2004/05/24(月)「トロイ」

 ウォルフガング・ペーターゼン監督が3200年前を舞台にトロイとギリシャの戦いを描いたアクション大作。ホメロスの「イリアス」の映画化で、ちゃんと「トロイの木馬」も登場する。数万の軍隊が激突するシーンは「ハムナプトラ」や「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズですっかりおなじみになったため、あまり新鮮さはない。ストーリーも女1人のために戦争を起こすというもので、これに勇者アキレス(ブラッド・ピット)など複数の登場人物の個人的恨みが重なる。本来なら2時間43分を持ちこたえる話ではないと思うのだが、それでも力作となったのはペーターゼンの演出がしっかりしているからか。

 デヴィッド・ベニオフの脚本はトロイとギリシャを単純に善悪に分けず、双方のキャラクターを掘り下げて描いている。単純な悪役はスパルタの王メネラオス(ブレンダン・グリーソン)ぐらいだ。しかし、この描写の仕方では、どちらにも感情移入しにくいという欠点が残る。主人公はアキレスだが、いとこを殺された恨みからトロイの王子ヘクトル(エリック・バナ)を殺し、馬車で引きずるシーンなど、いくら恨みが大きくても主人公としてはふさわしくない。スパルタ王から王妃ヘレン(ダイアン・クルーガー)を奪った弟パリス(オーランド・ブルーム)をかばうヘクトルは、理想的なキャラクターとして描かれ、途中まではこちらが主人公なのではないかと思うほどだ。

 アキレスはアガメムノン王(ブライアン・コックス)に忠誠を誓わない自由なキャラクターとして登場する。生まれながらの殺し屋で、戦いに参加するのは後世に名前を残すためである。普通、こういうキャラクターは主人公たり得ないので、脚本はアガメムノン王との確執からトロイ攻撃には否定的な人物として描いている(途中で部下に帰れと命令する)。だから個人的恨みを果たした後、木馬に潜んでトロイ攻撃に参加する理由が見あたらなくなるのである。

 王妃を奪った王子パリスのいるトロイが本来なら、悪のキャラクターになるところだが、ヘレンはパリスと本当の愛に目覚めたという設定。奪われた方のメネラオスは最低の人物として描かれる。これがどうも脚本の間違いの発端だったようで、こういう設定なら最後はトロイの方に勝利が導かれるのが普通である。高い城壁に守られているとはいっても、トロイはギリシャに比べれば、兵士の数も少ない。そこへ大量の軍隊が攻撃を仕掛けるのだから、「ロード・オブ・ザ・リング」の例を持ち出すまでもなく、これは守る側に守りきってほしいところだ。これがそうならないのは原作を尊重したためだろう。ああいう神話伝説は常に勝者の視点で描かれるから、こんな展開になるのも仕方ないのかもしれない。

 だから、脚本はアキレスのキャラクターに工夫をして、ギリシャ、トロイ、アキレスの3つの立場を描いている。こうした組み立てで何を描いたかというと、実のところ、何も描いてはいない。上が始めた戦争で一般の民衆や兵士がバタバタと死ぬ戦いの虚しさとかを浮かび上がらせたりしない。見ていてどうもすっきりしないのはこんな風にキャラクターの設定にぶれがあったり、脚本の詰めが甘いからだと思う。アキレスがアキレス腱を傷めるシーンなど、必要だったかどうか。

 オーランド・ブルームはレゴラスのように最後に弓を引くシーンがある。ピットやバナなど男優陣が好演しているのに対して、戦争の原因となるヘレンを演じるダイアン・クルーガーをはじめ、女優陣には今ひとつ華やかさがなかった。女優といえば、アキレスの母親役ジュリー・クリスティーがあまりにも普通のおばあさんなのでがっかり。かつてはクルーガーなどよりよほど美人だったんですがね。

2004/05/17(月)「グッバイ、レーニン!」

 ドイツアカデミー賞(ドイツ連邦映画賞)9部門受賞作。「ビッグ・フィッシュ」とは対照的に、こちらは母と息子の話が中心である。東ドイツに強い忠誠心を持っていた母親が心臓発作で昏睡状態となる。その原因は改革要求のデモに参加した息子の姿を見たことだった。母親の昏睡の間にベルリンの壁が崩壊し、東ドイツは消滅する。8カ月後に目を覚ました母親にショックを与えないように息子は懸命に東ドイツの崩壊を隠し通す。わずかなショックでも命取りになると、医者から宣告されたからだ。

 設定はコメディで実際、前半は息子が映画好きの友人の協力を得てニュース番組まで創作するなど笑える場面が多いのだが、映画は終盤、東西分断時代の悲劇を前面に描き出す。10年前に家族を捨てて西側に亡命した父親と母親の本当の関係、その父親との再会シーンなど胸に迫るものがある。社会の大きな変動が家族に及ぼした影響を描きつつ、笑いと涙のエンタテインメントに仕立てたウォルフガング・ベッカー監督の手腕は大したものだと思う。

 病気が一時的に回復し、外出した母親は、解体され、飛行機で運ばれるレーニン像を見る。このシーンは撮り方からしてとてもシュールだ。創作するニュース番組が徐々に実際の東ドイツではなく、息子の理想の東ドイツに変わっていくのも面白い。思想的に右も左もなく、翻弄される家族の話に絞ったのが成功の要因と思う。

2004/05/17(月)「ビッグ・フィッシュ」

 「猿の惑星」以来3年ぶりのティム・バートン監督作品。そして「猿の惑星」の汚名はこれで十分にぬぐい去った。父と息子の物語をファンタジーにくるんで描き、広く一般受けする感動作になっている。未来を予見する魔女や身長5メートルの巨人が登場するファンタジーの部分も父と息子の和解の場面も良くできており、ファンタジーと思っていたものが現実となる瞬間の描写も秀逸だ。過去のバートン作品とは異なり、アクが抜けて丸くなった感じである。ただ、何となく物足りないのはあまりにも普通の感動作であるためか。ブラックなユーモアは影を潜め、陽気で幸福な雰囲気に満ちている。バートンが夫婦愛、親子の愛をここまで描くとは思わなかった。キネ旬の記事にあった「実生活のパートナーでもあるヘレナ・ボナム=カーターとの間に子供が生まれたことが影響している」との指摘にはなるほどと思う。

 原作はダニエル・ウォレスのベストセラー。主人公のエドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)は息子ウィル(ビリー・クラダップ)の結婚式で「息子が生まれた日に釣った巨大魚」のスピーチをして、ウィルと激しい口論となる。エドワードはウィルが幼いころから自分の体験を話して聞かせた。魔女や巨人が出てくるそれはまるでおとぎ話のようなものであり、何度も何度も聞かされたウィルには他人にまで同じほら話をする父親が許せなかった。3年後、父が倒れたとの知らせが入る。ウィルは妻のジョセフィーン(マリオン・コティヤール)とともに実家に帰ることになる。ここからユアン・マクレガー演じるエドワードの若い頃の話が綴られていく。沼地に住んでいた魔女(ヘレナ・ボナム=カーター)がエドワードの死に方を見せたこと、町に身長5メートルの巨人が来たこと、その巨人を都会に連れて行く途中で立ち寄ったスペクターという不思議な町のこと、サーカスで出会ったサンドラ(ジェシカ・ラング。若いころはアリソン・ローマン)と結ばれるまでのこと。ここで描かれるのはどれもなんだか懐かしく、それぞれに寓意が込められている。

 子供にとっては夢のあるおとぎ話でも大人が聞けば、そんなバカなと思うことになる。エドワードのする話はそれほどファンタジーに近い。しかし、それが実は、というのが映画の核心で、ウィルは父の話に真実が含まれていたことを知り、自分が聞かされていなかった話も知って、父を本当に理解することになる。

 飄々としたユアン・マクレガーがファンタジーの主人公に実にぴったりだ。アルバート・フィニーも相変わらずうまい。ファンとしてはバートンにあまりウェルメイドな作品ばかり作って欲しくないが、この路線も悪くないとは思う。

2004/05/16(日)「ザ・ワン」

 ジェット・リー主演のSFアクション。125の多次元宇宙の中で、ジェット・リーを1人殺すと、残りのジェット・リーの力が強くなるとの設定で、他の世界の悪いジェット・リーがこの世界の良いジェット・リーを殺しに来る。クライマックスはジェット・リー対ジェット・リーの対決となる。

 ネットで感想を読むと、8割ぐらいはつまらないとの感想だが、僕はそれなりに面白かった。B級アクションに徹していて、上映時間も87分と短いのがよろしい。まあ、ジェット・リーとしてはB級と評されるのは嫌だろうが。レンタルDVDだと、多少つまらなくても許してしまえる。

 監督は「ファイナル・デスティネーション」のジェームズ・ウォン。「スナッチ」のジェイソン・ステイサムと「サイダーハウス・ルール」のデルロイ・リンドが多次元宇宙犯罪を取り締まる警察官役で出てくる。

2004/05/16(日)「シッピング・ニュース」

 E・アニー・プルーのピュリッツァー受賞作をラッセ・ハルストロムが監督した作品。悪女の妻ペタル(ケイト・ブランシェット)に逃げられた失意の中年男クオイル(ケヴィン・スペイシー)が娘のバニー、叔母アグニス(ジュディ・デンチ)とともに祖先が住んでいたニューファンドランド島に行き、祖先が残した古い家に住むようになる。クオイルは地元の新聞社で港湾(シッピング)ニュースの担当になり、託児所を営む未亡人ウェイビィ(ジュリアン・ムーア)ら、島の人々との交流の中で再生を果たしていく、という物語。

 ハルストレム監督作品だから、凡庸ではないけれど、名優4人が顔をそろえたにしては、やや盛り上がりに欠ける場面もある。日々の生活の中で、クオイル家の祖先の秘密や、アグニス、ウェイビィの悲惨な過去が徐々に明らかになるところなど人間ドラマとして深みが出てくるべき場面なのだが、どうも物足りない感じが残るのだ。いや、物足りないというよりは映画に温かみがあるため、鋭さに欠けた印象になるのかもしれない。ハルストレムはニューファンドランドの美しい風景と神秘を含めて、トータルな人間ドラマを目指したのだろう。

 クオイルの家の崩壊や、代々、海で溺死してきた家系のジャック(スコット・グレン)が復活するエピソードは過去のしがらみを捨てて、未来へ向かう人々の姿を象徴している。悲惨なエピソードもありながら、ラストが希望に満ちているのはそのためだろう。