2022/05/29(日)「トップガン マーヴェリック」ほか(5月第4週のレビュー)

36年ぶりの続編となった「トップガン マーヴェリック」。トップガンの意味を説明した字幕に続いてタイトルが出るのは前作と同じ。それに続く空母上での戦闘機の離発着が描かれる冒頭シーンも音楽がケニー・ロギンス「デンジャー・ゾーン」であることも手伝って前作をそのまま使っているのではないかと思えるぐらいよく似ています。

もうここで、年配の映画ファンは36年前を思い出してノスタルジックな思いに駆られるはず。何しろ、36年前というのはまだ昭和ですからね。しかし、この映画、そんな甘っちょろいノスタルジーを吹き飛ばすようなスピード感、臨場感、没入感にあふれていました。これは大きなスクリーンで見ないと、面白さが100分の1ぐらいになるタイプの映画であり、「スター・ウォーズ」第1作のデス・スター上でのドッグファイトを思い出しました(攻撃目標も似ています)が、体感的にはあの数十倍の迫力でした。

このリアルな迫力は実際に俳優たちを戦闘機(F/A-18)の後席に乗せて撮影したことから生まれています。同様のシーンはCGを使ってある程度描けるかもしれませんが、搭乗員の緊張感や機体の突然の揺れや強いGによる変化など細部まで描くのはとても無理でしょう。

結果、類を見ない映像としっかりした脚本が組み合わさった傑作となっています。前作の頃はアイドル的位置にいたクルーズが今やアクションスターとしての地位をも確立したことで、映画での活躍が嘘に見えない説得力をもたらしています。

前作「トップガン」は傑作でもなんでもなく、トニー・スコット監督の優れた映像感覚とハロルド・フォルターメイヤーの音楽は素晴らしかったものの(サントラ買って繰り返し聴いてました)、ミグを撃墜するシーンにあきれ果てた僕は「タカ派のバカ映画」と公開当時思いました。あのバカ映画からどう続編を作るのか。トム・クルーズが絶対の信頼を置いている(らしい)脚本のクリストファー・マッカリー(「ミッション:インポッシブル ローグ・ネーション」ほか)は前作の数少ないドラマ、つまりマーヴェリックの親友グースが訓練中に死んだエピソードを受けて物語を組み立てました。

新型機のテストパイロットをしていたピート・“マーヴェリック”・ミッチェル(トム・クルーズ)はマッハ10を達成した後、機体に異常が発生して墜落。飛行禁止の処分を受けそうになるが、なぜかトップガンの教官を命じられる(前作の最後の方でマーヴェリックは教官を目指すと話していました)。それにはかつてのライバルで今は海軍大将となったアイスマン(ヴァル・キルマー)の指示があった。トップガン候補生の中には死んだグースの息子ルースター(マイルズ・テラー)がいた。ルースターは以前、出願書をマーヴェリックに破棄されたことを恨んでいた。この2人の関係をドラマの軸に置きながら、映画はトップガンの訓練とミッションを描いていきます。

マッカリーのこれまでの作品を見ると、冒険小説やサスペンス映画に精通していることがよく分かりますが、今回もクルーズが敵の戦闘機を盗んで飛び立つシーンなどクリント・イーストウッド「ファイヤーフォックス」(1982年)を思わせました。

ヴァル・キルマーは病気で声が出せない設定ですが、実際にキルマーは喉頭がんで声を出すのが難しくなり、声のクローンを作成する英国のソフトウェア会社と研究、開発を進めた結果、再び自身の声で会話ができるようになったそうです。ヴァル・キルマーというと、「ウィロー」(1988年)を思い出すんですが、なんとこれも映画から34年ぶりにテレビシリーズが作られるそうです。

エンドクレジットでトニー・スコットへの弔意が示されました。パンフレットによると、続編の製作に取りかかった2010年、トム・クルーズはスコットとプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーとともに前作を見直したそうです。その時点では今回の監督にスコットが想定されていたのでしょう。

前作を見ていなくても回想シーン(グースの妻役でキュートさが注目を集めたメグ・ライアンも登場します)があるので意味は分かりますが、見ていた方がはるかに楽しめます。前作はamazonプライムビデオ、Hulu、U-NEXTなどで配信されています。

「オンリー・ザ・ブレイブ」

「トップガン マーヴェリック」のジョセフ・コシンスキー監督による2018年公開の作品。コシンスキーはトム・クルーズと「オブリビオン」(2013年)で組んでいますから、その縁もあっての起用でしょうが、この作品の出来の良さも評価されたのかもしれません。僕は見ていなかったのでこれを機会に見ました。

山火事に挑む森林消防隊の映画ということは知っていましたが、アメリカ史上最悪の山火事「ヤーネルヒル火災」(2013年6月)を基にした実話ベースの映画化であるとは知らず、ラストで呆然としました。いや、これは言葉を失う事態です。

ケン・ノーランとエリック・ウォーレン・シンガーの脚本はドラッグ中毒の若者(マイルズ・テラー)が、子どもが生まれたのを機に再起を図るため消防隊に入るなど隊員のドラマを描きながらクライマックスのヤーネルヒル火災に至る手堅い構成となっています。

映画の中で山火事の火から逃れる手段として1人用防火テントの訓練が行われます。主人公で隊長のジョシュ・ブローリンは「テントの中は500度以上になる。水を持って耐えるんだ」と話しますが、500度もあったら死んでしまいます。Wikipediaによると、実際には500度どころか1000度以上あったと推測されているそうです。このテント、火は防いでも熱は防げず、気休めぐらいの効果しかなかったわけです。
「トップガン…」でトム・クルーズの恋人役を演じたジェニファー・コネリーも出演しています。

「親愛なる同志たちへ」

今年84歳のアンドレイ・コンチャロフスキー監督作品で、ヴェネツィア映画祭審査員特別賞を受賞。1960年6月、ソ連南部のノボチェルカッスクで実際に起こった政府による市民虐殺事件をシングルマザーで共産党員の主人公リューダ(ユリア・ビソツカヤ)の視点から描いています。暴動鎮圧に出た軍隊による虐殺と思われたが実は、という展開。事件の真相は1992年まで隠ぺいされていたそうです。

映画の作りは緊密で、コンチャロフスキー作品の中では上位に位置する出来だと思います。主人公が「これからは良くなる。良くならなきゃ」とつぶやくシーンも皮肉が効いています。しかし、ウクライナを侵攻中のロシアの現状を見ると、評価する気になれません。映画の舞台は60年前のフルシチョフ首相時代。今のプーチン政権にとって痛くもかゆくもない過去の事件だからロシアで普通に上映できたのでしょう。映画が作られたのは2年前ですが、過去よりも現在に目を向けた方が良いと思います。
IMDb7.4、メタスコア82点、ロッテントマト95%。

「カモン カモン」

「20センチュリー・ウーマン」(2017年)のマイク・ミルズ監督作品。ラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)がLAに住む妹(ギャビー・ホフマン)に頼まれ、9歳の甥ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒を数日、見ることになる。それは子どものいないジョニーにとって驚きに満ちた体験となっていく。ミルズはこのストーリーを美しい白黒映像で描いています。

アネット・ベニング、グレタ・ガーウィグ、エル・ファニングの3女優がそれぞれに好演した「20センチュリー・ウーマン」を僕はとても面白く見ましたが、これは少し落ちる感じに思えました。これは僕の好みの問題のようでIMDbやメタスコアを見ると、「カモン カモン」の方が評価は高いです。

「大河への道」

立川志の輔の原作「大河への道 伊能忠敬物語」を「花のあと」(2009年)の中西健二が監督。「ちゅうけいさん」と親しまれる伊能忠敬を観光に生かすため大河ドラマ化を目指す千葉県香取市役所の職員たちを描いています。

伊能忠敬について調べているうちに、全国を測量して作った地図「大日本沿海輿地全図」は伊能の死んだ3年後に完成していることが分かるという展開。中井貴一、松山ケンイチ、北川景子、岸井ゆきのらが市役所職員と江戸時代の伊能忠敬の関係者を演じています。

脚本は「義母と娘のブルース」「天国と地獄 サイコな2人」などテレビドラマが多い森下佳子。つまらなかったわけではありませんが、映画的な映像も展開もなく、テレビドラマでも十分じゃないかと思えました。

2022/05/22(日)「流浪の月」ほか(5月第3週のレビュー)

「流浪の月」は李相日(リ・サンイル)監督作品としては「悪人」(2010年)と同じタイプの話で、世間から理解されず、思い込みと偏見から敵視される男女2人の強い結びつきを描いています。

大学生の佐伯文(松坂桃李)は公園で雨に濡れていた10歳の更紗(白鳥玉季)を部屋に誘い、そのまま一緒に暮らすようになる。更紗は父の死後、母が家を出たため、叔母に引き取られており、家に帰りたくない理由があった。文のアパートでの生活に安らぎを得るが、文は少女誘拐の罪で逮捕され、世間からは小児性愛者、ロリコンのレッテルを貼られてしまう。15年後、更紗(広瀬すず)はバイト仲間と入ったカフェで店主となっていた文と偶然再会する。

広瀬すずはベストの演技。元々、「海街diary」(2015年)の頃から陰のある役が似合いましたが、今回のヒロイン更紗はまさに適役と言えるでしょう。ホン・ギョンピョ(「パラサイト 半地下の家族」「ただ悪より救いたまえ」)の撮影をはじめ、映画の作りは隅々まで上質です。

しかし最終盤にある説明が理に落ちすぎていて、「なんだこれは」と強い違和感を持ちました。これがあるからと言って、言い訳にしかなりませんし、この病気の人に対する偏見を生む恐れもあります。

凪良ゆうの原作もこうなのかと思い、読みました。映画では詳しく描かれなかった部分が分かったのは収穫で、原作では15年前の事件当時、文は19歳の大学生で、更紗は9歳の小学生。更紗が文のアパートにいたのは2カ月間。事件の後、叔母の家に帰った更紗は夜中に部屋に入ってきた中学2年のいとこの頭を酒瓶で殴り、養護施設に行くことになった、更紗は成長した今でも性行為を積極的に望んではいない、などなど。あと、文の現在の恋人(?)である女性(多部未華子)は病気で片方の胸を失い、そのために心療内科に通っていた頃に文と知り合った、という設定もあります。文が送られた少年院は医療少年院だそうです。

原作も映画と同じ結末に至ります。大きく違うのは文はロリコンでないどころか、大人の女性はもちろん、少女さえ愛せない存在であることです。僕は原作にはそれなりに納得しつつ、引っかかりも感じました。小説にも映画にも共通することですが、文の病気を種明かし的に描いていることに強い抵抗があります。この題材はLGBTQX的観点から組み立てた方が良かった話で、ミステリ的趣向は不要でした。

作者の凪良ゆうはBL小説を40作以上書いているベテランで、筆力は申し分ないんですが、この組み立てを考えると、本屋大賞受賞には疑問があります。逆に言えば、本屋大賞はその程度の賞ということなのでしょう。

原作では「トゥルー・ロマンス」(1993年)が更紗の好きな映画として、たびたび登場します。これは僕が映画をあまり見られなかった頃に公開され、ずーっと見逃したままになってました。探したら、5年前にWOWOWから録画したのがあったので見ました。傑作ですねえ。いかにもクエンティン・タランティーノ脚本らしい映画で、パトリシア・アークエットがボロボロになりながらモーテルで悪人を撃退するシーンなど最高以外の何ものでもありません。

トニー・スコット監督が生きていれば、「トップガン マーヴェリック」も監督したんじゃないでしょうかね。

「ハケンアニメ!」

辻村深月の原作を「水曜日が消えた」の吉野耕平監督が映画化。ハケンは「派遣」ではなく「覇権」で、土曜日の夕方5時放送の2つのアニメが覇権を争う物語。新人監督を吉岡里帆、デビュー作で天才と言われ、その後作品を発表していない伝説の監督を中村倫也が演じています。

アニメの制作現場が詳しく描かれますが、監督(いわば中間管理職ですね)が多数のスタッフの不平不満をなだめ、仕事を集約し、諸々の課題を解決して一つの作品を作り上げていく過程は他の分野の仕事にも共通することでしょう。そうした「お仕事映画」として優れた作品になっています。

吉岡里帆側のプロデューサーに柄本佑、中村倫也側に尾野真千子、アニメーターに小野花梨、六角精児、このほか実際の声優も多数出演。吉岡里帆はコーダを演じて好評を集めたNHK-BSプレミアム「しずかちゃんとパパ」とはがらりと変わった役柄を的確にこなしています。

柄本佑が弾むように歩いていく後ろ姿を捉えたラストショットは「ドクターX」の岸部一徳を思わせ、クスッと笑えました。

「パリ13区」

ジャック・オディアール監督が現代パリの13区に暮らす人々の恋愛模様を白黒で綴った作品。コールセンターで働く台湾系フランス人、アフリカ系の高校教師、法律を学ぶ大学生、ポルノ女優の4人が物語を紡いでいきます。なんてことはない話ですが、僕は面白く見ましたし、好きな作品です。

魅力の一つは台湾系フランス人エミリー役のルーシー・チャン。そんなに美人ではないし、特別にかわいいわけでもありませんが、将来性を感じさせる独特の魅力を放っています。セザール賞有望若手女優賞候補になったそうです。

脚本に「燃ゆる女の肖像」のセリーヌ・シアマが協力していて、それを納得できる展開があります。主な舞台となる13区のレ・ゾランピアード周辺はフランス最大規模のアジア人街とのこと。

「オッドタクシー イン・ザ・ウッズ」

昨年好評だったテレビアニメの総集編プラスα。それは分かっていたので期待はしていなかったんですが、登場人物(動物)の証言でストーリーを構成していて、初見の人には分かりにくいんじゃないでしょうかね。

終盤面白くなるのはテレビシリーズの面白さそのまま(当たり前)。テレビシリーズでは殺人犯は明らかになりましたが、警察には捕まっていませんでした。映画はその後を描き、それがプラスαの部分になります。ただ、逮捕に至る過程は途中でぶっつり切れて、逮捕されたカットを見せるだけになっています。こういう総集編じゃなく、テレビシリーズの完全版を作ってほしいところです。

テレビ同様に微笑ましかったのはアルパカの白川さんのカポエラのシーン。白川さんのカポエラ、ダイエットだけじゃなく実戦でも役に立つのが良いです。

2022/05/15(日)「シン・ウルトラマン」ほか(5月第2週のレビュー)

「シン・ウルトラマン」は傑作「シン・ゴジラ」のスタッフなので期待値マックスで観賞。序盤ワクワク、中盤停滞、終盤で少し盛り返した感じの出来で、金を掛けたファンムービーのような作品でした。

絵の具を流したような画面がぐるぐる回って「シン・ゴジラ」の文字になり、それが弾けて赤い背景に白い文字で「シン・ウルトラマン」のタイトルが現れるという「ウルトラQ」→「ウルトラマン」のかつてと同じ趣向のオープニング。「ウルトラQ」のメインテーマなど音楽と効果音は昔のものを踏襲していて、リアルタイムで毎週夢中になってテレビシリーズを見ていたオールドファン(ほぼ60歳以上でしょう)は懐かしさに見舞われるはずです。

ゴメス、マンモスフラワー、ペギラと「ウルトラQ」の怪獣ならぬ禍威獣を出しながら、科特隊ならぬ禍特対(カトクタイ)設立を説明する場面でさらに気分は上がります。ネロンガ、ガボラ撃退シーンまではまず文句はない(ゆっくりと両手を交差させてスペシウム光線の構えをするシーンは最高のかっこよさ)ですが、その後の展開がどうもピリッとしません。

テレビシリーズ第18話「遊星から来た兄弟」のにせウルトラマンや第33話「禁じられた言葉」でフジ・アキコ隊員(桜井浩子)が巨大化したシーンなどを引用した総集編のような作りは別に悪くありません。ウルトラマンへの変身に使うベータカプセルのテクニカルな側面を使ったクライマックスへの話の組み立てもまあ良いでしょう。例によって、使徒のようなデザインの怪獣などエヴァンゲリオンを思わせるのは予想の範囲内です。しかし、各エピソードが緊密に繋がっていかないことが最大の欠点で、もどかしく感じました。

「そんなに人間のことが好きになったのか、ウルトラマン」。終盤、あるキャラクターからこう言われるウルトラマンの思いこそが、(ベータカプセルではなく)作品を貫く1本の太い芯になるべきだったのだと思います。

既にさまざまなバリエーションがあり、ある程度自由な作りが許された「ゴジラ」と違って、初代「ウルトラマン」全39話はウルトラマンの出現から退場まで物語世界がかっちり完成しています。総集編のような、ファンムービーのような作りになったのは脚本・総監修の庵野秀明がそれほどウルトラマン世界を好きだからだと思いますが、総花的作品の陥穽に嵌まってしまったようです。

ファンにはあまり評価されていない(と思える)小中和哉監督「ULTRAMAN」(2004年)を僕は好きなんですが、第1話だけを現代に置き換えて作り直したあの映画のようにドラマを集中させて話を構築した方が良かったのかもしれません。

金を掛けたといっても、日本映画総力戦の様相さえあった「シン・ゴジラ」ほどの予算ではないはずで、登場人物の数だけ比較しても見劣りがしました。CGの出来は合格点ですが、作品のスケールは意外に小さくまとまっています。

期待が大きかっただけにこのレベルで満足するわけにはいかず、かえすがえすも残念な出来と言わざるを得ません。悔しいです。

「女子高生に殺されたい」

古屋兎丸の原作コミックを城定秀夫監督が映画化。東山春人(田中圭)は、女子高生に殺されたいがために教師になった男。理想の殺され方を実現させるために、9年もの間緻密な自分殺害計画を練ってきた、というストーリー。

脚本も書いた城定監督は映画化にあたって、中心となる女子高生2人(南沙良、河合優実)に加え、原作には登場しない女子高生2人(莉子、茅島みずき)を登場させて話を膨らませたほか、クライマックスも映画向きに変更しています。原作は全14話(2巻)の短い話ですから、これは当然の措置なのでしょう。ただ、原作を読んだ観客としては傑作となるには少し足りなかった印象です。

南沙良はテレビドラマ「ドラゴン桜」でアイドル的人気が出ましたが、蒔田彩珠と共演の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(2018年)の吃音症の少女役で新人賞を総なめにした実力があり、本来は演技を評価してほしいはず。今回の役柄はそれを少し意識させるものでした。

「ハッチング 孵化」

フィンランド製のホラー。4人家族の家に黒い鳥が飛び込んでくる。鳥は部屋の中を飛び回り、花瓶やガラス食器、シャンデリアが落ちて次々に割れる。ようやく捕まえた鳥を母親(ソフィア・ヘイッキラ)はバキッとひねり、生ゴミとして捨てさせる。しかし、鳥は死んでいなかった。その夜、森の中で12歳の娘ティンヤ(シーラ・ソラリンナ)は瀕死の鳥を見つけて叩き潰す。そばにあった卵を持ち帰り、ベッドで温めると、卵は毎日大きくなる。そして巨大化した卵が割れ、中から醜い生物が生まれてくる。

生まれた巨大な生き物は孵化したばかりの鳥のヒナのようなヌメヌメした外観ですが、これが徐々にあるものに変化していきます。一方で、母親は浮気しており、ティンヤは体操競技でライバルに負けそうな状況にあり、これが本筋に絡んできます。惜しいのはこうした話のまとめ方が今ひとつうまくないこと。モンスター映画にしてくれると、個人的には好みだったんですけどね。

IMDb6.8、メタスコア74点、ロッテントマト91%(一般ユーザーは61%)。

2022/05/08(日)「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」ほか(5月第1週のレビュー)

「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」はマルチバースがテーマなので「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」とつながりがあるのかと思ったら、直接的な関係はない話でした。マルチバースを移動できる能力を持つ少女アメリカ・チャベス(ソーチー・ゴメス)を巡って、この能力が欲しいワンダ・マキシモフ(エリザベス・オルセン)と、それを阻止しようとするドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)が争う物語。

ワンダの能力はこれまでより桁違いに強くなっていて、ストレンジとその仲間の集団はまったく歯が立ちません。別の世界にいる某超能力者集団も全員簡単に惨殺。これほど強ければ、サノスにも勝てたのでは、と思えるほどです。

ワンダがマルチバース移動能力を欲する理由はディズニープラスのドラマ「ワンダヴィジョン」の物語を踏まえたものですが、これを見ていなければ分からないような内容にはなっていません。「ワンダヴィジョン」を楽しむには元ネタのテレビドラマ「奥様は魔女」を見ていた方が良いですが、見ていなくても楽しめるのと同じような意味合いだったりします。

監督のサム・ライミは得意のホラー風味を加味しながら、うまくまとめていると思いました。驚くような俳優が2人出てきて、そのうちの1人はエンドクレジットの途中にある場面で登場します。

マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の作品もかなり増えたので、熱狂的なファンを生む一方で見ていない観客は置いてけぼり感を味わわされる恐れがあります。ネットのレビューに賛否があるのもこれが影響しているのは明らか。何も知らなくても面白く、知っていればもっと面白いという作品を作っていくことが理想なのでしょう。

IMDb7.6、メタスコア62点、ロッテントマト77%。

「猫は逃げた」

「愛なのに」に続いて今泉力哉と城定秀夫によるL/R15企画の2本目。今回は城定脚本、今泉監督の作品でやはり水準以上の仕上がりになってます。

飼い猫のカンタをどちらが引き取るかで揉めている離婚寸前の夫婦とそれぞれの浮気相手をめぐるドラマ。演じるのは山本奈衣瑠、毎熊克哉、手島実優、井之脇海の4人で、特に女優2人が良いです。クライマックス、この4人が一堂に会して話し合う場面は固定カメラの長回しで撮影していますが、めちゃくちゃ笑える会話劇になっていて、「街の上で」の若葉竜也と中田青渚のアパートでの恋バナシーンに匹敵する魅力がありました。今泉力哉は城定秀夫脚本のこの場面を加筆して1.5倍の長さにしたそうです。

僕は何の工夫もない長回しには否定的なんですが、今泉監督はここぞという時に長回しを使っており、レベルの違いを見せつけています。

個人的にはわずかな差で「愛なのに」の方が好きですが、甲乙付けがたい出来だと思いました。

「死刑にいたる病」

櫛木理宇の同名原作を100ページほど読んだところで見ました。原作は2015年の発売時には「チェインドッグ」というタイトルで、2017年に文庫化される際に改題されたそうです。

24人を殺害した連続殺人犯で死刑囚の榛村大和(阿部サダヲ)から法学部の大学生・筧井雅也(岡田健史)に手紙が届く。雅也は中学生の頃、榛村のパン屋によく行っていた。榛村は9件の殺人で立件され、死刑判決を受けたが、そのうちの1件は自分の犯行ではないと言い、雅也に調査を頼む。榛村は10代後半の男女だけを襲い、爪を剥がすなど残忍な拷問の末に殺害していたが、犠牲者の1人は20代の女性で爪も剥がされていなかった。雅也が調査を始めると、周囲に不審な男が出没するようになる。

原作を再構成した高田亮の脚色は優れていて、ミスリーディングもうまく行っています。阿部サダヲも秀逸な演技。中性的な美貌を持つ原作の榛村とは違うタイプですが、不気味なサイコパスの部分がよく似合い、善人を装った部分も信用のおけない感じを滲ませています。

「羊たちの沈黙」がなければ生まれなかった作品でしょうし、真相が分かる場面はやや単調ですが、ミステリー映画として成功していると思いました。

ネットのレビューに否定的な意見が目立つのは残虐描写に拒否反応を持つ人が少なくないからでしょう。確かにペンチで爪を剥がす場面など見たくありませんが、「孤狼の血 LEVEL2」が大丈夫だった人なら大丈夫です。あの映画の鈴木亮平もサイコパスな残虐男でした。ゴア描写は白石和彌監督監督の趣味・嗜好なんじゃないでしょうかね。

「アネット」

レオス・カラックス監督らしく変なミュージカルで、退屈はしませんでしたが、特に面白くもなかったです。全編英語なのは日本を含む7カ国の合作だからなのでしょう。カラックス映画で常連のドニ・ラヴァンが出ていないのは歌が歌えないのか、あるいは合作映画を支える俳優としては興行面で弱いのか、そのあたりが考慮されたのかもしれません。

舞台はロサンゼルス。人気のスタンダップ・コメディアン、ヘンリー(アダム・ドライバー)と国際的なオペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)は恋に落ち、やがて世間から注目されるようになる。仲睦まじく暮らしていたヘンリーとアンの間にミステリアスで非凡な才能をもったアネットが生まれたことで、彼らの人生は狂い始めてゆく。

このアネットの見た目は人形で最後に人間の姿に変わることもあって、「ピノキオ」に言及する人がいますが、登場人物は人形としては扱っていず、普通の子供の扱いなのが決定的に「ピノキオ」と違うところです。だいたい人間の女から生まれたものが人形だったら、ホラーです。

ミュージカルとしては魅力的なナンバーがないのが減点対象で、強いて挙げれば、エンドクレジットにも使われた「We Love Each Other So Much」ぐらいですかね。

マリオン・コティヤールは今年48歳ですが、めちゃくちゃ若くてきれいですね。日本からは水原希子(アダム・ドライヴァーの暴力を告発する6人のうちの1人)と古舘寛治(医師役)が出ていました。

IMDb6.3、メタスコア67点、ロッテントマト71%。水準かそれに少し届かないぐらいの評価になってます。

2022/05/01(日)「ぼけますから、よろしくお願いします。 おかえり お母さん」ほか(4月第5週のレビュー)

「ぼけますから、よろしくお願いします。 おかえり お母さん」は2018年の前作に続いて、認知症となった80代の母親とそれを支える90代の父親の姿を一人娘の信友直子監督が撮影したドキュメンタリー。

前作が劇場で公開される直前に母親は脳梗塞で倒れて入院していた。97歳になった父親は毎日1時間歩いて病院に通い、妻の手を握って「元気になって家に帰ろう」と話しかける。

夫婦愛と老いることについて深く考えさせられる映画です。父親は95歳で炊事洗濯を含め家事全般をすることになります。高齢のため腰が曲がり、スーパーまで買い物に行くのも一苦労。帰る途中でレジ袋を両手に持ったまま下を向いて息をつく姿を見ると、胸がいっぱいになります。

若い頃には文章の仕事に就きたかったそうですが、弟たちの面倒を見なくてはいけなかったため、かないませんでした。居間には多数の書物が積んであり、母親が認知症になるまでは好きな本や新聞を読む気ままな毎日だったそうです。

「直子が帰ってきて、一緒に介護しようか」という娘の提案に対して「働ける間は働いてもええよ。親のことはそんなに心配せんでもええ」と話す父親は立派な人で、敬服せざるを得ません。

「ありがとね、わしはええ女房をもろた思うとります」。最期にそう声を掛けてもらって、妻はどんなにうれしかったことだろう、と思います。

前作の振り返りを含めて描いてあるので、前作を見ていなくても内容は十分に分かります。ただし、前作では終盤に介護ヘルパーさんが来るようになったエピソードがありましたが、今回は登場しません。お母さんが入院したことでヘルパーさんの出番がなくなったためでしょうが、これだけ見ると、最後まで家族だけで介護したような印象を持たれるかもしれません。

信友監督は「介護は家族だけでやろうとしてはいけない」とインタビューで語っています。介護の苦労・疲労が積み重なるにつれて介護者から笑顔が消えてしまい、そのことが被介護者にも悪い影響を与える負のスパイラルに陥ってしまうからだそうです。父親が自分だけで面倒を見ると言い張っていたため、2年間ヘルパーさんを呼びませんでしたが、監督は秘密でヘルパーさんを頼みました。実際に来てもらったら、父親にも非常に助かることが分かってもらえたとのこと。

劇場には年配者を中心に多数の観客が来ていました。プライベートを定点観測することで、普遍的な内容を持ち得た傑作だと思います。

「MEMORIA メモリア」

タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督作品。「寝てしまった」というレビューが多いので見るのを迷ったんですが、見終わってみれば、面白い映画でした。

南米コロンビアが舞台。主人公のジェシカ(ティルダ・スウィントン)は夜更けに「ボンッ」という爆発音のような音で目を覚ます。その後、その音は街中で聞こえたり、レストランで聞こえたりする。音の正体を探し求めたジェシカはある村の川沿いで魚のうろこ取りをしている男に出会う。

主人公が音の正体を探す緩やかなミステリータッチが終盤、SFに転化します。音が何なのかというヒント(というか、同じ種類の音)は序盤に示されてはいるんですが、いや、これは絶対に分からないです。

「寝た」という感想が多いのは進行が緩やかすぎるためで、このストーリーなら1時間半足らずで十分描けるはずですが、2時間16分ありますからね。この描写のゆっくりさを受け入れられるかどうかが評価の分かれ目のようで、アメリカ映画だったら、もっとエンタメ方向に振り切った映画にする題材だと思いました。

なお、この「ボンッ」という爆発音は「頭内爆発音症候群」という症状で、監督自身の経験がこの映画の着想になったとのこと。Wikipediaによると、頭内爆発音症候群とは「寝入る直前や目覚めた直後に短時間の大きな幻聴が発生する状態のこと。不規則に発生し、通常痛みなどの深刻な健康問題は無いものの、閃光が見えるなどといった一時的な視覚障害が発生する場合がある」。

ジェシカの場合は幻聴ではなく、超自然的なものが関わっています。と、思いましたが、それも含めて幻あるいはジェシカの想像なのかもしれません。

IMDb6.5、メタスコア90点、ロッテントマト88%(ユーザーは45%)。プロの評価は高く、一般ユーザーは低い評価となっています。カンヌ映画祭審査員賞受賞。

「ツユクサ」

「愛を乞うひと」「閉鎖病棟 それぞれの朝」の平山秀幸監督作品。過去に不幸な出来事を経験した中年男女の恋愛感情を含めた日常を描いた映画で、しみじみと、ほのぼのと良い作品だと思いました。主人公(小林聡美)の車に隕石がぶつかるという非常に珍しい事件はありますが、それ以外は近しい人たちとのささやかな心の揺れ動きを描いています。

ストーリーではなく、ユーモアを絡めた描写で見せる映画で、見ていて心地良く、平山監督の演出力がうまく発揮された佳作だと思います。脚本は「不思議な岬の物語」などの安倍照雄のオリジナル。

劇中に登場する月隕石はその名の通り、月に起源を持つ隕石のことですが、「直径数km以下の月のクレーターを生成した月への他天体の衝突によって吹き飛ばされた破片」(Wikipedia)であり、主人公の車にぶつかった隕石とは別のものと考えた方が良さそうです。日本で見つかったことはないようで、見つかれば、大発見になったはず。車の破損状況も隕石がぶつかったにしては小さすぎるかなと思いました。

「バブル」

13日から劇場公開されますが、一足早く4月28日からNetflixで配信が始まりました。監督は「進撃の巨人」の荒木哲郎、脚本は「魔法少女まどか☆マギカ」の虚淵玄ら、制作は「王様ランキング」「SPY×FAMILY」のWIT STUDIOと期待せざるを得ない陣容です。

世界に降り注いだ泡(バブル)で重力が破壊された東京は一部の若者たちのすみかとなり、パルクールの戦場となっていた。主人公のヒビキは無軌道なプレイで海に落下、不思議な力を持つ少女ウタに救われる、というストーリー。

設定はSFですが、バブルの正体がよく分からない、説明されないのが大きな弱点で、話をもう少し詰めたかったところです。