2024/10/27(日)「八犬伝」ほか(10月第4週のレビュー)

 今年前半に公開されて「胸くそホラー」と話題になった「胸騒ぎ」(2022年、デンマーク=オランダ合作、クリスチャン・タフドルップ監督)のハリウッド版リメイク「スピーク・ノー・イーブル 異常な家族」が12月に公開予定です。オリジナルはメタスコア78点とまずまず高めの評価でした。リメイク版は66点と振るいません。監督のジェームズ・ワトキンスは「ディセント2」(2009年)や「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」(2012年)などB級ホラーの監督なのでまあ、そうだろうなと思います。

 オリジナルの方を見ていなかったので先日、配信で見ました。胸騒ぎと悪い予感しかない状況にもかかわらず、主人公一家が逃げられない展開には息苦しさとじれったさを感じるばかり。その後に来るのは予想以上の最悪の結末。僕だったら、死に物狂いで抵抗するけどなあ。リメイクはこのラストを改変しなかったんでしょうかね? 改変してカタルシスを描いた方が一般映画ファンの評価は高くなるかも、と思う一方で、改変したから評価が低いのかもしれない、とも思います。

「八犬伝」

 「南総里見八犬伝」の物語と、原作者である曲亭馬琴の執筆の姿を描いた山田風太郎原作の映画化。前半は「八犬伝」の物語だけで良かったんじゃないかと思い、後半は馬琴の晩年、息子の嫁のお路(みち)の助けを借りて口述筆記で作品を完成する姿だけで良かったんじゃないかと思いました。いずれにしても、2つの物語(虚の世界と実の世界)が相乗効果を上げているわけではなく、物足りなさを感じる結果になっています。

 僕らの世代で「八犬伝」と言えば、角川映画の「里見八犬伝」(1983年、深作欣二監督)よりもNHK連続人形劇「新八犬伝」(1973年4月~1975年3月、全464話)の印象が強く、珠(たま)に浮かび上がる「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字と意味はこの人形劇で覚えましたし、伏姫や犬塚信乃、「玉梓(たまずさ)が怨霊」などの登場人物は強く印象に残りました(人形デザインは辻村ジュサブロー)。1回15分の番組だったとはいえ、464話も描けるほどの物語を約2時間半の映画のそのまた半分ぐらいの八犬伝パートだけで描くのには無理があり、VFX場面をつないだ駆け足のダイジェストにならざるを得ません。

 一方の馬琴パート。馬琴を演じるのは役所広司、馬琴宅に遊びに来て「八犬伝」の物語を聞く葛飾北斎に内野聖陽、馬琴の愚痴っぽい妻に寺島しのぶ、馬琴の息子に磯村勇斗、その妻お路に黒木華というキャスティングです。このパートの出来が良いのは役者陣の好演もさることながら、正義を信じて勧善懲悪の物語を志向した馬琴の姿勢に共感できるからです。それを助けるお路は平仮名しか読み書きができませんでしたが、馬琴から分からない漢字を「分かりません。申し訳ありません」と言いながら一文字ずつ教わることで物語を書き、その完成に奇跡的な役割を果たします。

 映画では後半からしか登場しないお路の話をもっと見たいと思えるほどこのパートは良いです。映画は虚の世界と実の世界を交互に綴る原作の構成を踏襲してはいるのですが、時間的に十分に描けるはずのない「八犬伝」のパートは全体の1、2割にして馬琴とお路の話にもっと時間を割いた方が良かったのではないかと思います。「ピンポン」(2002年)、「鋼の錬金術師」(2017年)の曽利文彦監督だけにVFXで「八犬伝」を描きたい思いが強かったのかもしれません。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午後)2時間29分。

「まる」

 何気なく描いた○(まる)が現代美術の傑作として世間の大評判を呼ぶという物語。予告編で見て想像していたよりずっと良い出来でした。荻上直子監督は社会の貧困、格差、差別、悪意、妬みなどを盛り込んで物語を構成していて、現代社会を批判した一種の寓話となっています。

 現代美術家のアシスタントとして働く沢田(堂本剛)は言われたことを淡々とこなす日々。通勤途中に事故に遭い、腕に怪我をしたことから職を失ってしまう。沢田は部屋にいた蟻を囲むようにして描いた○(まる)の絵を買い取ってもらうが、その絵は沢田が知らない間にSNSで拡散され、海外でも高く評価される社会現象となる。

 沢田がアルバイトしているコンビニの同僚ミャンマー人(森崎ウィン)の片言の日本語を嘲笑う客や、沢田を見下すかつての同級生(おいでやす小田)はマウントを取りたがる本当に下らない人間たちです。沢田のアパートの隣室に住む漫画家志望の横山(綾野剛)も自分を認めない社会に対して鬱屈した思いを抱えています。それに対して沢田は飄々としたキャラ。自分の絵が売れたことに驚いてはいますが、天狗になることもなく、傍観者的な振る舞いに終始しています。

 映画を見る前は堂本剛の主役起用に少し疑問も感じましたが、この役は堂本剛の雰囲気に実によく合っていました。力をこめるわけでもなく、「成功しなかったら、自分が好きなことを諦めなくちゃいけないんでしょうか」とさりげなく言うキャラとして無理がありません。荻上監督は堂本剛について「能動的ではない受け身の主人公を堂本さんが演じたら、それも新たな要素になりそうな気がした」と起用の理由を語っています。
▼観客4人(公開6日目の午後)1時間57分。

「2度目のはなればなれ」

 実話を基にしたイギリス映画。91歳のマイケル・ケインの俳優引退作であり、昨年6月に亡くなったグレンダ・ジャクソン(享年87)の遺作となりました。2人の共演は約50年ぶりと、公式サイトにありますが、何の映画かタイトルが書いてありません(この公式サイトは情報量がまったく不足しています。パンフレットも作っていないし、不遇な扱いですね)。調べたら「愛と哀しみのエリザベス」(1975年、ジョセフ・ロージー監督)という作品で、日本では劇場未公開(ビデオスルー)でした。

 2014年夏、90歳のバーナード(ケイン)とレネ(ジャクソン)の夫婦は老人ホームで暮らしている。ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)に参加したバーナードはDデイ70周年式典に行きたかったが、ツアー参加申し込みに間に合わなかった。病弱なレネをホームに置いて自分だけ申し込むわけにはいかなかったからだ。レネから「行ってきて」と言われたバーナードはホームの職員には黙ってノルマンディーへの旅に出る。施設では行方不明になったと大騒ぎになる。

 原題は“The Great Escaper”(大脱走者)。ホームから“脱走”したバーナードを警察がツイートで“#The Great Escaper”とハッシュタグを付けたほか、新聞社も見出しにしたことに由来しています。バーナードはDデイで戦友の死を間近で見てトラウマを抱えていました。ノルマンディーに行く途中で知り合ったアーサー(ジョン・スタンディング)もまたバーナード以上の痛みを抱えています。映画は70年たっても戦争体験に苦しむ2人を描くことで静かな反戦映画となっていて、名優ケインの最後の作品として恥ずかしくない出来だと思います。監督は「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」(2011年)などのオリヴァー・パーカー。

 マイケル・ケインは主演・助演・脇役を含めて大変多くのさまざまな映画に出ている人ですが、僕はジャック・ヒギンズの傑作冒険小説を映画化した「鷲は舞い降りた」(1976年、ジョン・スタージェス監督)で演じた主人公クルト・シュタイナ役が好きでした。この映画にはジョン・スタンディングも神父役で出ていたそうです。
IMDb7.0、メタスコア68点、ロッテントマト89%。
▼観客11人(公開初日の午前)1時間37分。

「パリのちいさなオーケストラ」

 パリ郊外に住むアルジェリア系の少女がオーケストラの指揮者になる夢を実現した実話の映画化。世界で女性指揮者の割合は6%、フランスは4%だそうです。女性指揮者が少ない理由について調べてみましたが、体力・能力面での決定的な要因は見当たらず、クラシック業界にある女性への偏見と蔑視が大きな要因になっているのではないかと思います。ガラスの天井が厚いのでしょう。

 主人公のザイア(ウーヤラ・アマムラ)はこれに移民というハンディが加わります。双子の妹フェットゥマ(リナ・エル・アラビ)とともにパリ市内の名門音楽院に編入したザイアは指揮者を志すようになります。しかしザイアが指揮台に立っても最初は演奏者が言うことを聞きません。ザイアが数々の困難と障害を乗り越えて夢を実現する過程はオーケストラの音楽が次第に形になっていく過程と符合していて、手堅くまとまった作品になっています。脚本・監督は「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(2014年)のマリー・カスティーユ・マンシヨン・シャール。
IMDb6.9、ロッテントマト100%(アメリカでは未公開)。
▼観客12人(公開5日目の午後)1時間54分。