2002/09/30(月)「ジャスティス」

 第2次大戦中のドイツの捕虜収容所を舞台にした映画。こういう舞台設定の映画も久しぶりに見た。監督は「オーロラの彼方へ」のグレゴリー・ホブリットで、「オーロラ…」同様、詰めが甘い。いやそれ以前に話がさっぱり面白くない。話の中心になってくるのは捕虜収容所内で起きた殺人事件で、冤罪の黒人士官を救おうとする主人公ハート中尉(コリン・ファレル)を描くのだが、事件が発生するまでに1時間近くかかる。ハート中尉が捕虜になるまでの描写などは、ばっさり切り捨てて、黒人士官が収容所に来る場面から始めるとか、もっと焦点を絞るべきだっただろう。あれもこれもと欲張りすぎなのである。

 原題はHart's Warで、ジョン・カッツエンバック原作の映画化。ハート中尉はエール大学で法律を学び、上院議員の息子であるため前線には出たことがなかったが、上官を車で送る途中、MPを装ったドイツ兵に捕らわれる。拷問を受けて、燃料庫の場所を教えたハートは捕虜収容所に送られる。収容所はマクナマラ大佐(ブルース・ウィリス)が米兵をまとめていた。ハートの嘘を見抜いたマクナマラ大佐は「士官宿舎は満員」との理由で、ハートを一般兵の宿舎に入れる。そこはベッドフォード(コール・ハウザー)という二等軍曹が仕切っていた。不自由な収容所生活の中でタバコや靴も巧みに用意するベッドフォードは黒人への人種差別意識があり、収容所に来た黒人士官2人を上官にもかかわらず迫害する。黒人士官の1人はベッドフォードの罠で冤罪を着せられ、処刑される。そしてベッドフォードが何者かに殺される事件が起きる。容疑はもう一人の黒人士官にかかった。マクナマラ大佐は収容所を統括するドイツ軍のビッサー大佐(マーセル・ユーレス)に軍法会議を開くよう要求。ハートに黒人士官の弁護を命じる。

 「大脱走」と「ア・フュー・グッドメン」を組み合わせたような映画といえば、聞こえはいいが、先に書いたように焦点が絞れず、どちらも中途半端。凡作という表現がぴったりの作品である。ホブリット監督はテレビ出身のためか、だらだらした作風。この人、物語のポイントがどこか分かっていないのではないか。だいたい、「ジャスティス」というタイトルの映画は過去にアル・パチーノ主演のものがあるのだから、他に考えるべきではなかったか。ま、これは日本の配給会社の責任だ。

2002/09/27(金)「サイン」

 「シックス・センス」のM・ナイト・シャマランの新作。みんなラストでがっかりしているようだが、その理由、よく分かる。結局、そういうありきたりのことが言いたかったのかね、シャマラン君。ジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽はヒッチコック映画のバーナード・ハーマンを思わせて、シャマランもヒッチコックを意識したのかもしれない。しかし、ヒッチコックは間違ってもこんな教条主義的なことは映画に持ち込まなかった。決定的に脚本がまずい。シャマランに必要なのは(普通の出来なのに評価されすぎた)「シックス・センス」はフロックで、自分は脚本は下手なのだという認識と、もっと面白い話を書けるスタッフなのだと思う。こんな脚本に8ケタのギャラを払う映画会社もバカだ。

 例によって、ストーリーは詳しく書けないたぐいの映画である。ペンシルバニア州バックス郡のグラハム・ヘス(メル・ギブソン)のトウモロコシ畑にミステリー・サークルが出現する。同時に飼い犬のフーディニが凶暴化し、幼い兄妹を襲う。街でもおかしなことが起こり始める。やがてミステリー・サークルは世界各地に出現していることが分かる。短時間で大量に出現したことをみると、いたずらではあり得ない。これは何かの兆候(サイン)なのか。という予告編で描かれたことまでしか書けないが、映画は表面上、50年代SF映画風に進行する。古くさい手法だが、これでもまともに撮れば、それなりの映画にはなっただろう。事実、シャマランの演出は決して悪いわけではない。小さな街の一家族に焦点を絞り、世界各地の異常現象の恐怖とサスペンスを集約させている。「光る眼」や「盗まれた町」が成功したのは舞台を広げすぎなかったからで、シャマラン、その点では過去のSFを踏襲しているのである。

 グラハムは弟(ホアキン・フェニックス)と2人の子どもとともに家の窓を塞ぎ、地下室に逃げる。この描写は外で何が起こっているか分からないという点で、核戦争の勃発でシェルターに逃げたような感じを受けるが、なかなかのサスペンス。ただ、子どもが喘息にかかっているという設定は「パニック・ルーム」に似てしまった。先行する映画があるのだから、変えたいところだが、ここを変えると、終盤の主人公の心境の変化が描きにくくなるし、少なくとも、単にサスペンスの一要素に過ぎなかった「パニック・ルーム」よりは必然性がある。

 困るのはこの50年代SF風の話にシャマランがちっとも興味を持ってないらしいこと。SFを愛していないと言ってもいい。ここで語られるのはすべて主人公の変化を語るための材料なのである。これはどこかの団体の宣伝映画かと思えるほど。というか、そのまんま使えるでしょう、宣伝に。アメリカではどうだか知らないが、日本ではこんな結論、受けないだろうと思う。

2002/09/20(金)「アバウト・ア・ボーイ」

 「シングル・マザーは手つかずの金鉱」。シングル・マザーと付き合ってきれいに別れた経験からウィル・フリーマン(ヒュー・グラント)はSPAT(シングル・ペアレントの会)に出かけることになる。ウィルは38歳の独身男。父親がヒットさせたクリスマス・ソングの印税で生活し、働いたことがない。女との付き合いは長くて2カ月。後腐れのない付き合いを求めているわけだ。なんともうらやましいご身分だが、SPATで知り合ったスージー(ビクトリア・スマーフィット)が連れてきた友人の息子マーカス(ニコラス・ホルト)に出会ったことで、気ままだがどこか物足りなかった人生から脱却することになる。

 製作プロダクションは「ブリジット・ジョーンズの日記」のワーキング・タイトルで、今度は30代の男の本音を語る、というのが売りである。だが、モノローグが多いのが似ているのを除けば、「ブリジット…」との共通点はあまりない。「ブリジット…」が等身大の独身女性を主人公にしていたのに対して、ウィルのような生活を送(れ)る男はほとんどいないだろう。ニック・ホーンビィの原作はイギリスでベストセラーとなったそうだが、これは男の本音を語った映画ではなく、軽妙な展開を楽しむコメディ。もちろん、そこにちょっぴり本音も混ぜてある。

 話として面白いのは普通ならマーカスの母親(トニ・コレット)とのロマンスを展開させるところなのに、そうはならず、ウィルは別のシングル・マザーのレイチェル(レイチェル・ワイズ)に一目惚れする。それが中心になるかと思えば、これはあくまでエピソードの一つで映画はウィルとマーカスの関係に焦点を絞っていく。マーカスは学校ではいじめられているが、母親はそれに気づかない。ウィルとマーカスが互いに影響しあって、マーカスのいじめからの脱却とウィルの生き方の見直しをクロスさせていくのがうまい展開である。

 タイトルが少年のように気ままなウィルも指しているのは明らか。ヒュー・グラントにぴったりな役柄だ。監督は「アメリカン・パイ」のポール・ウェイツ&クリス・ウェイツ兄弟。ワイズとスマーフィットがシングル・マザーの魅力を見せて良かった。

2002/09/18(水)「エリン・ブロコビッチ」

 1993年にアメリカで史上最大級の賠償金を勝ち取った裁判の中心となったエリン・ブロコビッチを描いた実話。美人だが、無学で生活力もないエリン(ジュリア・ロバーツ)が法律事務所に無理矢理勤務して、大企業(PG&E社)が垂れ流している公害(六価クロム)を知る。工場周辺の住民はガンなどの深刻な病に冒されているが、工場側は安全だと言い張っている。エリンのほんの小さな疑問が発展し、634人の原告が集まる大裁判となる。小さな法律事務所の弁護士エド(アルバート・フィニー)とエリンは協力して大企業の不正を暴いていく。

 社会派の題材ながら、スティーブン・ソダーバーグの演出はエリンの人となりを十分に描き込み、普通の女性が大企業に勝っていく過程をメインにしている。これが面白いところ。怒りや正義感を前面に押し出さない映画化で、社会派というと生真面目になりすぎる日本映画は学びたいものだ。ロバーツとフィニーのやりとりはおかしく、それでいて押さえるべきところはちゃんと押さえてある。エリンのサクセス・ストーリーの側面もあり、ちょっと長いが面白かった。

 実際のエリン・ブロコビッチは生活感の漂うオバサンという感じ。1960年生まれだそうだ。映画にウエイトレス役で出演しているとのことだが、僕には分からなかった。PG&E社はPacific Gas and Electric Companyと言うんですね。

2002/09/18(水)「バイオハザード」

 人気ゲームの映画化。といってもストーリーは映画のオリジナルという。地下にある研究所“ハイブ”でウィルスが拡散し、マザー・コンピューターのレッド・クイーンの防御装置が作動。研究員ら500人が全員死亡する。主人公のアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は一時的に記憶をなくしており、わけが分からないまま特殊部隊とともにコンピューターを止めようと、ハイブに向かう。クイーンの武器で隊員の半数以上は死ぬが(このレーザー型の殺人兵器の場面がなかなかよくできている)、アリスら数人はなんとかコンピューターの停止に成功。しかし、その途端、ウィルスによってゾンビ化した人間たちが襲ってくる。

 ゾンビ映画というのも久しぶりに見たが、もうこのパターンは描かれ尽くしているので、この映画にも新機軸は見当たらない。頭にダメージを与えれば、ゾンビを仕留められるというのはこれまでと同様だし、咬まれると感染するのも同じ。いつこどこかで見た光景ばかりである。ポール・アンダーソン監督の演出も荒っぽく、ショック演出ばかりが目につく。しかし、ミラ・ジョヴォヴィッチの魅力が映画に輝きを与えた。セクシーでアクションもこなすカッコ良さ。もともと気が強そうな顔つきだが、襲い来るゾンビ軍団を撃退して地上へ脱出するリーダー的存在として説得力がある。ミラがいなければ、映画はどうしようもない出来になるところだった。ミラ主演で2作目が計画されているとのこと。次作でもミラの魅力を堪能させてくれる映画に仕上げてほしいところだ。