2005/04/30(土)発熱

 昨夜から熱が出た。昨夜は38.3度、今朝は37.3度、現在は38.2度。夜になると熱が上がるのは子供みたいだな。

ウイルスパターンファイルの問題に関するお客様への対応について

 トレンドマイクロからメール。既に契約期間を1カ月延長したとのこと。ただし、自分で復旧した場合に3カ月延長するには電話しなくてはいけないようだ。面倒だな。

宮崎に待望のシネマコンプレックス

 宮崎セントラルシネマ。5月17日にオープンする。ポイントカード会員というのがあって、入会金1000円で入会すると、映画料金が1500円になるとのこと。

 同じく会員制がある宮崎キネマ館の場合は年会費3000円で料金が1200円になる。セントラルのシステムがいいのは永久会員で以後、会費を払う必要がないことか。ポイント(料金の10%がポイントになる)が1200ポイントになると、招待券1枚。ということは8回行くと招待券がもらえる。キネマ館の場合は10回で招待券1枚。ま、キネマ館の場合、パンフレットの100円引きというのもあるから、どちらが得かは一概には言えないところ。

 映画をよく見る観客へのサービスは歓迎すべきことで、とりあえずセントラルでも会員になっておいて損はないようだ。

2005/04/29(金)「海を飛ぶ夢」

 「海を飛ぶ夢」パンフレット東京で見たのはこの映画。「女性の日」だったので、上映開始20分前に行ったら、シャンテシネには既にオバサマたちの長い行列があった。

 「あなたがテレビで言ったことを忘れない。ラモンが家族の愛に恵まれていないですって! 私は28年間、ラモンの世話をして自分の息子のように思っているわ」。

 首から下が麻痺した主人公ラモンの義姉マヌエラが同じ障害を持つ神父に怒りをぶつける。自分の人生に尊厳はなかったとして死を望むラモンは支援者とともに裁判で尊厳死の法制化を訴えた。神父はテレビのインタビューでそれに対するコメントをして、話し合うためにラモンの家にやってきたのだ。この映画が巧みなのは決して裁判をメインに持ってこず、ラモンの家族や友人たちの描写を丹念に積み重ねることで尊厳死の問題を自然に浮かび上がらせていることである。「アザーズ」の時にも思ったが、アレハンドロ・アメナーバルは描写がうまい。主人公が夢の中で空を飛ぶシーンなどにもそれは発揮されている(このシーンの飛翔感、浮遊感はとても印象的なので、邦題にした理由もうなづける)。細部の描写に説得力があるためにテーマも深化する。アメナーバルが言うようにこれは家族愛や男女の愛などさまざまな愛を描いたラブストーリーとして成立している。語りたいテーマをどう語ればいいのかよく分かっているからこうした巧みな映画になるのだと思う。

 今年のアカデミー外国語映画賞受賞。実話を基にした映画なのだという。船乗りだったラモン・サンペドロ(ハビエル・バルデム)は25歳の夏に海に飛び込んで首の骨を折り、首から下が麻痺してしまう。以来、ベッドに寝たきりとなった。家族はそのラモンを献身的に支える。兄のホセ(セルソ・ブガーリョ)、その妻マヌエラ(マベル・リベラ)、息子のハビ(タマル・ノバス)、老いた父親ホアキン(ホアン・ダルマウ)の4人。農場と小さな菜園が一家の収入源である。寝返りを打つのにも家族の手を借りなければならないラモンは自分に尊厳はなく、生きる義務を負わされていると感じて、死ぬ権利を要求する。

 個人的には人間、放っておいても死ぬのだからそれを早めることはないじゃないかと思うが、義務と感じるほどラモンにとって生きることはつらいことなのである。四肢麻痺の患者すべてに尊厳がないということか。そうではない、とラモン自身も否定する。四肢麻痺の神父はそれを例証する存在でもある。愛に恵まれたラモンのような存在であっても、死にたいと思うことはある。自分一人の力では自殺できない人間は死ぬために他人の力を借りなければならない。しかし、死を手助けした人間は犯罪に問われる。その現状を変えろ、死ぬ自由を与えろというのが映画のシンプルな主張である。

 ただし、映画に感動するのは献身的にラモンの介護をするマヌエラの姿であり、自身も痴呆の病気を持つ弁護士フリア(ベレン・エルダ)であり、ラモンに好意を寄せるロサ(ロラ・ドゥエニャス)であり、ラモンの主張を理解して手助けするジェネ(クララ・セグラ)たちの姿である。ラモンを死なせたくない兄、ラモンの言うことに従う甥のハビ、なすすべもなく見守る年老いた父親など、それぞれの描写に豊かな情感が込められる。それが大上段にテーマを振りかざすような幼稚な映画になることを免れた理由だろう。死にに行くラモンの乗った車を見送っていたハビが思わず追いかけて走り出すシーンはそうした登場人物たちのしっかりとした描写に支えられていっそう感動的になる。

 アメナーバルはテーマ主義の監督では決してなく、描写主義の人なのだと思う。そしてその姿勢は優れた映画監督に欠かせない条件なのである。36歳のハビエル・ハルデムが詳細なメイクで50代のラモンを演じている。メイクだけでなくその演技の充実には驚嘆せざるを得ない。

2005/04/27(水) 東京出張

 いつものように三井アーバンホテル銀座に泊まる。昨年泊まった時、部屋のパソコンはWindows98だったが、XPに代わっていた。ホテルのサービスもよくなったみたい。冷蔵庫の飲み物も値下げしてあった。ホテル業界も厳しいのでしょうね。バイキングの朝食を食べていたら、コロッケやパンやチマキを持ってきて勧められる。おいしくいただくが、二日酔い気味なのであまり食欲がない。

 昨夜は今春、東京に異動した知人と新橋の飲み屋を3軒回った。ビール、日本酒、紹興酒、ウイスキー。ちょっと飲みすぎか。

ビッグバード

 日比谷で映画を見た後、モノレールで羽田空港へ。考えてみたら、新しくなってから今回が初めての利用だった。第2ターミナルは凄く大きいですね。きのうは到着後、延々と歩いて疲れました。

 4階のレストラン街にあった「かつ玄」でロースかつ膳をいただく。1700円。高いのか安いのかよく分からないが、普通のロースカツに小鉢とシジミの赤だしが付く。肝臓にいいなあと思いつつ、シジミを食べる。トンカツの方はまあ普通でしょう。

 搭乗待合室の中は店が少ない。ま、頼まれていた「東京ばな奈」と「ミルフィーユ」はあったのでいいか。

 飛行機の時間まで暇だったので、野尻抱介「太陽の簒奪者」(ハヤカワ文庫)を読む。ファーストコンタクトもののハードSFで2002年の星雲賞を受賞した。まだ読み終わっていないが、面白いなあ。知的好奇心を追求するヒロインの設定は伝統的なSFに沿ったものだと思う。SFらしいSFを読んでいる感じがする。

2005/04/25(月)「インファナル・アフェアIII 終極無間」

 「インファナル・アフェアIII 終極無間」パンフレット善か悪かの狭間の無間地獄に堕ちた男たちを描いた映画にふさわしい決着の付け方だとは思うものの、3部作の締めくくりには決定的に物足りない思いが残る。これが1作だけの話ならこういうラストもありなのだが、3部作として見ると、アンディ・ラウの運命はあまりにも小さいレベルでの話に終わった印象がある。この決着のつけ方を有効にするために中盤、精神科医のケリー・チャンの存在が大きくなってくる。しかしケリー・チャン、ヒロインとしては前作のカリーナ・ラウの足下にも及ばない。美人ではあっても演技の質が軽すぎるのだ。トニー・レオンとの絡みのユーモアなどこのシリーズの雰囲気とはかけ離れたものだろう。2作目が面白かったのはヤクザ映画、ギャング映画の側面が強調されて裏切りに次ぐ裏切りが展開されたからで、大変密度の濃い話をうまくまとめていた。今回は1作目のつながりと過去の回想を展開して新しい側面も見せるのだけれど、結局、1作目のその後の話であり、落ち穂拾いにしかならなかった。当初から3部作の構想があったという割には不満の残る出来である。2作目がいかに素晴らしい出来だったかをあらためて痛感した。

 潜入捜査官ヤン(トニー・レオン)の殉職6カ月前と10カ月後の話が複雑に絡み合って映画は進行する。時間軸を動かす脚本・演出は凝っているが、技術的なうまさを感じるほどではない。マフィアに内通したラウ(アンディ・ラウ)はヤンの殉職後、一時的に庶務課に左遷させられる。善人になりたいと願うラウは警察内部にいる潜入マフィアを始末してきた。保安部のヨン警視(レオン・ライ)にもどこか不審な点があった。疑いが晴れて内務調査課に異動したラウはヨンの身辺を探り始める。ヨンは密かに中国本土のマフィアであるシェン(チェン・ダオミン)と接近していた。シェンはヤンの殉職前にマフィアのボス、サム(エリック・ツァン)と取引関係にあり、ラウはヨンが潜入マフィアではないかという疑いを強くする。ラウは同時に精神科医のリー(ケリー・チャン)に近づき、ヤンのカルテを手に入れようとする。

 と、ストーリーを書いていってもなかなかこの映画の面白い部分は伝わらないだろう。複雑な人間関係が織りなす群像劇や、登場人物の皮肉で奥深い苦悩が浮き彫りにされていくところにこのシリーズの面白さはある。今回、苦悩を一身に背負っているのはラウで、サムの組織が壊滅したことでラウは善人になろうという思いを強くする。元々、組織に入ったのもサムの妻マリー(カリーナ・ラウ)に恋したからだった。そのマリーも死に、ラウにはマフィアの内通者であることの理由はなくなっている。そして最後まで警察官として生きたヤンの存在に強く惹かれることになる。ここを強調していくと、こういうヒッチコックを思わせるような結末になるのだろう。ただ、アンディ・ラウは主人公としては個人的に弱く感じる。

 2作目はエリック・ツァンやヤンを助ける警部役のアンソニー・ウォンらベテラン俳優たちの演技が光っていた。今回もこうしたベテランは登場するけれど、映画の中心にいるのはラウであり、群像劇の面白さは薄れてしまった。その代わりに新しく登場したレオン・ライとチェン・ダオミンの存在が光っている。この2人の演技が今回の数少ない収穫と言えようか。