メッセージ

2002年09月27日の記事

2002/09/27(金)「サイン」

 「シックス・センス」のM・ナイト・シャマランの新作。みんなラストでがっかりしているようだが、その理由、よく分かる。結局、そういうありきたりのことが言いたかったのかね、シャマラン君。ジェームズ・ニュートン・ハワードの音楽はヒッチコック映画のバーナード・ハーマンを思わせて、シャマランもヒッチコックを意識したのかもしれない。しかし、ヒッチコックは間違ってもこんな教条主義的なことは映画に持ち込まなかった。決定的に脚本がまずい。シャマランに必要なのは(普通の出来なのに評価されすぎた)「シックス・センス」はフロックで、自分は脚本は下手なのだという認識と、もっと面白い話を書けるスタッフなのだと思う。こんな脚本に8ケタのギャラを払う映画会社もバカだ。

 例によって、ストーリーは詳しく書けないたぐいの映画である。ペンシルバニア州バックス郡のグラハム・ヘス(メル・ギブソン)のトウモロコシ畑にミステリー・サークルが出現する。同時に飼い犬のフーディニが凶暴化し、幼い兄妹を襲う。街でもおかしなことが起こり始める。やがてミステリー・サークルは世界各地に出現していることが分かる。短時間で大量に出現したことをみると、いたずらではあり得ない。これは何かの兆候(サイン)なのか。という予告編で描かれたことまでしか書けないが、映画は表面上、50年代SF映画風に進行する。古くさい手法だが、これでもまともに撮れば、それなりの映画にはなっただろう。事実、シャマランの演出は決して悪いわけではない。小さな街の一家族に焦点を絞り、世界各地の異常現象の恐怖とサスペンスを集約させている。「光る眼」や「盗まれた町」が成功したのは舞台を広げすぎなかったからで、シャマラン、その点では過去のSFを踏襲しているのである。

 グラハムは弟(ホアキン・フェニックス)と2人の子どもとともに家の窓を塞ぎ、地下室に逃げる。この描写は外で何が起こっているか分からないという点で、核戦争の勃発でシェルターに逃げたような感じを受けるが、なかなかのサスペンス。ただ、子どもが喘息にかかっているという設定は「パニック・ルーム」に似てしまった。先行する映画があるのだから、変えたいところだが、ここを変えると、終盤の主人公の心境の変化が描きにくくなるし、少なくとも、単にサスペンスの一要素に過ぎなかった「パニック・ルーム」よりは必然性がある。

 困るのはこの50年代SF風の話にシャマランがちっとも興味を持ってないらしいこと。SFを愛していないと言ってもいい。ここで語られるのはすべて主人公の変化を語るための材料なのである。これはどこかの団体の宣伝映画かと思えるほど。というか、そのまんま使えるでしょう、宣伝に。アメリカではどうだか知らないが、日本ではこんな結論、受けないだろうと思う。