユナイテッド93が目標に到達しなかったのは朝の混雑のために離陸が30分遅れたからで、テロリストにハイジャックされた乗客たちは携帯電話で家族からテロの進行を知り、反撃を決意する。乗客の中にパイロット経験者がおり、操縦桿を奪い返そうという計画だった。それがうまくいかなかったのは残念だが、この過程はスリリングで悲壮感があり、観客を引きつける力がある。

 監督のポール・グリーングラスをはじめ映画の製作者たちは遺族から当時の状況を聞き、同意を取った上で映画化したという。ただ、状況を知る材料は携帯電話での通話とボイスレコーダーしかないわけで、細部はフィクションにならざるを得ない。乗客たちが操縦室までたどりつけたかどうかも実際には分からないようだ。

 僕は同時テロの際、墜落した4機目は軍が撃墜したのだろうと思った。そう推測する人は少なくはない。実際に撃墜したパイロットまで特定されているとの説もある。だいたい、同時テロ自体がアメリカ政府の陰謀とのトンデモ説もあるくらいなのだ。だから、この映画の内容をすべて信じてしまうことには少し抵抗がある。最後の字幕で軍がユナイテッド93のハイジャックを知ったのは墜落した後だったと出る。おまけに軍は大統領から撃墜許可を受けていたが、間違いを恐れて実行しなかった、とまでだめ押しされると、本当かと疑問を感じてしまう。プロパガンダ映画に近い作りではないかとの思いが頭をもたげてくるのだ。

 作りは一流、描かれる内容には疑問という映画の典型。ただ、悲劇的な話であるにもかかわらず、カタルシスがあるという希有な映画であることは間違いない。

2007/09/09(日)「デス・プルーフ in グラインドハウス」

 「デス・プルーフ in グラインドハウス」パンフレット個人的にはアメリカン・ニューシネマの傑作中の傑作と思っている「バニシング・ポイント」(1971年、リチャード・C・サラフィアン監督)がこの映画のモチーフの一つとなっている。クライマックスに「バニシング・ポイント」で主人公が乗ったダッジ・チャレンジャーによるカーチェイスが展開されるのだ。「爆走トラック'76」「ダーティ・メリー、クレイジー・ラリー」「バニシング in 60"」と他のカーアクション映画の名前も出てきて、タランティーノ、こういうカーアクション映画が好きだったのだなとニヤリとさせられる。もともとこの映画、60-70年代のB、C級映画(グラインドハウス映画)を復活させようという計画で作られたもので、確かに前半のわざとフィルムに傷をつけたり、大仰で安っぽい音楽を流したり、下品でエロティックな場面を用意したりの作りはかつてのB、C級映画を思わせて、これはこれで面白い。

 この趣向だけで2時間近くは持たないと思ったのかどうかは知らないが、途中に白黒の場面を挟んできれいなカラーへと転換する後半は完璧にカーアクション映画の復活を狙ったものになっている。スティーブ・マックィーン「ブリット」に端を発したカーアクション映画は70年代に最盛期を迎えて、多数の映画が作られた。「フレンチ・コネクション」や「カプリコン1」のようにアクション映画ではない映画にまでカーアクションが登場したほどだった。この映画、前半がグラインドハウス映画の外見を模したものであるのに対して、後半はそうしたカーアクション映画の精神を復活させたものと言えるだろう。しかも、このカーアクション、ボンネットの上にスタントウーマンが乗ったまま展開されるという驚愕の趣向が用意されている。「キル・ビル」でユマ・サーマンのスタントを務めたというゾーイ・ベルのスタントは一見に値する。これがあるから、この映画、ただのグラインドハウス映画のパロディにはならず、見応えのある映画になったのである。

 ストーリーは簡単だ。前半に描かれるのは若い女の子たちの他愛ないおしゃべりと彼女たちを狙うシボレーに乗ったスタントマン・マイク(カート・ラッセル)の姿。いかにもな映画の作りにクスクス笑っているうちに、女の子たちの乗った車にマイクが猛スピードで車を正面衝突させ、女の子たちは全員死亡してしまう。マイクの車はデス・プルーフ(耐死仕様)に補強されているため、マイクは重傷を負うが、助かる。マイクのキャラクターはスラッシャー映画の殺人鬼のようなもので、前半にこれを描いていることがクライマックスのアクションに生きてくる。後半は前半から14カ月後の設定。新進女優やスタントウーマンの女の子たちが登場する。スタントウーマンのゾーイは「バニシング・ポイント」のダッジ・チャレンジャーが売りに出されているのを知り、試乗しようと言い出す。そこで、ゾーイは以前やってもう二度としないと誓ったはずのボンネット乗りを行い、マイクに目を付けられることになる。

 クライマックスのアクションはマイクに攻撃を仕掛けられた女の子たちが反撃に転じるのだが、マイクが偏執狂的な男であると分かっているので、車がボロボロになるまで行われる反撃の激しいアクションにも納得できる。エモーションを伴わないただのカーチェイス、カーアクションほど空しいものはなく、だから、「バニシング in 60"」のアクションに僕は全然興味を持てなかったのだが、タランティーノはそのあたり、よく分かっていると思う。車の爆音とスピード感は官能的で、女の子たちの反撃も気持ちよく、スパッと終わるのが潔い。ボロボロにしてしまったダッジはどうなるとか、余計なことを描いていないのがいい。惜しいのはこのラストのあり方を全体には適用してないことで、こうした映画なら1時間半程度で収めて欲しかったところだ。短く切り詰めれば、もっと締まった映画になっただろうし、もっとグラインドハウス映画っぽくなっていただろう。

 新進女優役のメアリー・エリザベス・ウィンステッドは「ダイ・ハード4.0」でジョン・マクレーンの娘役を演じた女優。登場する多くの女優の中では正統的な美女と言える。「激ヤバ」のセリフに笑った。DJのジャングル・ジュリア役を演じるシドニー・タミーア・ポワチエはシドニー・ポワチエの娘、ジョーダン・ラッドはシェリル・ラッドの娘だそうだ。

2007/08/06(月)「トランスフォーマー」

 「トランスフォーマー」パンフレット日本製ロボット玩具から始まった日米合作アニメをスティーブン・スピルバーグ製作、マイケル・ベイ監督で映画化。軍とロボットが戦う場面が中心だった予告編はSFアクション映画かと思わせたが、本編は単なる子供向け(あるいはファミリー)映画だった。ロボットの造型はアニメのデザインが基本になっており、元のテレビシリーズを見ていた人にも違和感がないように作ってある。そのロボットのいかにも子供向けな造型が少し不満で、動きは速いのだが、だんだん重量感と質感に乏しいように見えてくる。監督のマイケル・ベイは前作「アイランド」の後半、CGを使いまくったアクションを見せてくれて、これはアクションだけでも凄いと思ったものだが、今回は物語の求心力が弱く、これが決定的な欠点だろう。だからクライマックスのロボット同士の市街戦は技術に感心こそすれ、それほど面白くはない。結局のところ、アメリカ映画もまた大ヒットするのは家族向け映画であり、この映画もそんな中の一本と言える。

 カタールのアメリカ軍基地から始まる序盤は快調である。墜落したはずのヘリコプターが基地に近づいたかと思うと、ヘリはロボットに変形(トランスフォーム)し、基地を壊滅させる。ロボットへの変形シーンがこの映画の見どころの一つでこのCGは確かに凄い。舞台はアメリカに移り、主人公のサム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)が中古車を買う場面。父親とともに中古車屋を訪れたサムは他の車がなぜかすべて壊れたことで黄色いカマロを買うことにする。ボロボロのカマロだったが、これが実は金属生命体であることがやがて分かる。サムの曾祖父は南極で何かを発見し、気が触れたことになっている。サムはその遺品をネットオークションに出していたが、実はその遺品を巡って宇宙から来た善と悪の金属生命体が争奪戦を繰り広げていたのだ。カマロはバンブルビーという名前の金属生命体で、サムの護衛の役を与えられていた。こうして善と悪のロボットたちが地球を舞台に戦いを繰り広げることになる。

 巨大ロボットアニメはよく「ロボットプロレス」とバカにされることがあるが、それと同じ次元のストーリーではどんなにCG技術が優れていても、引き込まれるはずがない。見ていてガンダムやエヴァンゲリオンのようなストーリー性、物語の奥行きが欲しくなってくる。単純な物語をCGで見せているだけの作品に終わったのはかえすがえすも残念だ。この内容で2時間25分は長すぎると思う。

 パンフレットとキネマ旬報8月下旬号でマイケル・ベイはILMの日本人クリエイター、ケイジ・ヤマグチ(山口圭二)を絶賛している。ちょっと引用しておこう。「面白い話がある。オプティマス・プライムのデザインをチェックするミーティングで、隅っこに座っていたILMの日本人クリエイター、ケイジ・ヤマグチが突然立ち上がり『このデザインは日本人への侮辱だ! 僕がオプティマス・プライムを直す!』と叫んだんだ。ケイジはルービック・キューブのような変身シーンを可能にした影の功労者。フレームを止めてみると、パーツがくっついたり変形したりと、その複雑さに驚くばかりだったよ」(キネ旬8月下旬号)。製作が決まった第2作ではこの素晴らしい変形シーンに負けない物語にしてほしいものだ。

 主演のシャイア・ラブーフは決してハンサムではなく普通の少年っぽいところがいい。主人公が思いを寄せるミカエラ・ベインズ役のミーガン・フォックスもちょっと色っぽくて良かった。