2024/10/31(木)ソニーのサポート
ところが、購入から2日たってもキーが送られてきません。前回はその日のうちに届いたのに。これは担当者が見落としたんだろうと思って、サポートにメールしました。夕方、サポートから電話があり、「以前も購入されてますが?」「はい、パソコンが代わったもので」「それなら、以前のキーで使えますよ」とのこと。なーんだ。
それは一瞬考えたんですよね、購入してしまった後で。以前のライセンスキーが書かれたメールが残っていたので、それを登録してめでたく正式版になりました。それにしても、ソニー、対応がフェアだと思う一方で、こちらから問い合わせしなかったら、いったいどうなっていたんだろうと思ってしまいます。代金は既にカード会社に引き落とされてましたから。
2024/10/27(日)「八犬伝」ほか(10月第4週のレビュー)
オリジナルの方を見ていなかったので先日、配信で見ました。胸騒ぎと悪い予感しかない状況にもかかわらず、主人公一家が逃げられない展開には息苦しさとじれったさを感じるばかり。その後に来るのは予想以上の最悪の結末。僕だったら、死に物狂いで抵抗するけどなあ。リメイクはこのラストを改変しなかったんでしょうかね? 改変してカタルシスを描いた方が一般映画ファンの評価は高くなるかも、と思う一方で、改変したから評価が低いのかもしれない、とも思います。
「八犬伝」
「南総里見八犬伝」の物語と、原作者である曲亭馬琴の執筆の姿を描いた山田風太郎原作の映画化。前半は「八犬伝」の物語だけで良かったんじゃないかと思い、後半は馬琴の晩年、息子の嫁のお路(みち)の助けを借りて口述筆記で作品を完成する姿だけで良かったんじゃないかと思いました。いずれにしても、2つの物語(虚の世界と実の世界)が相乗効果を上げているわけではなく、物足りなさを感じる結果になっています。僕らの世代で「八犬伝」と言えば、角川映画の「里見八犬伝」(1983年、深作欣二監督)よりもNHK連続人形劇「新八犬伝」(1973年4月~1975年3月、全464話)の印象が強く、珠(たま)に浮かび上がる「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字と意味はこの人形劇で覚えましたし、伏姫や犬塚信乃、「玉梓(たまずさ)が怨霊」などの登場人物は強く印象に残りました(人形デザインは辻村ジュサブロー)。1回15分の番組だったとはいえ、464話も描けるほどの物語を約2時間半の映画のそのまた半分ぐらいの八犬伝パートだけで描くのには無理があり、VFX場面をつないだ駆け足のダイジェストにならざるを得ません。
一方の馬琴パート。馬琴を演じるのは役所広司、馬琴宅に遊びに来て「八犬伝」の物語を聞く葛飾北斎に内野聖陽、馬琴の愚痴っぽい妻に寺島しのぶ、馬琴の息子に磯村勇斗、その妻お路に黒木華というキャスティングです。このパートの出来が良いのは役者陣の好演もさることながら、正義を信じて勧善懲悪の物語を志向した馬琴の姿勢に共感できるからです。それを助けるお路は平仮名しか読み書きができませんでしたが、馬琴から分からない漢字を「分かりません。申し訳ありません」と言いながら一文字ずつ教わることで物語を書き、その完成に奇跡的な役割を果たします。
映画では後半からしか登場しないお路の話をもっと見たいと思えるほどこのパートは良いです。映画は虚の世界と実の世界を交互に綴る原作の構成を踏襲してはいるのですが、時間的に十分に描けるはずのない「八犬伝」のパートは全体の1、2割にして馬琴とお路の話にもっと時間を割いた方が良かったのではないかと思います。「ピンポン」(2002年)、「鋼の錬金術師」(2017年)の曽利文彦監督だけにVFXで「八犬伝」を描きたい思いが強かったのかもしれません。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午後)2時間29分。
「まる」
何気なく描いた○(まる)が現代美術の傑作として世間の大評判を呼ぶという物語。予告編で見て想像していたよりずっと良い出来でした。荻上直子監督は社会の貧困、格差、差別、悪意、妬みなどを盛り込んで物語を構成していて、現代社会を批判した一種の寓話となっています。現代美術家のアシスタントとして働く沢田(堂本剛)は言われたことを淡々とこなす日々。通勤途中に事故に遭い、腕に怪我をしたことから職を失ってしまう。沢田は部屋にいた蟻を囲むようにして描いた○(まる)の絵を買い取ってもらうが、その絵は沢田が知らない間にSNSで拡散され、海外でも高く評価される社会現象となる。
沢田がアルバイトしているコンビニの同僚ミャンマー人(森崎ウィン)の片言の日本語を嘲笑う客や、沢田を見下すかつての同級生(おいでやす小田)はマウントを取りたがる本当に下らない人間たちです。沢田のアパートの隣室に住む漫画家志望の横山(綾野剛)も自分を認めない社会に対して鬱屈した思いを抱えています。それに対して沢田は飄々としたキャラ。自分の絵が売れたことに驚いてはいますが、天狗になることもなく、傍観者的な振る舞いに終始しています。
映画を見る前は堂本剛の主役起用に少し疑問も感じましたが、この役は堂本剛の雰囲気に実によく合っていました。力をこめるわけでもなく、「成功しなかったら、自分が好きなことを諦めなくちゃいけないんでしょうか」とさりげなく言うキャラとして無理がありません。荻上監督は堂本剛について「能動的ではない受け身の主人公を堂本さんが演じたら、それも新たな要素になりそうな気がした」と起用の理由を語っています。
▼観客4人(公開6日目の午後)1時間57分。
「2度目のはなればなれ」
実話を基にしたイギリス映画。91歳のマイケル・ケインの俳優引退作であり、昨年6月に亡くなったグレンダ・ジャクソン(享年87)の遺作となりました。2人の共演は約50年ぶりと、公式サイトにありますが、何の映画かタイトルが書いてありません(この公式サイトは情報量がまったく不足しています。パンフレットも作っていないし、不遇な扱いですね)。調べたら「愛と哀しみのエリザベス」(1975年、ジョセフ・ロージー監督)という作品で、日本では劇場未公開(ビデオスルー)でした。2014年夏、90歳のバーナード(ケイン)とレネ(ジャクソン)の夫婦は老人ホームで暮らしている。ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)に参加したバーナードはDデイ70周年式典に行きたかったが、ツアー参加申し込みに間に合わなかった。病弱なレネをホームに置いて自分だけ申し込むわけにはいかなかったからだ。レネから「行ってきて」と言われたバーナードはホームの職員には黙ってノルマンディーへの旅に出る。施設では行方不明になったと大騒ぎになる。
原題は“The Great Escaper”(大脱走者)。ホームから“脱走”したバーナードを警察がツイートで“#The Great Escaper”とハッシュタグを付けたほか、新聞社も見出しにしたことに由来しています。バーナードはDデイで戦友の死を間近で見てトラウマを抱えていました。ノルマンディーに行く途中で知り合ったアーサー(ジョン・スタンディング)もまたバーナード以上の痛みを抱えています。映画は70年たっても戦争体験に苦しむ2人を描くことで静かな反戦映画となっていて、名優ケインの最後の作品として恥ずかしくない出来だと思います。監督は「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」(2011年)などのオリヴァー・パーカー。
マイケル・ケインは主演・助演・脇役を含めて大変多くのさまざまな映画に出ている人ですが、僕はジャック・ヒギンズの傑作冒険小説を映画化した「鷲は舞い降りた」(1976年、ジョン・スタージェス監督)で演じた主人公クルト・シュタイナ役が好きでした。この映画にはジョン・スタンディングも神父役で出ていたそうです。
IMDb7.0、メタスコア68点、ロッテントマト89%。
▼観客11人(公開初日の午前)1時間37分。
「パリのちいさなオーケストラ」
パリ郊外に住むアルジェリア系の少女がオーケストラの指揮者になる夢を実現した実話の映画化。世界で女性指揮者の割合は6%、フランスは4%だそうです。女性指揮者が少ない理由について調べてみましたが、体力・能力面での決定的な要因は見当たらず、クラシック業界にある女性への偏見と蔑視が大きな要因になっているのではないかと思います。ガラスの天井が厚いのでしょう。主人公のザイア(ウーヤラ・アマムラ)はこれに移民というハンディが加わります。双子の妹フェットゥマ(リナ・エル・アラビ)とともにパリ市内の名門音楽院に編入したザイアは指揮者を志すようになります。しかしザイアが指揮台に立っても最初は演奏者が言うことを聞きません。ザイアが数々の困難と障害を乗り越えて夢を実現する過程はオーケストラの音楽が次第に形になっていく過程と符合していて、手堅くまとまった作品になっています。脚本・監督は「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(2014年)のマリー・カスティーユ・マンシヨン・シャール。
IMDb6.9、ロッテントマト100%(アメリカでは未公開)。
▼観客12人(公開5日目の午後)1時間54分。
2024/10/23(水)デスクトップPCのボタン電池交換
注文した後で、もしかしたらと思い、マザーボードのボタン電池を替えてみました。以前はよくパソコンのガワを開けてHDDの増設などしていましたが、今のPCでは3カ月ほど前に開けたのが初めて。たぶん汚れているだろうと思ったら、やっぱり内部は大量のホコリまみれでした。ガワを開けるのはその時、きれいに掃除して以来2度目。ボタン電池はCR2032で、幸い買い置きがありました(ダイソーで2個110円)。マウスコンピューターのサイトにはボタン電池交換の説明があります。
ところが、電源を入れてもすぐに落ちます。やっぱりダメかと思いましたが、何度か繰り返しているうちに正常に起動するようになりました。ホッ。電池を交換した時にはBIOSの設定をしなくてはいけないそうです。それをやらなかったのが敗因ですね。ボタン電池の寿命は3年から5年とのこと。そう言えば、ここ1、2年、パソコンの時刻が遅れるなと思ってました。電池が切れる前兆だったわけです。気をつけておきましょう。
それにしても、新しいパソコンの注文は早まったかな。まあ、いいですけど。
2024/10/20(日)「ぼくのお日さま」ほか(10月第3週のレビュー)
しかも、販売サイトになかなかつながりません。つながった時には既に完売だったのが1本ありました。コンペティションに出品されている中国映画「チャオ・イェンの思い」で、僕は知りませんでしたが、主演女優のチャオ・リーインが人気なんだそうです。他の中国映画も人気で、日本在住の中国人が多く買ってるんじゃないでしょうか。
チケット販売サイトはパソコンよりもスマホの方がつながりやすく感じました。個人的に大本命の3DCGアニメ「野生の島のロズ」と吉田大八監督の「敵」(筒井康隆原作)が取れたので良かったです。
「ぼくのお日さま」
パンフレットに登場人物の自己紹介文があり、荒川(池松壮亮)の紹介に「1969年2月27日生まれの31才です」とあって、えっと思いました。この映画、2000年の話だったのか。だから荒川の車はボルボ240エステートだったのか…。Wikipediaによると、ボルボ240は1974年から1993年まで生産された車。荒川はクラシックな車に乗ってるなあと思ったんですが、時代が2000年ならまだ普通に走っていたでしょう。ドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」で主人公一家が乗っていたのもこの車でした(NHKなのでドラマの中ではボルド。実際の岸田家はもっと新しいボルボだったようです)
雪が降り始めてからとけるまでの、つまり一冬のかわいくて苦い恋の物語。商業映画デビューの奥山大史監督は前作「僕はイエス様が嫌い」(2019年)と同じスタンダードサイズの画面で淡い恋心を綴っています。
主人公のタクヤ(越山敬達)は少し吃音がある12歳。ある日、ドビュッシーの「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくら(中西希亜良)の姿に心を奪われる。元フィギュアスケート選手でさくらのコーチをしている荒川(池松壮亮)はホッケー靴のままフィギュアのステップを真似て何度も転ぶタクヤを見つける。荒川はスケート靴をタクヤに貸し、練習につきあう。そしてタクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始める。
タクヤは1歳年上のさくらが好きで、さくらは荒川に恋していて、荒川は五十嵐(若葉竜也)と同棲しているという関係。アイスダンス大会への練習は順調だったんですが、ふとしたことで、さくらの荒川への思いは壊れ、アイスダンスの練習も終わってしまいます。奥山監督は吃音の少年を歌ったハンバート ハンバートの「ぼくのお日さま」をモチーフに物語を作っていったそうです。
良い話ですが、おじさんには少し幼すぎるかなあ。さくらのLGBTQへの無理解な発言がそのままになっているのも少し気になりました。池松壮亮は氷の上に立ったこともなかったそうですが、半年間の練習でコーチ役として不自然ではない滑りを見せています。さすがです。
▼観客9人(公開初日の午後)1時間30分。
「破墓 パミョ」
冒頭、飛行機の中で客室乗務員から日本語で話しかけられたファリム(キム・ゴウン)が「日本人じゃありません」と流ちょうな日本語で返すシーンがあります。これはクライマックス、日本語でしゃべる必要のある場面への伏線。日本の化け物が出てくるからです。ファリムは韓国シャーマニズムの代表的存在である巫堂(ムーダン)で、風水師のサンドク(チェ・ミンシク)、喪儀師ヨングン(ユ・ヘジン)ファリムの弟子の巫堂ボンギル(イ・ドヒョン)とともに霊的な事件の解決に当たっているという設定。代々跡継ぎが謎の病気にかかっている家族から破格の報酬で依頼を受けたファリムとボンギルは原因が先祖の墓にあると気付く。不吉な山の上にある墓を暴くため、サンドクとヨングンも合流し、4人はお祓いと改葬を同時に行う。墓を掘り返していくうちに不可解な出来事に巻き込まれる。
棺の蓋を開けたために、霊魂が飛び出し、なんとかそれを退治するわけですが、墓の下にはもう一つの巨大な棺が埋まっていた、という展開。土着宗教絡みの話が「哭声 コクソン」(2016年、ナ・ホンジン監督)、シャーマン姉妹が出てくる点で「来る」(2018年、中島哲也監督)を思い起こさせました。この4人のチーム、なかなか良くて、シリーズ化してもいいんじゃないかなと思いました。映画はクライマックスが少し長い(この長さならもう一つ要素がほしい)のが難点ですが、僕は好きなタイプの映画です。
チャン・ジェヒョン監督は「プリースト 悪魔を葬る者」(2015年)などオカルティックな題材が好きなようで、前作「サバハ」(2019年)はNetflixで配信されています。
IMDb6.9、メタスコア80点、ロッテントマト93%。
▼観客11人(公開初日の午前)2時間14分。
「ポライト・ソサエティ」
英国ワーキングタイトル製作の青春アクション。という内容は事前には知らず、インドかどこかの女性差別を盛り込んだ話と思ってました。監督のニダ・マンズールはパキスタン系イギリス人なので、主人公の一家もパキスタン系なのでしょう。スタントウーマンを目指す女子高生リア・カーン(プリヤ・カンサラ)はカンフーの修行に励んでいるが、学校では変わり者扱い。親からも堅実な仕事に就くようにと説教される。リアの唯一の理解者である姉リーナ(リトゥ・アリヤ)がある日、富豪の息子でプレイボーイのサリム(アクシャイ・カンナ)と恋に落ち、結婚することに。リアは彼の一族に不審な点を感じ、調べると、結婚の裏にはとんでもない陰謀が隠されていた。
その陰謀というのがSFチックでリアリティーに欠けます。プリヤ・カンサラのアクションは悪くありませんが、ハードなものではなく、全体的に高校生向けを意識した作りと思えました。なぜか浅川マキの「ちっちゃな時から」(1970年)が流れます。
IMDb6.7、メタスコア75点、ロッテントマト91%。
▼観客6人(公開14日目の午後)1時間44分。
「若き見知らぬ者たち」
なんだこれ、と思うようなストーリー展開で、唖然としました。傷害の3人放置、事件を隠蔽した警官放置…。それでいったい何が言いたいのか判然としません。社会への怒り? 警察への怒り? 不幸な主人公への憐憫? この焦点ボケボケの脚本では磯村勇斗や岸井ゆきのや染谷将太や霧島かれんや滝藤賢一がいくら熱演しても映画が成功することはあり得ません。プロデューサーは脚本にノーと言うべきでした。風間彩人(磯村勇斗)は死んだ父(豊原功補)の借金返済の傍ら、家の内外で迷惑な行動を繰り返す病気の母(霧島れいか)の面倒を見ている。昼は工事現場、夜は両親が開いたカラオケバーで働く。彩人の弟・壮平(福山翔大)も借金返済と介護を担いながら総合格闘技の選手として練習に打ち込んでいる。彩人には恋人の日向(岸井ゆきの)がいるが、結婚への展望は開けない。親友の大和(染谷将太)の結婚を祝う夜、彩人を思いもよらない暴力が襲う。
脚本・監督は快作「佐々木、イン、マイマイン」(2020年)の内山拓也。本作は内山監督の知人に起きた事件を基にしているそうです。予告編と映画のコピー「何が彼を殺したのか」でネタを割ってますが、主人公の理不尽な死に焦点を絞って脚本化した方が良かったでしょう。その後に延々と続く弟の格闘技シーンは不要です。同じ画面の中で回想に移る手法など映画の技法に凝る前に、脚本の完成度を高めるのが先でした。
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間59分。
2024/10/13(日)「室井慎次 敗れざる者」ほか(10月第2週のレビュー)
できるオーラを発散させているのに実は無能な鷹野ツメ子(菜々緒)が主人公のコメディー「無能の鷹」(テレ朝)がおかしかったので脚本家を確認したら、根本ノンジでした。これも漫画原作です。根本ノンジ、原作のあるドラマの脚本は20作以上書いているようです。脚色がうまい人なんでしょうか。
と思って、「無能の鷹」のKindle版1巻(例によってamazonで期間限定無料)を読んだら、ドラマはかなり脚色していることが分かりました。第1話はオリジナルの部分が半分以上を占めた感じで、追加したエピソードはどれもおかしくて良いです。コメディーの脚色に真価を発揮する人なのでしょう。いっそのこと、朝ドラもコメディーにしちゃえばいいんじゃないですかね。
「室井慎次 敗れざる者」
「踊る大捜査線」シリーズの室井慎次管理官を主人公とする劇場版。11月15日公開の「室井慎次 生き続ける者」と前後編の関係にあり、本作で起きた事件の解決は後編に持ち越されます。定年前に警察を退職した室井(柳葉敏郎)は故郷秋田の田舎で里子の2人、高校生の貴仁(齋藤潤)と小学生の凜久(前山くうが・こうが)と穏やかに暮らしていたが、家の近くで埋められた死体が発見される。死体は男で、かつてのレインボーブリッジ封鎖(できなかった)事件の犯人グループの1人だった。そんな時、室井の前に1人の少女が現れる。その少女、日向杏(福本莉子)は猟奇殺人犯・日向真奈美(小泉今日子)の娘であることが分かる。杏は室井の家で一緒に暮らすことになるが、悪意のこもった不審な言動をして仲の良かった3人の間に波紋を引き起こす。
というわけで、劇場版1作目と2作目の事件が関係してくる展開です。このほか、湾岸署の警官だった甲本雅裕、遠山俊也、管理官で今は秋田県警本部長の筧利夫らが出演。回想場面で織田裕二、深津絵里、ユースケサンタマリア、真矢ミキも出てきます。ドラマとこれまでの劇場版を参照したセリフ・場面もありますが、ほとんどはエンドクレジットの映像で説明されていて、これまでのシリーズを見ていなくても大きな支障はありません。
君塚良一脚本らしいなと思うのは母親(佐々木希)を殺された貴仁が弁護士(生駒里奈)の要請で犯人と面会する場面。弁護士は裁判での情状酌量を目当てに事件を反省する犯人の手紙を貴仁に送らせ、面会にこぎつけたのですが、実際には反省のかけらも見られない犯人を目にした貴仁は室井に影響された正義感あふれる言葉を犯人に投げつけます。
貴仁、凜久、杏はいずれも犯罪被害者・加害者の家族。この設定は君塚良一監督・脚本の「誰も守ってくれない」(2009年)のテーマと通底しています。「被害者も加害者も、残された者の思いは一緒かもしれない。それまで一緒に暮らしていた者を失うってことでは」というセリフが「誰も守ってくれない」の中にありました。こう話したペンション経営者は息子を殺されていて、それを柳葉敏郎が演じていました。
続きをどうしても見たくなるクリフハンガー的なラストではありませんが、君塚良一の脚本は好きなので、次も見たいと思います。監督は「踊る」シリーズのほとんどを担当している本広克行。
▼観客多数(公開初日の午前)1時間55分。
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
「バットマン」シリーズの悪役ジョーカーをシリアスに描いて高い評価を得た「ジョーカー」(2019年)の続編。前作でジョーカーことアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は格差社会への怒りを背景に民衆のヒーローとなりました。監督のトッド・フィリップスは本作でそれをぶち壊しています。低評価の一因はその筋立てにもあるのでしょうが、語り方としてもあまりうまくないと思えました。「フォリ・ア・ドゥ」は二人狂い=感応精神病のこと。公式サイトには「妄想を持った人物Aと、親密な結びつきをのある人物Bが、あまり外界から影響を受けずに共に過ごすことで、AからBへ、もしくはそれ以上の複数の人々へと妄想が感染、その妄想が共有されること」とあります。
前作の最後でアーカム州立病院に収容されたアーサーはジョーカーを信奉するリー(レディー・ガガ)と出会い、2人は愛し合うようになる。周囲から理解されず、孤独だったアーサーにとっては初めての恋人。アーサーは妄想の中でリーと一緒に歌い、踊る。病院内で、そして自身の裁判が行われる法廷で。
面会室の場面でレディー・ガガが歌う「遙かなる影」“(They Long To Be) Close To You ”が良いです。ガガの歌声には1970年に歌ったカレン・カーペンターに劣らない魅力があります。
しかし、この映画、ミュージカルにする必要があったとは思えません。「ジョーカーはいない」と裁判の最終弁論で唐突に言うアーサーの心の変化をもっと詳細に描いた方が良かったでしょう。
「二人狂い」のタイトルとは裏腹に、これはジョーカーが正気のアーサーに戻る物語であり、狂気の伝染・拡大を常識的に止める物語。その過程に説得力がないことが低評価の要因だと思います、
IMDb5.3、メタスコア45点、ロッテントマト33%。
▼観客7人(公開初日の午後)2時間18分。
「ナミビアの砂漠」
カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した山中瑶子監督作品。男女の間には深い溝があるなあと思わざるを得ない映画で、主人公カナ(河合優実)の行動が僕にはよく理解できません。女性は共感を持つ場合が多いようなので、深い溝を感じた次第。カナは美容脱毛サロンに勤める21歳。同棲相手のホンダ(寛一郎)がいますが、今はハヤシ(金子大地)とも付き合っています。ホンダはカナのために食事を用意し、経済的にも援助しています。しかし、北海道出張から帰ってきたホンダは先輩の誘いで風俗に行ってしまったと告白。カナはこれ幸いと、ホンダがいない間にアパートを出て、ハヤシのアパートで暮らし始めます。
優しく保護してくれるホンダの方が良い男のように思えますが、保護と支配は紙一重。言いたいことを言えて、喧嘩で殴ったり蹴ったりできるハヤシとの関係の方が対等になれるのかもしれません。ところが、対等どころか、「仕事やめていい?」と聞くカナにはあきれます。今は家事もほとんどしていないようでアパートは散らかり放題ですが、仕事をやめれば改善されるんですかね? 身近にいると限りなく腹が立つ、自己中心的タイプと思えました。
ただ、そういう理解できない女を演じても河合優実は良いです。「あんのこと」(入江悠監督)に続く今年2本目の主演作ですが、多くの監督から引っ張りだこなのはルックスも演技もそれほどの実力を備えているからでしょう。今後も主演作を見るのが楽しみです。
風俗に行ったことを平謝りするホンダを見て連想したのは「結婚しない女」(1977年、ポール・マザースキー監督)で1年前からの不倫を泣きながら告白する夫を冷めた目線で見るジル・クレイバーグのこと。当時、「ジュリア」や「グッバイガール」「ミスター・グッドバーを探して」など自立する女性を主人公にした女性映画のくくりがありましたが、思えば、当時の作品はどれも男性監督の映画でした。男性目線のフィルターが入っているので、男にも理解しやすかったのでしょう。
▼観客7人(公開5日目の午後)2時間17分。
「ランサム 非公式作戦」
レバノンで拉致された韓国人外交官の実話を基にしたアクション。救出の詳細を韓国政府が明らかにしていないので、物語のほとんどはフィクションでしょう。前半は普通の出来、後半はとても面白く見ました。外交官が拉致されたのは1986年1月。それから1年半後に生きていることが分かり、身代金500万ドルを払うため外交官のイ・ミンジュン(ハ・ジョンウ)がレバノンに派遣されます。ミンジュンは現地で知り合った韓国人タクシードライバーのキム・パンス(チュ・ジフン)の協力を得て、半金の250万ドルを支払いますが、韓国政府が残りの250万ドルを払うのを渋ったため、救出した外交官と3人でレバノンを自力で脱出する羽目になります。
監督は「最後まで行く」(2014年)のキム・ソンフン。手堅い演出で、アクションシーンだけでなく、クライマックスの空港のシーンなどは感動的に盛り上げています。
IMDb6.6、ロッテントマト90%(アメリカでは限定公開)。
▼観客7人(公開7日目の午後)2時間13分。
「ふれる。」
ある島に伝わる不思議な生き物“ふれる”を通じて親友になった男3人を描くアニメーション。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2013年)「心が叫びたがってるんだ。」(2015年)の長井龍雪監督作品で、脚本は岡田麿里。ふれるには触れ合うと、お互いの考えていることが分かる能力があり、そのことで3人は親友になるわけですが、ふれるの本当の能力は実は、ということが終盤に分かります。
東京での男3人の共同生活に女性2人が加わったことで、3人の関係に変化が生まれるドラマが良いです。これは実写でもOKな話ではと思ってしまいますが、クライマックスにはスペクタクルなシーンがあります。ただ、これはなくても良いシーンじゃないですかね。それまでのドラマが充実しているだけにそう思えました。
▼観客11人(公開6日目の午後)1時間47分。